第277話 想定外

 名残り惜しいけど、休暇が終わってしまうのでイブーロに戻ることにした。

 村で暮らしていた頃は、あんなにイブーロに行きたいと思っていたのに、今では戻るのが残念に思えてしまうから不思議だ。


 今回の訪問では、一つの目標を立ててきたのだが達成出来なかった。

 それは、カリサ婆ちゃんにダンジョンに挑戦するかもしれないと匂わせておくことだ。


 いきなりダンジョン攻略のためにイブーロから旧王都に拠点を移すなんて言ったら、俺がなかなか戻って来られなくなるとカリサ婆ちゃんがショックを受けると思う。

 だから、ダンジョンに行くかもしれない……ぐらいに伝えておいて、心の準備をしておいてもらおうかと思ったのだが、それすらも出来なかった。


 カリサ婆ちゃんと二人の時に伝えようと思っていたのだが、チャンスかなと思うとイネスやキンブルが来たりして、機会を逸してしまった。

 いや、そうじゃないな、俺が伝えるのが怖かったんだ。


「婆ちゃん、またお土産持って遊びに来るからね」

「ありがとう、でも無理しなくても良いんだよ」

「無理なんかじゃないよ。イブーロからアツーカ村までなんか、俺なら一っ飛びだからね」

「でも、ダンジョンに行くんだろう?」

「えっ、どうして……」

「フォークスが話してくれたよ。ニャンゴは伝えるのが下手だから……って」


 なんだよ、兄貴。

 普段は気が利かないくせに、こんな時だけ気を回さなくてもいいのに……。


 平気なふりをして、我慢していた涙が溢れてきてしまった。


「婆ちゃん、俺……」

「ニャンゴが村を出る時から分かっていたよ。男の子はね、自分の夢に向かって真っ直ぐに進んで行くものさ」

「婆ちゃん……」

「大丈夫、何も心配なんかしていないよ。村を出たと思ったら、あっと言う間に名誉騎士様になって戻ってきたじゃないか。今度はダンジョンに行って、どんなお手柄を立ててくるのか楽しみにしているよ」

「婆ちゃん……」


 カリサ婆ちゃんが優しく俺の頭を抱きかかえてくれた。

 村を出た時には婆ちゃんの胸元に埋もれる感じだったのに、今は顔が肩の辺りに届いている。


 俺が大きくなったのか、それとも婆ちゃんが小さくなってしまったのか。

 勿論、俺が大きくなったと思いたい、俺が強くなったと思いたい。


 でも、何も心配なんかしていないと言ってるカリサ婆ちゃんの手が、小さく震えているのに気付いてしまった。

 俺がカリサ婆ちゃんを心配しているように、婆ちゃんだって俺を心配している。


 だけど、だからこそ、俺は笑って旅立たなきゃいけないんだ。


「婆ちゃん、兄貴も一緒に行く予定だし、まだ色々と準備も必要だから、出発するまでには戻って来るよ。それに、旧王都からだって俺なら一日で戻ってこられるから平気だよ」

「そうなのかい? 無理しなくて良いんだよ」

「大丈夫、無理なんかじゃないし、俺が帰って来たいから帰って来るんだからね」

「そうかい、じゃあ楽しみに待ってるよ」

「うん、婆ちゃん、イネスをお願いね」

「はいよ、任されたよ」


 村長と駐留している騎士団にも挨拶をして、村長の家の庭から空属性魔法で作った飛行船に乗って飛び立った。

 雨季が終わって本格的な夏空になり、日差しを遮る物の無い上空では日干しにされそうだが、あらかじめ用意しておいた布で影を作り、冷却の魔法陣で冷房を入れれば快適だ。


 一時間ほどのフライトで無事にイブーロまで到着したのだが、街の門で衛兵に大声で呼び止められた。

 何か緊急事態でも起こったのかと思い、街の外に着陸して門へ近づくと怒られてしまった。


「困りますよ、エルメール卿。規則ですから、街の出入りをする時には必ず門を通って下さい」

「すみませんでした」


 どうやらアツーカ村に帰る時に、拠点から離陸したのを誰かが見ていて、驚いて騎士団に通報したらしい。

 これからは、街の外から離陸すると約束して解放してもらった。


 てか、名誉騎士様の威厳とかゼロだよねぇ。

 もっと権力を笠に着て……なんて似合わないから止めておこう。


 お昼前に戻って来られたので、市場によって鮭に似たポラリッケの切り身を買って拠点に戻った。

 ご飯を炊いて、焼いたポラリッケの身をほぐして乗っけてワシワシ食べようと思っていたのだが、拠点の前庭では想像もしていなかった光景が展開されていた。


 二人の女性が手合せをしていて、一人はシューレ、もう一人は金髪の獅子人だが、背中を向けているので顔は見えない。

 ふっと息を吐いて脱力した次の瞬間、槍のごときシューレの右前蹴りが繰り出される。


 蹴り出した後に急激に速度が上がったり、思わぬ方向に軌道を変えたり、見切ったはずの間合いを超えて伸びてくる厄介極まりない蹴りだ。

 左右に躱しても軌道を変えて追ってくる、下がれば追撃の蹴りが飛んでくる。


 獅子人の女性の選択は、ガードを固めた腕で受け流しながらの突進だった。

 一見すると華奢に見えるシューレだが蹴りの威力は激烈で、棒で受けても手が痺れるほどだが、獅子人の女性はものともせずに突っ込んでいく。


 その姿は、まさにライオンが牙を剥いて獲物に襲い掛かるようだった。

 シューレの蹴りの威力を削るには、勇気をもって間合いを潰すのが正解だが、当然簡単にはやらせてもらえない。


 前蹴りが受け流された直後、シューレはコマのように体を回して左の後ろ回し蹴りを放つ。

 この蹴りも胴体を狙っているように見えるが、いつ軌道を変えるか分からない。


 このままボディー狙いなのか、それともテンプルに跳ね上がって来るのか、それとも足を刈り取りに来るのか……。

 獅子人の女性の選択は、ガードを固めての更なる突進だった。


 ガツーン……っと、とても人の体を蹴ったとは思えない大きな音が響いて獅子人の女性の体が揺れたが、シューレは追撃せずに大きく後ろに飛んで距離を取った。

 ビュっと風を切って放たれた、獅子人の女性の右のボディーフックを躱した格好だ。


 体格的にはシューレと同じくらいなのに、ガッチガチのインファイターに見える。

 今は武器を持たずに手合せしているが、どんな武器を使って、どんな戦いをするのかメチャクチャ気になる。


 再び二人が間合いを測り始めたところで、シューレが俺に気付いて構えを解いた。

 何事かと振り向いた獅子人の女性を見て、思わず叫んでしまった。


「えぇぇぇぇぇ……レイラさん?」

「あら、お帰り、ニャンゴ」

「ど、ど、ど……どうして?」

「私もチャリオットに入れてもらおうかと思って」

「はぁぁ……?」


 何がなんだか、どこから突っ込んで良いのやら、ポラリッケご飯が頭から抜け落ちてしまうほどの衝撃だった。


「だって、レイラさんは酒場のマドンナで……冒険者のみんなが憧れていて……俺がうみゃうみゃしてると睨まれて、歯ぎしりされて……えっと、えっと……」

「レイラはBランクの冒険者よ。以前はチャリオットとも組んで依頼を受けてたわ」


 シューレの言葉で、一人の人物の名前が頭に浮かんだ。


「それって、ケビ……」


 名前を口にしかけたが、言って良いものなのか迷って途中で飲み込んだが、レイラさん自身が名前を告げた。


「そうよ。ケビンが死んでしまって、冒険者を続ける気力が無くなっちゃって、それで酒場の給仕をやってたの」

「えっと……酒場はどうするんですか?」

「ダンジョンに行くなら続けられないわね」

「ほ、本気なんですか?」

「勿論、だからこうして錆び付いた体を鍛え直してるのよ」

「もしかして、シューレが言ってた、やる事があるって……」

「そぅ、でも思ったほどレイラは錆びてなかった……ニャンゴのお腹の方がヤバいかも……」

「うっ……そ、そんな事より、ライオスやガドやセルージョは知ってるんですか?」

「勿論よ。それに、私は水属性だから足りない部分を補えるわよ」


 確かに、ライオスが火属性、セルージョ、シューレ、ミリアムが風属性、ガドと兄貴が土属性で、チャリオットには水属性の冒険者がいない。

 俺が空属性魔法で魔法陣を作れば水を出すことは出来るが、水を使った攻撃魔法までは使えない。


 それに、ダンジョン内部は空気の量が限られているので、火属性の攻撃魔法を使うには限界があるし、風属性以外の攻撃魔法の選択肢があった方が良いに決まっている。


「それとも、ニャンゴは私がチャリオットに入るのは嫌?」

「それは……嫌ではないですけど……」


 むさ苦しい水属性の冒険者が加わることを考えれば、レイラさんの方が一兆倍良いに決まっている。

 でも、遠征先でご奉仕させられてしまうのはちょっと……。


「大丈夫、レイラの毒牙からは私が守ってあげる……」

「あら、どういう意味かしら、私はニャンゴの癒しを担当してあげる予定だけど……」


 シューレにはミリアムを、レイラさんには兄貴を派遣すれば俺の安眠は守られるのだろうか。

 というか、こんな綺麗どころを二人も連れたパーティーなんて、他から要らぬ妬みや恨みを持たれたりしないか、そっちの方が心配だ。

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