第288話 サバトラの猫人

 オーガの巣を討伐し終えた翌日、村長の屋敷で朝食を御馳走になった後、イブーロへ戻る支度を進めていたらサバトラの猫人が訪ねてきた。

 ガドやライオスが馬車を準備している様子を離れた場所から窺っていたが、俺の姿を見つけると駆け寄ってきた。


「おい、姉ちゃんはどこだ?」

「姉ちゃんって、ミリアムのことか?」

「そうだ、決まってんだろう」


 随分とぶっきら棒な言い方だとは思ったが、ミリアムと家族は微妙な関係みたいだから仕方ないか……と思っていたのだが、レイラが現れた途端サバトラの猫人は二歩ほど後ずさりした。


「レイラ、ミリアムはまだ中にいた?」

「えぇ、でも、もうシューレと一緒に出て来るわよ。ミリアムの家族?」

「んー……たぶん」


 レイラに視線を向けられると、さっきまでの俺への態度はどこへやら、サバトラの猫人はぎこちなく頷いてみせた。

 朝食の席でミリアムは、昨日話をしてきたから出発前には家には寄らないと言っていたが、家族はまだ何か伝えることがあるのだろう。


 サバトラの猫人は、ミリアムよりは幼く見えるから、俺と同い年か一つか二つ年下だろう。

 あまり言いたくはないが、毛並みは埃っぽくてボサボサだし、着ているものも清潔とは言い難い。


 典型的な田舎の村の猫人だな……などと思っていたら、いつものように足音一つ立てずにシューレが歩み寄って来て、その後ろにミリアムの姿もあった。


「姉ちゃん!」

「リカルド……どうしたの?」

「俺もイブーロに連れて行ってくれ!」

「はぁ? 何言ってるのよ、あんた家を継ぐんでしょ」

「いやだ! 俺もイブーロで姉ちゃんみたいに暮らしたい」


 二人の話からすると、リカルドはオーガの犠牲となったと思われる兄コルデロの代りに家を継ぐことになったらしいが、本人の意思ではないらしい。


「イブーロに行って、何をするつもり?」

「冒険者に決まってるだろう」

「はぁぁ……あのねぇ、冒険者っていうのは、あんたが考えているほど楽じゃないのよ」

「分かってるよ。でも姉ちゃんだって、そこの猫人だって冒険者やってるじゃん。俺にだって出来るさ」

「はぁぁ……」


 ミリアムは額に右手を当てて、二度三度と首を振りながら深い溜息をついた。


「あんたねぇ、このニャン……こちらのエルメール卿とただの猫人を一緒にするんじゃないわよ」

「えっ、エルメール卿って……あ、あの名誉騎士様のエルメール卿?」

「そうよ……」

「失礼いたしました!」


 ミリアムから俺が何者か聞かされると、リカルドは這い蹲って頭を下げた。


「うちの弟が何かしたの?」

「ちょっと強がって話し掛けてきただけだから、気にしなくていいよ」

「はぁ、もうやんなっちゃう……」


 たぶんミリアムの目には、リカルドが恐ろしく世間知らずに見えているのだろう。

 だが、田舎の村に暮らしている猫人なんて、多かれ少なかれこんな感じだ。


 体の大きな人種の顔色を伺い、人目の無いところではダラダラと時間を過ごす。

 イブーロのような街に出て、それでは暮らしていけないのだと思い知らなければ、猫人の気質は抜けないのだろう。


「いい? エルメール卿は論外だし、あたしもチャリオットに置いてもらっているけど、まだまだ見習いもいいところだし、今のあんたがイブーロに行っても貧民街……は無くなったけど、とにかく食べていくことさえ出来ないわよ」

「そんなことはないよ、俺だって食っていくぐらいは出来るよ」

「あたしは出来なかったわよ」

「えっ……?」

「あたしはイブーロに行っても仕事につけず、手持ちのお金も無くなって途方に暮れていたところをシューレに拾われたの。あのままでいたら、当時はまだあった貧民街に流されて、体を売って暮らす羽目になってたはずよ」


 シューレに拾われた経緯までは話していなかったのか、リカルドは口を半開きにして驚いている。

 ミリアムも、うちの兄貴も、殆どの田舎育ちの猫人は、街にさえ行けば何とかなると思っているだろうが、そんなに現実は甘くない。


「で、でも……」

「無理よ。あんた、自分の姿をエルメール卿と見比べてみなさい」

「えっ……?」


 昨夜はレイラの抱き枕にされて寝汗をかいたから、起きてから水浴びをして洗濯した服に着替えている。

 当然、漆黒の毛並みはふわふわでつやつやだし、最近開発した空属性魔法のスチームアイロンでシャツもズボンもピシっと皺一つ無。


「あっ……あぅぁ……」


 今更ながらに、俺やミリアムとの身だしなみの違いを思い知らされて、リカルドは言葉を失っていた。


「あんたが悪いんじゃないわ。エルメール卿の家族も同じような感じだって言ってたし、田舎暮らしの猫人はこんなものなんでしょう。でも、それじゃあ街では暮らせないの。今のあんたがイブーロに行っても、誰も仕事を世話しようなんて思わないし、何の技術も持っていなかったら、やっと手にした仕事も上手くいかないと思うわ」


 俺に駆け寄って来た時のリカルドは、顎を上げ、胸を反らして精一杯の虚勢を張っていたが、肩を落としてすっかり猫背になってしまった。


「あんたが、どうしてもイブーロで暮らしてみたいと思うなら、トローザ村のみんなから頼りにされ、村長からも認められるような男になりなさい。でなければ、イブーロに行っても何も出来ずに尻尾を巻いて帰る羽目になるわよ」


 リカルドは二度、三度と俺と自分を見比べると、無言のままトボトボと去って行った。


「はぁ……兄さんには悪いけど、いなくなってくれて良かったかも。あんな調子のままリカルドがイブーロに出ていたらと思うとゾッとするわ」


 コルデロが家を継いでいたら、リカルドは来年の年明けにはイブーロに出て仕事を探す予定だったらしい。

 貧民街が崩落によって無くなり、その後、うちの兄貴やミリアムのように仕事探しに失敗した人間がどうなるのか知らないが、良い待遇を与えられているとは考えにくい。


 それでも、職業訓練所を作るという話を聞いたし、いくらかでも状況が改善されていると思いたい。


「はぁ……ホント世間知らずで嫌になるわ」

「しょうがないんじゃない? 誰かさんの弟みたいだしぃ……」

「はいはい、あたしも世間知らずな女でしたよ」


 ミリアムと弟の一悶着はあったものの、いざ出発となった時には、村長の屋敷にいる全員が出て来て見送ってくれた。

 到着した時とは雲泥の差だけれど、今回の一件で村長のオブライトも勉強になったと言っていたから、次に来る冒険者の待遇は改善されるだろう。


 村長の屋敷を囲む防風林を出ると、畑には農作業に勤しむ村人の姿があった。

 枯れかけていた作物も、昨夜の夕立と夏の日差しによって活力を取り戻し、青々とした葉を茂らせている。


 ミリアムは馬車の後ろの煽り戸に掴まり、こちらに気付いて手を振る村人に手を振り返しながら、村が見えなくなるまで立ち尽くしていた。

 林の向こうに見えなくなっても、ミリアムはトローザ村の方角を眺めていたが、やがて馬車の後ろを離れてシューレの膝の上に腰を下ろした。


 シューレに抱えられて頭を撫でられ、目を細めているミリアムは服を着せられた猫そのものだが、俺もレイラの膝の上で同じ状態だから何も言えない。

 あっ、あっ、喉は駄目ぇ……。


 暫く目を閉じていたミリアムが、ふっと目を開いて俺に視線を向け、ちょっと溜息をついてから話し掛けてきた。


「ねぇ、本当に旧王都から一日で帰って来られるの?」

「んー……天候次第だけどね」

「あたしが一緒でも?」

「うん、ミリアムと兄貴ぐらいなら乗せて来られると思うよ。にゃにゃっ、レイラ、耳ふーは駄目だって……」

「はぁ……頼りになるのかならないのか良く分からないけど、その時はお願いするわ」

「うん、一応、遺書はしたためてから乗って」

「はぁ? 遺書ですって?」

「あー……でも、俺と体をロープで結んでおけば大丈夫かなぁ……」


 飛行船で空を飛んでいる時に、万が一墜落するような事態になったとしても、空属性魔法を使えば自分の体を空中に固定することは可能だから、ロープで繋いでおけばミリアムも兄貴も墜落しないで済むだろう。


「ねぇ、ニャンゴ。私は乗せてくれないの?」

「んー……レイラは重い……んにゃぁ、ひ、髭引っ張らにゃいで……」

「何か言った?」

「にゃ、にゃんでもにゃいです……前向きに検討させていただきます」

「まぁ、嬉しいわぁ……」


 密着してる状態では、どうやってもレイラには敵いそうもない。

 というか、シューレの無言の圧力が凄いんだけど……。


「シューレも、ちゃんと考えるから……」

「よろしい……」


 はぁ、スカイダイビングの初心者がタンデムで飛ぶ時のハーネスみたいな物を準備すれば大丈夫かな。

 イブーロまでは、まだ暫く掛かるから、レイラの乳枕で一眠りさせてもらおう。

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