第317話 職業訓練施設

 昨晩、子爵やライオス達と遅くまで語らっていたので少々寝不足気味だが、水浴びをして目を覚まして名誉騎士の騎士服に袖を通す。

 王都での『巣立ちの儀』から四ヶ月近い月日が経過して、すっかり騎士服の丈も短く……なってにゃい。


「うにゅぅぅぅ……まだ成長期のはずなのに、全然背丈も伸びていない気がする」


 まぁ、王都を離れて飽食生活から元の生活に戻ったので、ズボンのお腹周りには少し余裕が感じられる。

 慣れない革靴を履き、体の大きな人種から見れば長めのナイフ程度にしか見えない剣を左の腰に吊れば、名誉騎士ニャンゴ・エルメール卿の出来上がりだ。


 食堂に出向くと、今朝は子爵も上着こそ着ていないが、貴族らしい装いをしている。


「おはようございます、子爵様」

「おはよう、エルメール卿。今日は暑いのに窮屈な格好させてしまってすまないな」

「いいえ、御心配無く、騎士服のあちこちに冷却の魔法陣を仕込んでありますから……」


 夏の暑さに負けないように、騎士服を着込む前に冷却の魔法陣を仕込んでおいた。

 これならば、たとえ真夏の炎天下に出たとしても、汗一つかかずに快適に過ごせるはずだ。


「なんと、そんな便利な事が出来るのか」

「後で子爵様の上着にも付けて差し上げますよ」

「それは是非ともお願いしよう。そうだ、エルメール卿が作れるのであれば、魔道具職人に頼めば同様の品物を作れるのではないか?」

「おそらく可能でしょう。貴族の皆さんならば、需要があるんじゃないですか」

「うむ、そうだな、早速、職人にアイデアを伝えて試作をさせよう」

「貴族の皆さんだけでなく、夏の屋外で働く人達にとっても欠かせない魔道具になると思いますよ」


 前世日本では空気を取り入れる空調服があったが、こちらは冷やす機能まで付いているから発展形といって良いだろう。

 朝食後、チャリオットのみんなは出立の準備を整えて自前の馬車に乗り込み、俺はラガート子爵と一緒に魔導車に乗り込んだ。


 魔導車を動かすのは、一緒に王都まで行ったヤギ人のナバックだ。


「ナバックさん、お久しぶりです」

「これはこれは、エルメール卿。ご無沙汰しております」

「もう、からかわないで下さいよ」

「いやいや、イブーロに戻ってからの活躍も聞いているぞ。さすがは名誉騎士様だ」

「今日は御者台でなく、客室に乗せていただきますが、よろしくお願いしますね」

「あぁ、魔導車の運転に関しては任せてくれ」


 魔導車の客室は長旅でも快適に過ごせるように、豪華なリビングルームのような作りになっていた。

 高級な材木と革をふんだんに使い、日本で売られていたキャンピングカーよりも遥かに豪華な内装だ。


「こちらには初めて乗せていただきましたが、凄い作りですね」

「王都までの長旅を考えて、出来るだけ快適に過ごせるようにはしてあるが、それでも連日箱詰めにされるのは気が滅入るな」

「確かに、見晴らしは御者台の方が良いですね」


 目的の職業訓練場は、城の南門を出てからトモロス湖沿いに三十分ほど進んだ所にあった。

 王都に向かう街道からは、丁度トモロス湖の対岸になる。


 施設の周囲は塀で囲まれているが、これは中の人間の脱走を防ぐためのものではなく、外から魔物などが入り込まないためのものらしい。

 施設で暮らす者達の出入りは自由だが、所在の確認をするために施設を出る時には届け出をする事になっているそうだ。


 ここにいれば、暮らす部屋や食事、作業服が与えられ、職業訓練までしてくれるのだから、元貧民街で暮らしていた者達が脱走する理由は無い。

 訓練施設を出ていく理由は、更に高い技術を身に付けたいとか、工房に就職するなどで、もし仕事が上手くいかなかった場合には出戻りも許可されているらしい。


「既に、あちこちの商会や工房から見学が来ていて、職が決まった者もいる。今後も希望する者を受け入れると同時に、ここでの製品作りも試す予定だ」

「凄いですね。これほどの施設を作っている領地は、他には無いんじゃないですか」

「だろうな。私の知る限りでは、ここだけだと思うよ」


 車寄せに魔導車が停められ、子爵と共に施設を見学する。


「さぁ、エルメール卿。ここにいる皆に、君の勇姿を見せてやってくれ」

「いや、勇姿というほどのものではないですよ……」


 とは言ったものの、名誉騎士として恥ずかしくないように、精一杯背筋を伸ばして歩く。

 施設にいる人達は、子爵の姿を見つけると姿勢を正して大きな声で挨拶をしてきた。


「おはようございます、子爵様」

「あぁ、おはよう。気持ちの良い挨拶だよ」

「ありがとうございます」


 挨拶は全ての基本というのは、どこの世界でも同じなのかもしれない。

 施設には、陶芸、木工、鍛冶、革細工、裁縫、調理など色々な訓練場があり、希望にあった職業を選んで訓練を受けるようになっている。


 その中から、子爵が俺を連れて行ったのは木工の訓練場だった。


「おはようございます、子爵様」

「ようこそ、いらっしゃいました」

「あぁ、そのまま作業を続けてくれたまえ」


 子爵が軽く右手を挙げて、作業を続けるように言ったのだが、訓練を行っている者達の間にざわめきが広がっていく。


「おい、あれって……」

「まさか、嘘だろう……」

「エルメール卿だ……」


 木工場で訓練を受けている者の多くが猫人で、みんな手を止めて俺を見詰めていた。


「木工作業であれば、毛が抜けようが影響は無い。ここと、革細工の訓練場では特に多くの猫人が作業を行っている。その殆どが、君に憧れているんだよ」

「えぇぇ、俺にですか?」

「一般的に体が小さく、魔力も乏しいとされ、しかも役立たずとされる空属性魔法を授かっても、創意工夫と努力を重ねて国王様から名誉騎士の叙任を受けた。君は今、この国で最も成功を収めた猫人であり、彼らの究極の目標なんだよ」

「俺が、究極の目標……」


 毎日、夢中で冒険者生活を続けてきただけで、他人からどう見られているかなんて、酒場でオッサン連中の恨みを買ってるぐらいしか考えた事がなかった。

 どう反応したら良いのか分からずに戸惑っていると、近くの作業台にいた茶トラの女性がオズオズと歩み寄ってきた。


「あ、あの……握手をしていただけませんか? エルメール卿」

「えっ……あぁ、はい、構いませんよ」

「ありがとうございます」


 茶トラの女性は、俺が差し出した右手を両手で包み込むようにして握ると、ポロポロと涙を零し始めた。


「えっ、ど、どうしたの?」

「嬉しいです……私、今日の事は一生忘れません」

「お、俺も握手して下さい」

「私もお願いします」


 みんな作業を放り出して、俺と握手をするための行列が出来上がってしまった。

 満面の笑みを浮かべる者、感動の涙を流す者、一人ひとりの表情を眺めていたら、こっちまでウルウルして来てしまった。


 猫人の地位向上、能力向上に、ほんの少しだけど貢献出来たかと思うと胸が一杯になってしまった。

 この後、他の作業場に行っても同様の握手責めにされ、その相手は猫人以外の人種にも及んだ。


 どうやら俺は、恵まれないポジションから成功を勝ち取った象徴として利用されているらしい。

 正直、めちゃくちゃ恥ずかしいのだが、それで訓練を受けている人達が希望を持てるならば、俺は喜んでピエロになろう。


 訓練場の見学を終えた後は、食堂で訓練生と一緒に昼食を食べた。

 メニューは小エビのかき揚げをバンズで挟んだエビバーガーで、調理の訓練を受けている者達が作ったものらしい。


「うみゃ! エビがサクサクで甘くて、うみゃ! バンズもドッシリした食べ応えで、うみゃ!」

「うみゃ!」

「うみゃい!」

「うみゃうみゃ!」


 つい、いつもの調子で感想を口にしたら、一瞬の沈黙の後、食堂のあちこちから、うみゃうみゃ鳴く声が広がり始めてしまった。

 これは恥ずかしい……。


「ふははは、良いではないかエルメール卿。美味いものを美味いと堪能できるのは良いことだ。遠慮する必要などない」

「はぁ……でも何だか」


 まぁ、満面の笑みを浮かべて、うみゃうみゃ言いながらエビバーガーを頬張る猫人の姿はほほえましいので良しとしよう。

 てか、シューレの目がちょっとヤバくて、訓練生を拉致していかないか心配だよ。


 昼食を終えて、魔導車で訓練場を後にする時には、車寄せから門の所までズラーっと訓練生が並んで見送ってくれた。


「エルメール卿、ありがとうございました!」

「また来て下さい、エルメール卿!」

「僕ら、頑張ります!」

「エルメール卿!」

「エルメール卿!」


 熱烈な見送りを受けて、魔導車の中で堪えきれずにボロボロと涙を零してしまった。

 門を出たところに二台ほど馬車が停まっていたのは、見学に来たけど入れずに待たされた商会の馬車のようだ。


「ありがとうございます、子爵様。これで、世間の猫人を見る目も変わってくると思います」

「いいや、私だけではこんなに上手くはいかなかっただろう。エルメール卿という存在があってこそ、猫人を始めとする体の小さな人種にも大きな可能性があると主張出来たんだよ。これはエルメール卿、君の功績だよ」

「ありがとうございます……ありがとうございます……」


 城の南門で魔導車から降りるまで、俺は涙を止められなかった。

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