第273話 人生を変える出会い
「君、どうしたんだ、こんな雨の中を……」
肩を掴まれて揺さぶられるまで、ミゲルは前から歩いてきたヒョウ人の騎士見習いの存在に気付いていなかった。
片思いをしていたオリビエに勢いで告白したものの、ぐうの音も出ないほどに説教されてしまい、衝撃のあまり学校の敷地を雨に濡れながら彷徨い歩いていたのだ。
「あっ……いや……大丈夫です」
曖昧に誤魔化して、その場を立ち去ろうとしたが、ヒョウ人はミゲルの肩を掴んだまま放そうとしなかった。
「とても大丈夫そうには見えない。良かったら、私に話してみないか? 何があったか話すだけでも気持ちが楽になるぞ」
ミゲルの肩を掴む力強さとは裏腹に、ヒョウ人の言葉は温かく優しかった。
「お、俺は……俺……うっ、うぅぁぁぁぁ……」
春分の休みが終わって二学年に上がってから、ずっと孤独な時間を過ごしてきたミゲルの心は限界を迎えていた。
自分はアツーカ村の村長になる男だ、他の連中とは違うという安っぽいプライドが邪魔をして、ミゲルは弱みを晒せずにいたのだ。
声を上げ、幼子のように号泣するミゲルをヒョウ人は詰所の一室へと連れていった。
この子は、このまま帰してはいけない、それがヒョウ人の騎士見習いヒューゴの判断だった。
ミゲルは連れて行かれた詰所の一室で、三十分以上も泣き、叫び、喚き続けた。
鬱屈した思いと涙が枯れ果てて、ようやくミゲルが落ち着きを取り戻した頃、ヒューゴが湯気の立つカップを差し出した。
「ミルクカルフェだ。飲むと気分が落ち着くぞ」
「ありがとうございます……」
冷静さを取り戻したミゲルは、そのまま消えて無くなりたい気分だった。
それぐらい、恥ずかしい内容を喚き散らしたという自覚がある。
「そうか、あのエルメール卿の幼馴染か……大変だな」
「騎士見習いのあなたには分からないですよ」
「そうでもないぞ、私もエルメール卿と張り合って痛い目を見ているからな」
「えっ……?」
ヒューゴは、ニャンゴと張り合って射撃場の的を壊しても良いから思いきり魔法を撃ってみろと言ってしまい、壊れた的の代金を給料から差し引かれたとミゲルに話した。
その場には、ミゲルも立ち会っていたのだが、その時の騎士見習いと目の前のヒューゴは印象が違っているように感じた。
「あの的、いくらすると思う?」
「分かりません」
「私の給料三か月分だよ。いや、本当にまいったよ……」
三か月給料無しだったため、休日に同僚と息抜きに出掛ける事も出来ず、食事は三食宿舎の食堂で済ませる羽目になったそうだ。
話を聞いて、ミゲルはヒューゴに親近感を抱くと同時に、片や『巣立ちの儀』でスカウトされた者と見向きもされなかった者との格差も感じてしまった。
「俺も、あなたぐらい魔力が高かったら良かったのに……」
「それは、巣立ちの儀の話かい?」
「そうです。俺も騎士団からスカウトされるぐらいの魔力があれば……」
「選ばれた者が言っても説得力は無いかもしれないが、あんなものはただの目安にすぎないぞ」
「えっ……?」
「君も魔法を使った事があるならば分かるだろう、思い通りにいく時もあれば、全然上手く発動させられない時もある。たった一回、生まれて初めて使う魔法で、その後の実力を完全に把握するなんて出来やしないさ。実際、冒険者の中には独自の技術や経験を積み重ねて、我々騎士より腕の立つ者もいる。エルメール卿は、その典型だろう」
ミゲルはヒューゴの言葉を聞いて呆然としてしまった。
言われてみれば全くその通りで、たった一度の魔法でその後の未来を占うなんて出来るはずがない。
「じゃあ、なんで巣立ちの儀でスカウトするんですか?」
「あれは、教会の権威付けだったり、長年の習慣であったり、民衆のためのイベントといったところだな。実際、騎士の見習いになれば分かるが、一度きりの魔法よりも、その後にどれだけ訓練を積むかの方がよっぽど重要だ。ただ、一つだけ意味があるとするなら、スカウトされた者達は、人生に一度きりのチャンスで結果を出せる強運の持ち主なのは確かだ」
「運……だけですか?」
「逆に言うなら運任せで選ばれる訳だが、運も馬鹿には出来ないぞ。先日の貧民街の崩落で、エルメール卿と共に裏社会の幹部を逮捕するために踏み込んだ騎士がいた。貧民街の中心部近くで崩落に巻き込まれたのに、何人もの騎士が偶然隠し通路へと転落したことで助かっている。あの人達は、やっぱり強運の持ち主だと思うな」
騎士としてスカウトされる人達が、魔力が高く、しかも強運の持ち主だとミゲルは理解したが、自分がこの先どうすれば良いのかが分からなかった。
「俺は、どうすれば……」
「幼馴染達に追いついて肩を並べたいか?」
「勿論! でも、どうすれば良いのか……」
「エルメール卿と肩を並べるのは大変だぞ」
「それは、分かってます。でも、僅かでも可能性が残っているなら……」
ミゲルの口をついて出た言葉は、オリビエから伝えられた言葉だった。
ニャンゴやオラシオに置いて行かれるのも嫌だが、何もせずにオリビエにまで置いて行かれるのだけは絶対に嫌だと感じていた。
「そうか、それならば、君が身に付ける物は二つだ」
「二つ……何ですか、教えて下さい」
「うむ、一つ目は謙虚さだ」
「謙虚さ……?」
「ミゲル、話を聞く限りでは、君は村長の孫という環境に甘え、他人の成長や己の至らなさを認めずに来た……違うかい?」
「そう、です……」
「まずは、そこから認めよう。駄目な自分は誰だって認めたくないものだが、それは考え方の問題だ」
「考え方……ですか?」
「そうだ。自分の駄目な部分は、見方を変えれば成長できる余地でもある。せっかく成長するための伸び代があるのに、そこから目を背けるのは勿体ないと思わないか?」
「成長する伸び代……」
これまでのミゲルにとって、他人より劣っている部分は、恥であり目を背け認めずにきたものだった。
「ミゲル、君はまだ若い。まだまだ成長してゆける。それなのに、伸び代から目を背けてしまうのかい?」
「でも、恥ずかしい……」
「そうだな、他の者が出来ることを上手く出来ないのを恥ずかしいと思うのは当然だろう。だが、それを放置しておくと、ずーっと恥ずかしいままだ。一時の恥を忍んで訓練を行って克服してしまえば、それから先は恥ずかしいと感じることは無くなり、自信に変わるぞ」
「自信……」
それは、祖父の地位に頼り切ってきたミゲルにとって、決定的に欠けているものだ。
勉強も、魔法も、武術も、自分の力で行う事では、何一つ他人に誇るものが無い。
祖父に頼り切りだから自信が無く、自信が無いから祖父に頼り切って威張り散らしてきたのがミゲルという人間だ。
「自信をつけたいか?」
「はい、勿論!」
「だったら、もう一つの大切なものを身に付けろ」
「それは何ですか?」
「二つ目の大切なもの、それは……筋肉だ!」
「えっ……?」
心構えのようなものだと予想していたミゲルは、右腕をぐっと曲げて力こぶを作ったヒューゴの姿に呆気に取られた。
それと同時に、以前と印象が違うと感じた理由に思い当たった。
以前は細身に見えたヒューゴだが、今は制服がはち切れんばかりのゴツい体つきになっている。
「ミゲル、私達とエルメール卿の決定的な違いが分かるかね?」
「あっ……体格」
「そうだ、猫人を差別するつもりは無いが、どんなに頑張ったところで我々と同じ体の大きさにはなれない。筋力において、エルメール卿は決して私を超えることは出来ないのだよ」
一瞬、納得しかけたミゲルだが、筋肉だけで魔法の腕前の差は埋まらないと考え直し、それをヒューゴに伝えた。
「勿論、それは十分に理解している。だが、問われているのは総合力だ。当然、魔法の訓練も行うが、それでも足りない部分を埋める役割は果たしてくれる。それに、魔法には属性魔法、刻印魔法の他に身体強化魔法がある。仮にエルメール卿の筋力を1、私の筋力を3だとしよう。これが身体強化魔法で倍の力を発揮出来るようになったら、どうなると思う?」
「1の倍は2、3の倍は6……」
「そうだ、筋力の差も倍になるんだよ。これでも役に立たないと思うかい?」
ニャンゴはゼオルから身体強化魔法の手ほどきを受けて、自分との筋力差を縮めていることをミゲルは思い出した。
実際には、前世の知識を活かした工夫を重ねて、ニャンゴは規格外の身体強化魔法を使えるのだが、ミゲルは知らない。
「でも、僕は身体強化魔法を使えないから……」
「教えてほしいかい?」
「勿論です!」
「教えても構わないが、条件がある」
「何ですか、何でもやります!」
「言ったな。その言葉に嘘や偽りは無いだろうな?」
それまでの親し気な空気を消して、表情を引き締めたヒューゴの眼差しに怯みそうになりながらも、ミゲルは視線を逸らさずに声を張り上げた。
「あ、ありません!」
「いいだろう、付いて来たまえ」
ヒューゴがミゲルを連れて行ったのは、騎士団の訓練施設だった。
現代風に言うならばトレーニングジムで、鉄製や石製の重りや懸垂用のロープなどの設備が置かれている。
訓練施設の入り口には受付があり、中年の男性が座っていた。
「ヒューゴ、その生徒さんは?」
「キエラスさん、彼はエルメール卿の幼馴染で、少々劣等感に苛まれているようなんです」
「ほぅ、その劣等感を解消するために……か?」
キエラスは、グッと腕を曲げてヒューゴ以上に見事な力こぶを作ってみせた。
「そうです、生まれ変わるための……です」
ヒューゴもキエラスに負けじと、両腕で力こぶを作ってみせる。
「ミゲル、キエラスさんに教わって体を鍛えろ、体が出来上がる前に身体強化を覚えても良い事は何もないからな」
「そうだ、ヒューゴの言う通りだ。全ての基礎は筋肉だぞ」
ヒューゴやキエラスだけでなく、施設を利用している者は全員が巨人ごとき体格の持ち主だ。
何でもやりますと宣言したことをミゲルは後悔し始めていたが、既に手遅れだった。
「学校の方へは、私からも話をしておこう。今日から毎日、授業が終わったら鍛錬に通いたまえ」
「今日からって……」
「さぁ、始めるぞ。私に何でもしますと言ったのだ、約束を違えることは許さないぞ」
ヒューゴがぐいっと胸を張ってミゲルに迫ると、筋肉の圧に負けて制服のボタンが弾け飛ぶ。
「は、はひぃ……分りました……」
ミゲルも圧に負けて、首を縦に振るしかなかった。
三時間後、ボロ雑巾のようになったミゲルは、ヒューゴの小脇に抱えられて学生寮へと帰還した。
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