第318話 葛藤の先にあったもの前編(カバジェロ)

 とうとう、この日がやって来てしまった。

 グラーツ商会の馬車が向かっている先は、ラガート領の職業訓練施設だ。


 そこは、イブーロという街にあった貧民街の住民を収容し、まともな仕事に就けるように訓練を行う場所だそうだ。

 運営を行っているのは領主であるラガート子爵で、訓練施設は子爵の居城から程近い場所にあるらしい。


 つまりは、ラガート子爵領の中心地であり、当然騎士と遭遇する確率が高い場所だ。

 正直に言えば、行きたくない。


 もし正体がバレてしまえば、そこで俺の人生は終わってしまうだろう。

 ルアーナと一緒に歩いていく未来も消えて無くなってしまうはずだ。


 俺の身の安全を考えたら、絶対に近付きたくない場所なのだが、グラーツ商会の会長オイゲンさんから聞いた話が本当ならば、見てみたいと思ってしまう場所でもある。

 そこでは、人種による差別は無く、たとえ猫人であっても他の人種と同じように訓練を受け、同じような待遇を受けられるそうだ。


 これは、猫人の俺にとって俄かには信じられない内容だ。

 猫人は、猫人だから馬鹿にされる……これは猫人に生まれて以来ずっと思い知らされてきた事だ。


 ギルドで俺の登録を担当してくれたミーリスや、俺を拾ってくれたタールベルク、俺を置いてくれているグラーツ商会などは特別で、キルマヤの街でも度々馬鹿にされている。

 猫人を馬鹿にする人間にとっては、それが当たり前であり、ルアーナのような人間は変わり者だと思われているのだ。


 ただ、ラガート領に入ってからは、猫人に対する風当たりが変わってきたようにも感じる。

 上手くは言えないのだが、猫人に対して汚らしい物でも見るような刺々しい視線を向けて来る人が減ったような気がする。


 その理由が職業訓練施設にあるのだとしたら、どんな場所なのか見てみたい。

 左腕と右足を失ってしまった俺では職業訓練なんて出来やしないが、普通の猫人がどんな訓練を受けて、どんな仕事に就こうとしているのか見てみたい。


「ジェロ、大丈夫……?」

「にゃ、にゃにが?」

「宿を出てから、ずっと難しい顔をしてるよ」

「そ、そうか……ちょっと考え事をしてただけだ」

「そう? ならいいんだけど」


 俺の左足に、そっと添えられたルアーナの手の平から温もりが伝わってくる。

 絶対に失いたくない繋がりだけど、これを感じていられるのも後僅かの時間かもしれない。


「ルアーナ……」

「なぁに、ジェロ」

「いや、何でもない……」

「変なジェロ、ふふっ……」


 ルアーナが、くすぐるように俺の左足を揉んでくる。

 たったそれだけなのに、たまらなく幸せを感じて、ちょっと泣きそうになった。


「仲良しなのは良いけれど、周囲の警戒だけは怠るなよ」

「はい、すみません! もう、ジェロのせいで怒られちゃったよ」

「にゃ、お、俺のせいなの?」


 分かってる、全部無知だった俺のせいだと分かっているけど、ルアーナとの時間を奪わないでくれ。

 俺がどんなに葛藤する思いを抱えていようと、馬車は走り続け、やがて大きな湖へと辿り着いた。


「ここがトモロス湖だ。向こうに見える無骨な砦みたいな城が、ラガート子爵の居城ダルクシュタイン城だ。訓練施設は、更に向こう側だそうだ」

「見て見て、ジェロ。すっごい広いよ」

「これ、全部水なのか? あんな遠くまで……」


 大きな川は見たことがあるが、こんなに大きな池は生まれて初めて見た。


「色々な魚の養殖が行われているらしいぞ。あそこに浮いてるのは、その生簀だ」

「へぇ……いっぱいありますねぇ。ジェロ、見える?」

「お、おぅ……大丈夫だ」


 ルアーナは湖の風景に夢中だが、俺は前から来る騎馬の列に目を奪われていた。

 二列縦隊で、金属製の鎧に身を包んだ騎士を乗せている。


 馬車も止まらないし、馬も止まらないのだから、どんどん距離が近づいて来る。

 何とか、止められずに擦れ違えれば……という俺の思いは通じなかった。


 騎士達の列が止まり、先頭の右側にいる騎士が大きく手を振って馬車を止めるように合図を送ってきた。

 どうやら、俺の命運もここまでのようだ。


 タールベルクが馬車を止めたところで、騎士が馬を寄せてきた。


「職業訓練施設に向かうのか?」

「そ、そうだ……」

「今日は、領主様とエルメール卿が見学に来られているから、少し施設の外で待つことになるかもしれない。警備の者の指示に従ってくれ」

「わ、分かった……」


 俺の事を捕まえに来たのかと思ったが、どうやら俺の考えすぎだったらしい。

 騎士達は、そのまま立ち去るのかと思いきや、声を掛けてきた騎士の後ろにいた別の騎士が俺を見つめていた。


 立ち去ろうとする先頭の騎士を呼び止めて、御者台に馬を寄せて来た。


「お前……」

「にゃ、にゃにか……?」

「それは義足なのか?」

「えっ? そ、そうだ……」

「変わった形だな? なにか理由があるのか?」


 一人が興味を示したせいで、他の騎士まで集まってきた。


「こ、これは弾力性があって、歩く補助をしてくれるんだ」

「ほぉ……なかなか考えてあるんだな」


 先頭の騎士が出発を告げるまで、あれこれ聞かれ続けて冷や汗が流れた。

 幸い、六人の騎士の中には、俺を知っている者はいなかったようだ。


 普段歩いている時には、それほど目立たないが、御者台に座っていると、ちょうど騎士の視線に入ったようだ。


「ふぅ……緊張した」

「ふふぅ、災難だったね、ジェロ」

「鎧を着た騎士は緊張するよ」

「だよね、ちょっと威圧感あるもんね」


 俺とルアーナでは緊張する意味が違うのだが、それは口には出せない。

 この後、城の前も通ったが、特別に止められることもなく通り抜けられた。


 湖沿いの道を更に進んで行くと、目的の職業訓練施設が見えてきた。

 施設の門の手前に、馬車が一台止まっているのが見える。


 その手前で鎧姿の騎士が手を振っていた。


「止まってくれ! 見学希望の者か?」

「キルマヤのグラーツ商会の者だ」


 タールベルクが大きな声で答えたので、騎士は馬車の左側へと回り込んでいった。


「エスカランテ領からわざわざいらしたのか、申し訳ないが、ここで少し待ってくれ」

「途中で騎士様から聞いたが、領主様とエルメール卿がいらしているそうだな」

「あぁ、聞いていたか、その通りだ。もう少しすれば帰られるから、ちょっと待機してくれ。その替わりと言ってはなんだが、昼食を御馳走するよ」


 ここで昼食が食べられるのは良い知らせだが、タールベルクの返事に背筋がヒヤリとした。


「ほぉ、そいつは有難い。エルメール卿には会えないかな?」

「そいつは、ちょっと難しいな」

「そうか、どれほど立派になったか見たかったのだがな」

「エルメール卿と面識があるのか?」

「以前、護衛の依頼でうちの商会に来たことがあってな。あの小さな体で暴れ馬を止めてみせたのには驚いたな」

「ほぅ、そんな事があったのか。さすがエルメール卿だ」


 タールベルクは退屈しのぎに話をしているのだろうが、それならばエルメール卿に取り次いでやろう……なんて騎士が言い出さないか気が気じゃない。

 いくら毛並みの色が変わろうと、片腕片足を失っていようと、顔付きが変わっていようとも、面と向かって話をすれば正体がバレるだろう。


 いい加減、面会なんて諦めて、話を切り上げてくれと思っていたら、騎士が意外な事を口にした。


「エルメール卿は、ダンジョン攻略に挑むそうだ」

「ほぅ、では旧王都へ移籍するのか」

「そうなるな。ブロンズウルフ、ワイバーン、ヴェルデクーレブラ、その他、エルメール卿がいてくれたおかげで助かったことが沢山ある。今度は我々が領民を守っていかねばならないから責任を感じているよ」

「一軍に匹敵する火力だそうだから、ラガート領の損失は大きいな」

「まったくだ……おっ、そろそろ帰られるようだ」


 騎士は、この場で待つように告げて、門の方へと戻っていった。

 門の中を見やると、同じ作業服に身を包んだ者達が門に向かって道を作るように並び始めていた。


「ねぇねぇ、ジェロ。領主様が通るの?」

「みたいだな」

「タールベルクさん、私たちは、ここに乗ったままでいんでしょうか?」

「特別に降りろとは言われていないから、構わないだろう」


 俺としては降りろと言われた方がありがたいのだが、ルアーナは御者台の上から眺めたいようだ。

 突然、わっと歓声が沸き起こった。


 騎士の先導を受けた魔導車が進んで来るのが見える。

 あの日、俺が粉砕の魔道具を抱えて突っ込もうとした、あの魔導車だ。


「エルメール卿!」

「ありがとうございました!」

「エルメール卿!」


 ウマ人や、トラ人などの大きな人種に肩車してもらった猫人達が、声を限りに叫んでいる。

 何が起こっているのか理解出来ないが、猫人達の声が向けられているのは、あの黒猫人の冒険者のはずだ。


 先導の騎士が通り過ぎ、擦れ違った魔導車の車内には、青い服を着て、両手で顔を覆った黒猫人の姿があった。

 続いて、冒険者らしい者達が乗った馬車が通り過ぎていく。


 御者台に座ったトカゲ人とサイ人の間から、白黒ブチの猫人が俺を見つめていた。


「エルメール卿!」

「また、来て下さい、エルメール卿!」


 魔導車と馬車が遠ざかっても、門の前に並んだ猫人達は手を振り続けていた。

 正体を知られる恐怖が消えた訳ではないが、なぜあれほどまでに熱狂的に慕われているのか、その理由が知りたくなった。

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