第405話 和解

 百科事典の引き渡しが終わったので、拠点に戻ろうか、それともダンジョンのベースキャンプに戻ろうか迷っていたら、学院長に夕食をどうかと誘われた。

 旧王都の学院ともなれば多くの金持ちの子供達が集まっているだろうし、食堂のメニューも期待できるから二つ返事で承諾した。


 来客用の建物を出ると、既に日が沈んで涼しい風が吹いている。

 前回地上に戻ってから数日しか経っていないが、また少し秋が深まったように感じた。


「ダンジョンに潜っていると季節の移り変わりが分からなくなりますけど、過ごしやすい季節になりましたね」

「そうですな、学院も来週には秋分の休みに入ります。普段の年ならば、生徒も親元に帰って静まり返るのですが、今年はそうはならないでしょうね」


 学院長によれば、すでに新王都の学院からの調査隊派遣の打診があったそうだ。

 実動するアーティファクトに加え、今度は百科事典の発見ともなれば、更に派遣される人員が増えることが予想される。


「ここ数年、ダンジョンからの新しい発見は途絶えていました。発掘される品物も完全な形を保っていなかったり、あまり価値の無いものばかりで、学院での研究も行き詰まっている状態でした」

「では、これから忙しくなりそうですね」

「はい、エルメール卿のおかげで研究は一気に進むはずです」


 上機嫌な学院長と一緒に食堂へ向かっていると、入口で一人の人物と鉢合わせになった。


「お、お前……いや、あなたは……」

「こんばんは、クブルッチ教授」


 学術調査担当の教授として最初に派遣されて来て、冒険者と対立したり、俺に暴言を吐くなどの醜態を晒したので、解任してやったクブルッチ教授だ。

 調査に来た時の自信……いや、過信に満ち溢れた態度からは一変し、肩を落として尾羽打ち枯らしたように俯いていたが、俺の姿を見た途端顔を真っ赤にして睨みつけてきた。


 解任された後のことは聞いていないが、学院内で相当冷遇されているのだろう。

 血走った瞳には、恨みを超えて呪いが込められているように感じる。


「クブルッチ教授、夕食を御一緒しませんか?」

「な、なにを今更! 学術調査の担当を解任されて、私がどんな扱いを受けたと思ってるんだ!」

「さぁ、俺は殆どダンジョンに潜ったままなので、学院のことなんか分かりませんよ」

「貴様……」

「でも、挽回したいと思いませんか?」

「なにぃ……挽回だと?」

「まぁ、詳しい話は食事をしながら……構いませんよね、学院長」

「私は構いませんが、クブルッチはエルメール卿に随分と失礼な態度をとったと聞いていますが……」


 そもそも、学術調査の担当としてクブルッチを派遣したのは学院長だ。

 当然、どんな経緯で解任を要求されたのかも把握しているから、俺がクブルッチに同席を求めたことに疑問を抱いているようだ。


「確かに、劣等種なんて罵られてましたが、いつまでも過去を引き摺っていても誰も得をしません。百科事典の解読には、多くの人員が必要になりますし、過去に実績のある人を腐らせておいたらもったいないんじゃないですか?」

「な、なんだ……ヒャッカジテンとは?」


 クブルッチは、百科事典の解読という言葉に食いついてきた。

 学院長は、クブルッチの表情を見つめた後で訊ねてきた。


「よろしいのですか?」

「もちろん、これまでと同じ態度で参加されたら困ります。ですが、一研究者として真摯に課題に向き合うのであれば、その能力を発揮してもらうことを拒む理由は無いです」

「もう一度、チャンスをいただけるのですね?」

「えぇ、クブルッチ教授次第ですが……」

「やらせてくれ! いや、やらせて下さい、お願いします!」


 再び第一線に戻るチャンスがもらえると聞いて、クブルッチの態度は一変した。

 これで、この前のような態度を繰り返すならば、その時こそバッサリ切らせてもらうが、無用な恨みを買わずに済むならチャンスを与えるぐらいは良いだろう。


 夕食時とあって、食堂には多くの生徒や教員の姿があった。

 食堂の形式はイブーロの学校と同じのようだが、学院長が一緒だからか注文したメニューを席まで持って来てくれるようだ。


 座席もイブーロの学校と同様に、教職員の席と生徒の席に分けられている。

 四人掛けのテーブルに、俺と学院長が向かい合って座り、俺の隣にモルガーナ准教授、学院長の隣にクブルッチが座った。


 席に着くと、姿勢を改めたクブルッチが深々と頭を下げてみせた。


「エルメール卿、数々のご無礼をいたし申し訳ございませんでした。また今回、私に挽回の機会を与えていただき有難うございます」

「人間、誰しも失敗はするものです。勝手な想像ですが、クブルッチ教授は恩師であるエルゲラ教授の功績に追いつこうと無理をなさっていたのではありませんか?」

「確かに、今になって振り返ってみれば、エルゲラ教授の存在が大きすぎて、まるで追いつける気がせず、エルゲラ教授の功績に寄りかかって利用することしかできませんでした」

「今回発見できた百科事典には、古代の文明や生活についての幅広い情報が記載されているはずです。文字の解読は勿論ですが、今の我々は知り得ない知識を読み解く必要があります。それには、多くの人の協力が不可欠です」

「魔法陣や魔道具に関する記述もあるのでしょうか?」

「さぁ、まだほんの一部を見ただけなので分かりませんが、魔法陣の基礎的な知識は掲載されていると思いますよ」

「おぉ、それは是非とも見てみたいです」


 クブルッチは、魔導車の原理を確立したエルゲラ教授に師事していただけあって、魔法陣や魔道具などの遺物の研究をメインに行っているらしい。


「エルゲラ教授は魔導車の理論を確立された方ですよね?」

「そうです。ダンジョンに残されていた動力部を解析して、今の魔導車の礎を築きました」

「では、飛行機でも作ってみますか?」

「ヒコーキとは……なんですか?」

「空を飛ぶ機械です」

「空を……飛べるんですか?」

「ちょっと待って下さいね、鞄に入れておいたはず……」


 百科事典を見つけてドタバタしていたので、鞄に入れっぱなしになっていた飛行機の写真集を取り出した。


「これは……飛んでいるのか」

「こっちは雲の上だ」


 クブルッチだけでなく、学院長やモルガーナ准教授も身を乗り出して写真集を覗き込んだ。


「見ての通り、間違いなく飛んでいます。それも雲よりも高く」

「この筒状の魔道具が動力なのですか?」

「恐らくそうでしょうが……こんな複雑な魔法陣は見たことがありません」


 一番大きく、それでも全体の半分も写っていないエンジン部分の魔法陣の画像を指差すと、クブルッチは食い入るように写真に見入った。

 モルガーナ准教授が目を付けたのは、翼の部分だった。


「エルメール卿、この部分が鳥の翼の役目をするのでしょうか?」

「おそらくそうでしょう、別の写真を見ると分かりますが、この胴体部分に沢山の座席が設置されていたようです」


 ページをめくり、前世で見たジャンボジェット機のように、何列もの座席が並んでいる写真を見せると、三人は言葉を失っていた。


「何とも、凄まじい文明ですが、この時代の人々はどこへ行ってしまったのでしょう?」


 学院長の疑問は、これまでに多くの人が考えてきたことだ。

 天変地異によって滅んだというのが定説だが、どんな災害だったのかは分かっていない。


 だが、学院長がこのタイミングで口にしたのは、これまでに考えていたよりも遥かに高い文明が栄えていた証拠を目の当たりにしたからだろう。


「滅んでしまったと考えるべきなのでは?」

「しかしエルメール卿。空を飛ぶことさえ可能だったのですよ、どこか別の土地に移り住むことも可能だったのではありませんか?」

「学院長、ここにもう一冊写真集があるのですが……御覧になって下さい」

「拝見いたします」


 取り出したのは、風景写真の写真集だ。

 既に目を通しているモルガーナ准教授は、飛行機の写真集の時のように身を乗り出してこなかった。


「これは……」

「お気づきになられましたか?」

「尻尾のある人種が一人もいませんね」

「その通りです」

「えぇぇぇ!」


 既に地下で写真集を一度見ているが、獣人が写っていないことにモルガーナ准教授は気付いていなかったようで、椅子を蹴立てて立ち上がって写真集を覗き込んだ。


「エルメール卿は気付いていらしたのですか?」

「はい、あまりにも違和感があったので……」


 まぁ、気付いたのはセルージョのスケベ心が、たまたま功を奏したからだけどね。


「エルメール卿、これは我々のルーツに関する重大な発見かもしれません」

「俺には、これが何を意味するのか分かっていませんが、それを知るためにも百科事典の解読を進める必要があります」

「そうですね、明日からでも取り掛かれるように、早急に体制を整えましょう」


 この後も、古代文明について話が盛り上がり、学院の来客施設に泊まってからダンジョンに戻った。

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