第274話 トラウマ
里帰り三日目、雨が上がったのでキンブルを連れて山に薬草の採取に行くことにした。
カリサ婆ちゃんに薬草の在庫具合を確かめて、さぁ出掛けようとしたらキンブルに呼び止められた。
「ニャンゴさん、山に入るなら騎士団に断りに行かないと駄目ですよ」
「えっ、騎士団に……?」
ハイオークが率いていたオークの群れを討伐した後、ラガート騎士団は部隊の一部をアツーカ村に駐留させている。
村の人間が山に入る時と戻った後には、騎士団に声を掛けるようにしているそうだ。
「そっか、じゃあ挨拶に行こう」
「はい」
村長宅の中庭に駐留しているラガート騎士団に顔を出すと、雨の間に使っていた雨合羽などを一斉に干していた。
湿ったままにしておくとカビが生えたりするし、手入れをしないと防水性が失われてしまうからだ。
その点、俺の場合は空属性魔法で作った傘やレインウエアを使っているので、手入れをする必要は全くない。
キンブルに話すとめちゃくちゃ羨ましがられた。
「いいですねぇ……俺は雨季の間は諦めて濡れながら薬草を摘みに行ってましたよ」
「あぁ、分るよ。雨合羽は蒸れるから、雨に濡れなくても汗でびっしょりになっちゃうもんね」
「そうなんですよ。どうせ濡れるなら、雨合羽を着ない方が涼しいですし……」
「でも、日によっては気温が下がるから気を付けないと駄目だぞ」
「そうなんですよねぇ……」
ちなみに、改良版の空属性魔法のレインウエアは、除湿機能と冷房機能も備えているので、雨中での長時間の作業も快適だ。
「おはようございます」
「これは……エルメール卿、おはようございます」
天幕の外に立っていたトラ人の騎士に声を掛けると、敬礼を捧げられた。
俺も敬礼を返したのだが、やっぱり本職のように決まっていない感じがする。
「薬草を採取するのに山に入ろうと思っているのですが……」
「どちらの山に入られる予定ですか?」
「川を向こう岸から遡って、沢沿いに北の方向へ行こうと思っています」
実は、北側の山は騎士団から入山を控えるように言われているそうで、そちら側に多く生える薬草が不足気味だとカリサ婆ちゃんに言われた。
「北側ですか……エルメール卿でしたら大丈夫だと思いますが……」
トラ人の騎士はキンブルの顔を眺めて、表情を曇らせた。
「魔物が増えているのですか?」
「はい、今のところはゴブリンやコボルトなどが殆どですが、例年よりも数が多いようです」
ゼオルさんに指導を受けながら、総出でゴブリンなどの巣を討伐する村のおっさん達とは違って、普段から厳しい訓練を積んでいる騎士たちは数名でゴブリンの群れを圧倒する。
アツーカ村に駐留するようになってから、北側を中心として山を巡回し、群を見つける度に山の奥へと追い散らしているそうだ。
「アツーカ村は四方を山に囲まれているから、北側だけ押さえても仕方ないような気もしますけど……」
「そうですね。普段であれば仰る通りなのですが……」
「その様子だと、かなり数が多いみたいですね」
「はい、山に入れば、ほぼ毎回ゴブリンなどの群れに遭遇します。討伐も考えているのですが、血肉を処理しないと新たな魔物を呼び寄せることになりますので、対応に苦慮しているところです」
はぐれもののゴブリンを討伐する程度なら、死骸を放置しても大きな影響はないが、何頭もの群れを討伐した場合、別の群れや大型の魔物を引き寄せる恐れがある。
「一回、二回討伐する程度では、解決出来なそうですか?」
「はい、群れを作る魔物は、今ぐらいの時期に新しい縄張りを求めて移動します。縄張りが落ち着く夏の盛りの頃までは警戒が必要だと思われます」
村にいた頃、今の時期にも北側の山に入っていたが、それほど頻繁に魔物には遭遇
しなかった。
今日、キンブルを連れて行くのも、夏の間に涼しく過ごせる沢筋の穴場を教えてやろうと思ったからだが、そんなに頻繁に魔物が現れているのでは心配だ。
いくら涼しく過ごせても、魔物に襲われる恐れがあるのでは、おちおち昼寝も楽しめない。
ただ、不足気味の薬草もあるし、村の安全という面では山の様子も確認しておきたい。
「少しお待ちいただけるなら、うちの者を同行させますが……」
「ご迷惑じゃありませんか?」
「いいえ、どうせ巡回には行く予定ですし、エルメール卿に同行していただけるなら、私共としても心強いです」
「では、お願いいたします」
ラガート騎士団から三人が同行して、西の山から北へ向かうルートで進むことになった。
沢筋は、昨日までの雨で増水しているようなので、キンブルに避暑地を教えるのは断念した。
「エルメール卿がブロンズウルフを討伐されたのは、こちらの方向じゃないですか?」
「そうです、そうです。もっと奥に入った方向ですね」
ブロンズウルフの討伐は、俺が村を出てイブーロへと移り、冒険者として本格的に活動する切っ掛けとなった出来事だ。
それだけに、同行した騎士たちは討伐の様子を聞きたがり、色々と質問をぶつけて来た。
「私はブロンズウルフの実物を見たことが無いのですが、やはり大きいのですか?」
「はい、ゴブリンを三口ぐらいで食べ終えてしまうほどです」
「討伐の時には、冒険者が何人も犠牲になったと聞きましたが」
「そうですね。食われたり、後ろ足の蹴りを食らったりして数人が犠牲になりました」
「止めを刺したのは、エルメール卿の炎の槍だと伺いました」
「えぇ、こんな感じのものを、もっと強力にしたものです」
ミニチュア版のフレイムランスを作ってみせると、騎士たちは目を見開いて見入っていた。
「あっと、いけない。キンブル、そこにニガヨモギの群生があるから……キンブル?」
「は、はい? 何でしょう、ニャンゴさん」
騎士たちとの話に夢中になって薬草の採取を忘れるところだったが、声を掛けたキンブルは真っ青な顔をしてダラダラと汗を流していた。
「どうしたの、具合が悪いの?」
「い、いいえ! 大丈夫です、ホントに、全然平気です!」
言葉とは裏腹に、キンブルの呼吸は荒く、目の焦点も合っていない感じだ。
「そうか、炭焼き小屋か……」
「うっ、うぅぅぅ……」
村の西側の山は、俺にとっては冒険者として活躍した思い出の場所だが、キンブルにとってはコボルトの群れに追い掛けられて炭焼き小屋に逃げ込んだ悪夢の地だ。
その時の事を思い出したのだろう、キンブルは涙を流しながらガタガタと震え出してしまった。
「キンブル……キンブル……」
「怖い……怖いよぉ……」
「キンブル、聞いて、キンブル!」
「は、はい……ニャンゴさん」
「大丈夫だから、もう、あの時の俺じゃないし、あの時のキンブルじゃない。落ち着いて、ゆっくり息をして」
「は、はい……すー……はぁー……」
キンブルが落ち着くのを待って、ゆっくりと話を進める。
「いいかい、キンブル。良く思い出してごらん、あの時は群れが近くにいると思わないでコボルトの子供を傷つけたんだよね?」
「はい……そうです。ミゲルさんが大丈夫だって言ったから……」
「全く、ろくな事しないよね、ミゲルは……」
俺が大げさに呆れた顔をしてみせると、少しだけキンブルの表情が和らいだ気がした。
「どんな魔物だって、子供を傷つけられれば、守ろうと襲い掛かって来る。魔物だけでなく、鹿やイノシシだって子連れの場合は気を付けないといけない」
「はい……すみませんでした」
「それに、討伐する必要が無い場所で、魔物に攻撃を仕掛けるのも無意味だよね」
「そうですね。確かに、意味の無いことをしたと思います」
「コボルトの群れに囲まれて、炭焼き小屋の中で怖い思いをしたよね」
「はい……今にも扉が壊されそうで、凄い唸り声が聞こえてきて……もう駄目だって思いました」
「うん、俺も無茶をやって左目を潰されて、ゼオルさんが来てくれなかったら死ぬところだった」
「はい……」
「でも、俺たちは生き残った。怖い思いをしたけれど、こうして生きている。だったら、その怖い思いを教訓として役立てないともったいないよ」
「教訓……」
「そうだよ。こんな行動をすれば、危険な目に遭うって分ったんだから、繰り返さなければ怖い思いをしないで済む。教訓として活かせば、身を守る役に立つんだよ」
「身を守る……」
単純に怖かったという記憶としてだけでなく、これから活かしていく教訓として考え始めたからか、キンブルの視線が落ち着きを取り戻したように見える。
「キンブル、山に入るのは危険を伴うけど、薬草という恵みを手にするには避けては通れないよね」
「はい」
「でも、備えをして、注意して進めば危険は避けられる」
「これ……ですね?」
キンブルは、手にしている鉄の輪の束を持ち上げてみせた。
鉄がぶつかり合う音を立てると、ゴブリンなどの小型の魔物は武器を持った人間がいると感じて近付いて来ない。
「そう、その他にもニガヨモギの粉で匂いを消したり、常に周囲に気を配ったり、けもの道を避けたり、方法は一つだけじゃない」
「はい」
「それに、ゼオルさんから棒術も習ってるよね」
「はい、でもまだ全然自信は無いです」
「それでも、一つ一つの積み重ねがキンブルを成長させて、危険に対処できるようにしてくれているんだよ」
「俺も成長してるんでしょうか?」
「勿論、ミゲルと一緒だった頃とは雲泥の差だよ」
「はい、そうですね」
「じゃあ、もう大丈夫だね」
「えっ、あっ……あんなに怖かったのに」
キンブルが落ち着きを取り戻したので、薬草の採取をしながら先へ進むことにした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます