第270話 村娘の歩む道

「イネスには、お肉を余分に入れてあるからね」

「ホント? ニャンゴ大好き!」


 ホントは余分になんか入れてないけど、そう言うだけでイネスの機嫌は直った。

 まったく安いな、イネス。


 空属性魔法の練習を兼ねて家まで送っていったら、イネスの両親にえらく恐縮されてしまった。

 昔、何度か遊びに来た時には、あまり良い顔をされなかった記憶があるけど、やはり名誉騎士に叙任され、オークの群れから村を守ったからだろう。


 今夜のメニューは、ヴェルデクーレブラのシチューに夏野菜のチーズ焼き、それにイブーロで買って来たバゲットを切り分けて添えてある。

 アツーカ村には本格的なパン屋は無いので、普段食べているのはナンのようなパンだ。


「さぁ、食べようか。みんな、遠慮しないで食べてね」


 シチューはカリサ婆ちゃんに火加減を見てもらっていたので、ヴェルデクーレブラの肉がホロホロになるまで良く煮込まれていた。


「熱っ、でもうみゃ! ヴェルデクーレブラはコクがあって、うみゃ!」

「ニャンゴ、これすっごく美味しい、こんな肉は食べたことないよ」

「うん、牛とも豚ともオークとも違って噛みしめるとジュワーっと旨味が溢れてくる感じで……うみゃ!」


 普段は、すごい勢いで肉を消費するイネスだが、余程ヴェルデクーレブラが美味しかったのか、珍しく確かめるように噛みしめている。


「どう、婆ちゃん……」

「あぁ、とっても美味しいよ。ニャンゴ、いつの間にこんな料理を覚えたんだい?」

「これは、市場で作り方を教わってきたんだよ。ヴェルデクーレブラを扱う肉屋のおじさんに、どうやったら一番美味しいのか聞いたんだ」

「そうかい、そうかい、素直に人に教えを請えるのはニャンゴの良いところだよ」

「えへへ……そうでもないよ」


 キンブルもシチューに目を見開いていたけど、今はバゲットを堪能している。

 外側のカリカリの部分だけを食べたり、内側のムチムチの部分だけを食べたりしている。


「キンブル、バゲットにシチューを付けて食べると美味しいぞ」

「こ、こうですか? んーっ! 美味しい、こんなの初めて食べた」


 シチューを食べ終えた後、最後にお皿に付いているのをバゲットで拭い取って食べるんだよ……って、教える前にイネスはバゲットを食べ終えていた。


「あーっ、もうニャンゴ、もっと早く言ってよ!」

「しょうがないなぁ……まだバゲットあるから切ってきてあげるよ」

「ホントに? ニャンゴ大好き!」

「はいはい、バゲット大好きでしょ……」


 バゲットは少し余分に買ってきたから、イネスに追加しても大丈夫だけど、イネスの体重が心配だね。

 まぁ、本人には言わないけどね。


「夏野菜もうみゃ! キンブルの家のナスとチーズで、うみゃ!」

「今年は雨が多いですけど、日の差す時間もあるので野菜の生育はまずまずです」

「そっか……婆ちゃん、薬草の生育はどう?」

「薬草には良い雨だね。あとは日照りが来なけりゃいいね」


 薬草の多くは、森の木陰に生えるので、日照りが続くと生育が悪くなるのだ。


「そう言えば婆ちゃん、イネスはちゃんと修業してる?」

「な、なに言ってるのよ、ニャンゴ。ちゃんとやってるに決まってるでしょ。ねぇ、カリサさん?」

「うふふふ……そうだねぇ」


 婆ちゃんの意味深な笑いが、全てを物語っているような気がする。

 でも、イネスが怠けているにしては婆ちゃんの機嫌が悪くないのは何故だろう。


「婆ちゃん、キンブルは一生懸命やってるんでしょ?」

「あぁ、キンブルは良くやってくれてるよ。力も強いし大助かりだよ」


 うん、やっぱりイネスの時とは反応が違う。

 キンブルが真面目に修業してくれるなら安心だけど、イネスの今後がちょっと心配だ。


「どおれ、お茶はあたしが淹れてあげようかね」

「じゃあ、その間に洗い物しちゃうよ。キンブル、食器を運ぶの手伝って」

「はい、分りました」


 あえて声を掛けなかったけど、イネスは椅子にドッカリと座ったままで、動かざること山のごとしだ。


「婆ちゃん、やっぱりイネスはサボってるんでしょ?」

「さぁて、どうだかねぇ……」


 またカリサ婆ちゃんは意味深な笑みを浮かべてみせる。

 何か思うところがあるのだろうか。


 カリサ婆ちゃんがお茶を淹れる間に洗い物を片付けて、台所から居間へと戻ってみると、イネスは座ったまま船を漕いでいた。


「はぁぁ……何というか、力が抜けるねぇ……ほら、イネスお茶だよ」

「うーん、美味しそう……」

「駄目、駄目! イネス、それは俺の頭だから、齧らないでぇ!」

「あれっ? バゲットがニャンゴに化けた……」

「化けないよ、なに寝ぼけてるんだよ、まったく……」

「うーん……もう食べられないよぉ……」

「はぁぁ……いつからこんな、いや、イネスは元からこんな感じか」


 半分以上寝ぼけているイネスに呆れていると、お茶の入ったカップをトレイに載せてカリサ婆ちゃんが戻ってきた。


「婆ちゃん、イネスはこんな調子で大丈夫なの?」

「さぁねぇ……でもねニャンゴ、こうした事は本人がやる気にならないと駄目なんだよ」

「そうかもしれないけどさぁ……」

「さぁ、お茶をおあがり。サッパリするよ」

「わぁ、ミントティーだね。熱っ、ちょっとフーフーしてから飲む……」


 お茶が少し冷めるまでの間は、香りを堪能させてもらう。

 ミントの香りで目が覚めたのか、イネスもお茶を飲み始めた。


 改心したらしく修業に打ち込み始めたキンブルに比べて、全然子供っぽさが抜けないイネスをカリサ婆ちゃんは優しい眼差しで見詰めている。


「ねぇ、婆ちゃん、どうしてそんなにイネスには甘いの?」

「そうだねぇ……あと何年かすると苦労すると思うからかね」

「えっ……?」


 思わず同時に声を上げたイネスと目線を交わした後で、婆ちゃんに向き直った。


「苦労するって、どうして?」

「そりゃあ、女が可愛いってチヤホヤされる時期は短いからさ」

「えっ? イネスってチヤホヤされてるの?」


 聞いてみたけど、イネス本人は首を捻っている。

 でも良く考えてみると同年代の女子が少ないし、村に残って家を継ぐ連中から見たら、数少ない嫁候補の一人なのかもしれない。


「ニャンゴのように、大きな街に出た者には分らないだろうが、家を継ぐには嫁がいるし、小さな村では女の数にも限りがある。だから若い女はチヤホヤされるのさ……でもね」

「でも……?」

「誰か特定の相手を決めず、気ままに生きているうちに自分よりも若い娘たちが年頃を迎えるようになる。若い娘が足りないならば、他の村に声を掛けてみる……気付いた時には、チヤホヤしてくれていた男どもは、みーんな嫁を貰っていて、一人ぼっちなのは自分だけ……そうなった時には、頼れるのは自分の知識と経験だけさ」


 これって、もしかして婆ちゃんの黒歴史なんだろうか。

 思い当たる節があるのか、イネスの顔からは血の気が引いて真っ青になっている。


「あ、あたしはニャンゴにお嫁に貰ってもらうから……」

「やだよ。てか、まだまだ結婚なんかするつもり無いし」

「えぇぇぇ……ニャンゴ、小さい頃にあたしと結婚する約束……」

「してません、勝手に記憶を捏造しないでくれ」

「ニャンゴ、冷たい……」

「ていうか、イネスは自立しないと駄目なんじゃないの? 薬師が無理なら別の仕事をするとか、誰かに頼らない生き方を見つけるか……誰かと結婚するか」

「あっ、じゃあミゲルと結婚しようかな」

「ミゲルねぇ……イブーロの学校で一緒のキダイ村の村長の孫娘に熱をあげてるぞ」

「えぇぇぇ! 聞いてないよ……じゃ、じゃあ、そうだ! オラシオ!」

「オラシオは王都で頑張っていたから騎士になると思うし、そうなったら王都の女の子にモテモテだと思うぞ」

「そんなぁ……あたしは、どうすればいいのよ」

「知らないよ。自分で考えなよ」

「冷たい、ニャンゴが冷たい、あたしたち幼馴染なのに」

「都合の良い時だけ幼馴染とか言うな。イネスの人生なんだぞ」

「だって……」


 どうやら、イネスの性格は周囲からチヤホヤされることで形成されたらしい。

 このままだと、数年後に行き遅れて路頭に迷いそうな気がする。


「婆ちゃん、どうすればいい?」

「それは、イネス次第だよ。薬の調合は、薬草の状態によっても配合の割合を変えたり、単純に分量を量って混ぜるだけでは上手くいかない。知識と経験が物を言う仕事さ。それを覚えるならば、相応の覚悟が必要になる。イネス、あんたにその覚悟はあるのかい?」


 カリサ婆ちゃんに強い視線を向けられると、イネスは俯いてしまった。

 ぽたっ……ぽたっ……っと涙の雫が落ちる。


 よっこらせと立ち上がったカリサ婆ちゃんが、俯いたままのイネスをそっと抱きしめた。


「いきなりこんな話をされても混乱してしまうよね。だけど、何時までも先送りに出来る話じゃない。今のうちから少しずつ考えて、前に進んで行くんだよ」

「うん……」


 イネスは、カリサ婆ちゃんに抱き締められたまま、静かに肩を震わせていた。

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