第404話 旧王都の学院

 百科事典の入った木箱に空属性魔法で作った重量軽減の魔法陣を張り付け、慎重に一階のベースキャンプまで下ろした。

 学術調査のメンバーが一日の作業を終えて戻って来たところで、百科事典とは何かを含めて説明すると、モルガーナ准教授を始めとして全員が固まってしまった。


「エ、エルメール卿……こ、こ、これは物凄い発見ですよ」


 新しい発見があれば奇声を上げて興奮するのが当り前なモルガーナ准教授が、瞬きするのも忘れたかのように目を見開き、言葉を失っている様を見て、あらためて大きな発見をしたのだという実感が湧いてきた。


「これで、この時代の研究が捗りそうですね」

「それどころじゃないです。ここには、我々が知らない未知の知識、技術、法則が詰まっているんです。単に、古い時代の様子が分るどころの話ではないんです!」

「そ、そうなんですね……」


 普段、ちょっと危ない系のモルガーナ准教授に真顔で諭され、ちょっと気圧されてしまった。


「エルメール卿、これは直ちに地上へと持ち帰るべきです。すぐにでも解読を進めることが、世界の発展に繋がるのですから!」


 モルガーナ准教授の暴走を止める役を担っているイレアス達も、今回ばかりは同意見のようだ。

 そこで調査は一旦中断して、モルガーナ准教授、イレアスらと共に、俺も旧王都の学院へと向かうことになった。


 別に俺は行かなくても構わないと言ったのだが、これだけの発見を行った当事者がいるのに話を聞かない訳にはいかないと言われ、説明を兼ねて同行することになったのだ。

 空属性魔法で作ったカートに木箱を載せて、拡張工事が行われている連絡通路へと出ると、作業をしていた人達が手を止めて視線を送ってきた。


 俺やモルガーナ准教授に気付き、ギルドの責任者モッゾが駆け寄ってきた。


「エルメール卿、また何か発見されたのですか?」

「ええ、保存状態の良い事典が見つかりました」


 ざっくりと百科事典について説明すると、作業をしていた者達からもどよめきが起こった。


「世の中について広く解説した事典って、ヤバくねぇ?」

「いったい、どれだけの値段がつくんだよ」

「しかも、まだ建物一つしか調査してないんだろう」

「こりゃぁ、当たりの建物を掘り当てれば、金持ち間違い無しだぞ」


 埋もれている対岸の街の発掘については、共用部分の工事に貢献した者達から優先権が与えられると聞いている。

 連絡通路の整備は八割方は終了しているようだし、居住区では料理や酒の提供も始まっているようだ。


 俺達チャリオットに与えられていたアドバンテージ期間もそろそろ終了して、他の冒険者パーティーによる発掘も本格化するはずだ。

 既にチャリオットは、十年以上遊んで暮らせるぐらいの査定額を積み上げているとライオスが話していたが、別の建物の発掘にも参加するつもりだ。


 手始めとしては、現在調査を行っている商業施設の北側に隣接する大きな建物が目標となる。

 北西側の出入口から掘り始めれば、他のパーティーに先んじて建物を確保、権利を主張できるはずだ。


 その辺のタイミングについては、既にライオスやガドとも打ち合わせを終えているから出し抜かれる心配は無いだろう。

 他のパーティーから少々妬まれたとしても、稼ぎを諦める気は無い。


 昇降機を使って地上へと上がると、日が沈もうとする時間だった。

 学術調査は生活リズムが壊れないように、地上の時間の昼間に行い、夜の時間には休むようにしている。


 そのため、一日の調査を終えた今の時間は、地上では仕事を終えた夕方の時間になる。


「エルメール卿、申し訳ございませんが、このまま学院にご同行願います」

「構いませんよ」


 旧王都の学院は、大公殿下の屋敷へと向かう道の途中にある。

 現在の規模を比べるならば、新王都にある学院の方が建物や敷地の規模は大きいが、ダンジョン研究に関しては、今も国の中心となっているそうだ。


 学院までは、ダンジョンの入り口のそばにある冒険者ギルドで手配した馬車に乗って向かった。

 今日も一日、繭と埃を吸い取る作業を行ってきたので、正直ちょっと疲労感がある。


 パカパカのんびりした蹄の音を聞きながら馬車に揺られていると、睡魔が襲ってくる。

 幸いというべきか、お腹が空いているからまだ堪えられるが、これで食事をしたら睡魔に負けてしまいそうだ。


 学院の正門で、モルガーナ准教授が事情を説明すると、門の近くにある詰所が一気に慌ただしくなった。

 何人かの守衛が連絡のために走って行き、俺達は衛士に先導されて馬車に乗ったまま来客用の施設へ向かった。


 慌ただしい動きではあるものの、詰所にいた者達は冷静に行動しているように見える。


「モルガーナ准教授、こんな感じで遺物が持ち込まれることは、よくあるんですか?」

「昔はよくあったそうですが、最近は殆ど……いえ、全く無かったと思います」

「では、日頃からよく訓練されているんですね」

「いいえ、これは私が前回地上に戻った時に、学院長に提案しておいたのです。エルメール卿が調査に加わっていらっしゃる以上、どんな貴重な発見があるか分かりませんからね」


 学院に勤務している教授や職員の多くは、学院内の宿舎や学院のすぐ近くで暮しているそうだ。

 ダンジョン側に比べると、こちら側の街の方が遥かに治安が良いからだろう。


 馬車から学院が用意した台車に木箱を下ろし、イレアスが押して応接室へと運んだ。


「思っていたよりも軽いものなんですね?」

「それ、重量軽減の魔法陣が張り付けてありますから」

「えぇぇ、エルメール卿は重量軽減まで使えるんですか……凄いですね」

「といっても、魔法を発動させる魔力は空気中に存在している魔素なんで、僕自身の魔力はそんなに使っていないんですよ」

「なるほど……」


 応接室で学院長を待つ間、香りの良いお茶は出してもらえたけど……お茶菓子は無いのかにゃ?

 突然の来客だし、時間も時間だから仕方ないのかもしれないけど、ちょっと寂しい。


 十五分ほどして現れた学院長は、特徴的な角を持つキリン人だった。

 年齢は五十代ぐらいだろうか、長身痩躯で眼光鋭い男性だ。


「お初にお目に掛かります、エルメール卿。こちらで学院長を務めております、ユゴーと申します、お見知りおきを……」

「ニャンゴ・エルメールです、初めまして」


 俺が姿勢を改めて頭を下げると、ユゴーの眼光が少し緩んだように感じた。


「エルメール卿には色々と伺いたいことが山ほどあるのですが、まずは今日の本題に入らせていただきます。古代の辞書が発見されたそうですが……」

「はい、こちらの木箱の中身がそうです。現在調査を行っている建物の七階、書店と思われる場所の倉庫で発見しました」

「拝見してもよろしいですか?」

「どうぞ、どうぞ、そのために持って来たんですから」


 ユゴーは慎重な手つきで木箱の蓋を開け、赤いビロードの布を捲った所で息を飲んだ。


「これは……これほど見事な保存状態の書籍は初めて目にします」

「箱の周囲に刻まれている魔法陣が、おそらく固定化とか状態維持の効果をもたらしているのだと思います」


 稼動するスマホを発見した時にも、同じ魔法陣が使われていたことを説明した。


「なるほど、この魔法陣が劣化を防いでいるのですか……」

「あとは、木箱の密閉度が高かったことも状態を保った要因だと思います」


 七階の書店に置かれていた本の殆どが、虫によって食い荒らされ、繭や埃に覆われた残骸と化していた様子を説明した。


「あぁ、そうだ、七階の様子は撮影してたんだ……こんな感じです」

「おぉぉぉ、これが実動するアーティファクトですか! これは、絵が動いている……しかも、こんなに精巧な……」


 ユゴーは、七階の様子よりもスマホと動画に興味を持ってしまったようだ。

 正面から見て、斜めから見て、ついには裏側まで確かめたほどだ。


「いや、失礼いたしました。話には聞いていましたが、実動するアーティファクトを見るのは初めてなので、年甲斐もなく興奮してしまいました」


 ユゴーの興奮が収まったところで、あらためて百科事典を開いて中身を確認した。

 あらためて眺めてみても、やはり文字は読めない。


 ただ、ぱっと見た感じでは表意文字ではなく表音文字のようには見える。

 何種類かの記号の組み合わせによって単語が構成されているようで、文字は左から右へと横書きで記されている。


「これは本当に素晴らしい発見です。文字を解読する手掛かりとしても、古代の生活を知る情報としても、過去最高のものだと断言できます」


 これまで、ダンジョンからは文字の情報が僅かしか発見されなかった。その理由の多くは書籍を食い荒らす虫の存在であるのだが、スマホなどの情報機器が発達して紙の情報源が乏しくなっていたのも一因だろう。


「エルメール卿、こちらの解読、研究については我々に全権委任していただけませんか?」

「どういう意味ですか?」

「これほどの発見ともなれば、間違いなく王都の学院が横槍を入れてくるはずです」

「なるほど、縄張り争いみたいなもので、研究が滞るかもしれない……ってことですね?」

「おっしゃる通りです」

「うーん……」


 正直、変な縄張り争いをして研究が遅れるのは止めてもらいたいが、逆に全権を与えてしまうことで対立が生まれたりしないのだろうか。

 懸念を伝えると、ユゴーは頷いてみせた。


「なるほど、確かにうちの者達が権限を持っても対立の火種になるかもしれませんね」


 ユゴーの話によれば、新王都の学院の者達には、自分達こそが王室から認められた者という自意識があるらしい。

 学者同士で意見が食い違うのは当然起こり得ることなのだが、そうした場合に王家の権威を笠に着たような言い方をするので話が更に拗れるそうだ。


「では、この辞書に関する研究は、エルメール卿の監修の下に行われることにしていただけませんか? 王家との繋がりも深いエルメール卿が、くだらない縄張り争いを禁じ、研究を進めるように厳命していただければ、対立も防げると思うのです」

「平たく言うと、俺の名前を利用する訳ですね」

「おっしゃる通りです、いかがでしょう?」

「それで研究が進むのであれば構いませんよ。ただし、それでも下らない争いが起こるようならば、今後いっさい俺の協力は得られないと思って下さい」

「かしこまりました。調査、研究に関わる全ての者に言い聞かせます」


 変に名前を利用されるのは御免だが、古代に関する研究を進めるためならば認めるしかなさそうだ。

 てか、同じ研究を進めるなら、下らない縄張り争いとかしてんなよな。

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