第328話 不安と支え(オラシオ)

 僕らを乗せた馬車は、王都を出ると街道を北へと向かった。

 王家の直轄領を出て、レトバーネス公爵領を通り抜ければ、目的のグロブラス伯爵領だ。


 グロブラス領では、反貴族派の動きが活発化して治安の悪化に歯止めが掛からなくなり、とうとう王国騎士団への派遣要請が行われたそうだ。

 治安の悪化がどの程度なのか分からないから不安だし、許されるならグロブラス領を通り抜け、エスカランテ領も通り抜けてラガート領へと帰ってしまいたい。


 でも、それではニャンゴとの約束が果たせなくなってしまうから、勇気を振り絞って任務を遂行するつもりだ。

 王国騎士団は、王都及び王家直轄領の治安維持、それに国境線の警備が主な役割だ。


 そのための人員は十分に確保されているが、この春に王都で起こった『巣立ちの儀』の会場襲撃事件の捜査や、旧王都の東側に位置するラエネック男爵領での治安悪化などに多くの人員を取られ、まだ訓練生である僕らにも派遣の命令が下ったのだ。


 領地境を越えてグロブラス領に入った時には、みんな緊張に顔を強張らせていたのが、今は拍子抜けした気分を味わっている。


「治安が悪化しているって話だったけど、何も起こらないぞ」


 グロブラス領に入ってから二時間以上経つが、ザカリアスが言うように戦闘が起こるような気配も感じられない。


「意外に、もう騒動が収まってしまったとか?」

「そんな訳ないだろう。ザカリアスもオラシオも後を見てみろ」


 ルベーロが指差す方向へと目を向けると、僕らが乗った幌馬車の後ろには、一般の馬車の列が出来ていた。


「えっ、どういうこと? レトバーネス領では、こんな事なかったよね」

「みんな、騎士団に守ってもらおうと思って付いてきてるんだよ。それだけ襲撃が多いってことだ」

「だが、その襲撃が起こる気配も無いぞ」

「ザカリアス、頭の後ろを見てみろ……」

「えっ? あぁ、そうか……王家の紋章か」


 僕らの乗っている馬車の幌には、王国騎士団であることを示す王家の紋章が染め抜かれている。


「一般の馬車は襲うが、さすがに王国騎士団の馬車を襲うほどの度胸は無いってことだろう」

「なるほど……じゃあ、僕らの任務は思っているほど危なくないのかな?」

「そんなに甘くないと思うぞ。そもそも、騎士だから襲われないなら、グロブラス騎士団だけで片付くんじゃないのか」

「それもそうか……」


 こうして現場に出てみると、やっぱりルベーロは周囲の状況が良く見えているし判断も的確だ。

 僕やザカリアス、トーレはそうした部分が足りない気がするから、僕らだけで行動する時にはルベーロの判断を優先した方が良さそうだ。


 結局、僕らは一度も戦闘に遭遇することなく、グロブラス伯爵の居城へと到着したのだが、そこで初めて戦闘の痕跡と遭遇した。


「うわっ、黒焦げだぜ……」


 馬車の前の方にいた同期の訓練生がつぶやいた通り、街道から逸れた道の両側の森が黒焦げになっていた。

 やがて鉄格子の門を抜け、石積みの塀の中へと入ったのだが、そこも木々が黒焦げになっていた。


 真っ黒に焼け焦げた丘の上にそびえている堅牢な城壁は、まさに戦場の城という姿で、馬車の中の空気が一気に張り詰めた。


「こりゃ、気を引き締めていかないとヤバそうだぜ」


 ザカリアスの言葉に、僕らは無言で頷いたのだが……堅牢な城壁を潜ったところで全員が呆気に取られた。


「何だ、ありゃ……」

「うわぁ……」


 堅牢な城壁の内側にあったのは、屋根も壁も柱も金ピカの屋敷だった。

 城壁の外は、黒焦げの戦場という風景だったのに、余りの違いにみんな声を失っている。


「あそこに泊まるのか?」

「中も金ピカなのかな?」

「すげぇ、王族になったみたいじゃね?」


 どんな凄い部屋に泊まれるのかと期待したが、伯爵に着任の挨拶をした後、僕らが案内されたのは城壁の外にある建物だった。

 まるで城壁の一部のように見える石積みの建物は、周囲が訓練場になっていたおかげで焼失を免れたようだ。


 城壁の中の金ピカの建物との違いが酷すぎる。

 壁一枚の差が、これほど大きいと感じたのは初めてかもしれない。


「うへぇ……何だよ、この部屋……」

「この布団はヤベぇぞ……」


 ルベーロとザカリアスが顔をしかめるのも当然で、案内された四人部屋は床どころかベッドの上にまで薄っすらと埃が積もっていた。


「どうする?」

「とりあえず、布団だけでも叩いて、ダニ除けを掛けた方が良くない?」

「俺もオラシオの意見に賛成だ」


 夕食までの休憩時間に、急いで布団を運び出して埃を叩き、ダニ除けの粉を塗しておいたが、カビ臭さまでは抜けそうもなかった。

 夕食も、想像以上に酷かった。


 硬い黒パンに、殆ど具の入っていない薄いスープ、それに干し肉が一枚だけだ。


「これっぽっちかよ! 王国騎士団を舐めてんじゃねぇのか!」

「すみません、すみません……申し訳ございません」


 同期の訓練生が文句を言ったが、給仕は泣きながら謝るだけで、出したくても食材を与えられていないらしい。


「どういう事だよ、ルベーロ」

「ザカリアス、俺達は歓迎されていないんだよ」

「歓迎されていないって……俺達を呼んだのは伯爵じゃないのか?」

「グロブラス伯爵には、色々と後ろ暗い噂がある。つまり、治安の維持はやらせるけど、城の中は嗅ぎ回るな。まともな食事がしたいなら、外に出て働け……って事だよ」

「何だよ、それ……」


 みんな文句を言いながらも、それでも出された物は全部食べたが、正直全然足りていない。

 王都の訓練所では、体を作るために食事はたっぷりと食べさせてもらえる。


 訓練場に入った当初は、平民の訓練生は感動していたのだが、二年半も過ごしているうちに当り前になってしまっていたようだ。

 夕食の後で、正式な騎士である教官が姿を見せて訓示を行った。


「酷い食事だっただろう……」

「こんな扱いを受けるなら……」


 ニヤリと笑った教官に、同期の一人が文句を言いかけたが手で制せられた。


「お前らの不満は分かるが、実戦では食事をする暇すらない状況も考えられる。酷い食事であろうと、食えるだけマシと思え。ここは訓練所ではないぞ」


 静かだが厳しい教官の言葉を耳にして、訓練生達も表情を引き締めた。


「明日からの予定を伝える、お前らは正騎士の補助として街の治安維持にあたる。それぞれの配置は、こちらの表に記しておいた。良く目を通しておけ」

「はい!」


 明日は夜明けと共に起床し、朝食を済ませたら馬車の前に集合。

 点呼を終えたら、すぐに出発になる。


 部屋に戻った僕らは、明日からの行動の相談を始めた。

 こうした時に話をまとめるのはルベーロの役割だ。


「みんな表は見たな。俺達はカーヤ村に配置されるらしい」

「カーヤ村って言うと、グロブラス領の穀物の集積地だぞ」

「そうだ、ザカリアスが言った通り、グロブラス領の穀物が集められて、カーヤ村からレトバーネス領やエスカランテ領などへ輸出されて行く重要な場所だ」

「つまり、僕らの役目も重要になるって事?」


 僕の問い掛けに、ルベーロは頷いてみせた。


「カーヤ村は、グロブラス領にとっては心臓となる村だ。当然、反貴族派の連中も狙っているだろうし、こちらとしては、何としても治安を維持しなければならない場所だ。気を引き締めて掛かろう」

「おぅよ、いよいよ実戦だな。前衛は俺とオラシオが務める。背中は任せたぞ、トーレ」

「大丈夫、遅れは取らないよ……」

「おいおい、あんまり突っ走らないでくれよ。オラシオ、ザカリアスに紐付けて引っ張っていてくれ」

「えっ、それってルベーロの役目じゃないの?」

「おいおい、勘弁してくれよ。オラシオまで突っ走るつもりじゃないだろうな」


 いつものように冗談を言い合っているけど、どこかいつもと違う空気を感じる。

 特にルベーロは、いつもにも増して落ち着きが無いような気がする。


 ザカリアスとトーレが水浴びに行っている間に、ちょっと聞いてみた。


「ルベーロ、緊張してるの?」

「うぇっ、俺がか? そんな事は……ちょっとあるな」

「やっぱり実戦は不安?」

「そりゃ不安が無いって言ったら嘘になるけど、俺達の場合はザカリアスとオラシオが前を固めてくれるから、戦闘に関する不安は殆ど無い。ただ……」


 普段はおしゃべりなルベーロが、不意に黙り込んだ。


「ただ……どうかしたの?」

「情報を仕入れる伝手が無い。食事の後で、給仕に話し掛けようとしたんだが、会話は禁じられているって断られちまった」

「情報が無いのは不安?」


 ルベーロは眉をしかめて頷いてみせる。


「不安だな。情報は俺の支えだからな。ザカリアスには武術がある、オラシオには体力がある、トーレには素早さがある、それが俺には情報なんだよ。例えば、ザカリアスが突っ走ろうとした時でも、情報の裏打ちがあれば引き留められるけど……」

「それでも、僕はルベーロの指示に従うよ」

「そう言われても情報が無ければ……」

「情報が無くても、ルベーロには判断力がある。僕らと同じ情報量だったとしても、ルベーロならば的確な判断が下せる。もしザカリアスが止まらないなら、僕も一緒に止める。だから、自信を持って判断を下して」

「オラシオ……分かった。俺にどこまで出来るか分からないけど全力を尽くすよ」

「うん、頼んだよ、ルベーロ」


 一番重要な役割を押し付けてしまった形になるけど、僕もザカリアスを止める時には全力を尽くすつもりだ。

 それで、全員揃って、怪我もなく王都に帰るんだ。

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