第230話 白猫の思い

 今回の貧民街解体作戦には、二つの大きな目的がある。

 一つは、言うまでもなく貧民街を解体してしまうことだ。


 貧民街に暮らす人達を借金漬け、麻薬漬けの生活から救い出すだけではなく、貧民街という街を物理的に解体してしまう。

 貧民街という入れ物が無くなれば、良からぬ連中が巣食うことも無いという訳だ。


 当然、住む場所や仕事にあぶれた貧しい人たちも行き場を無くしてしまうが、そのための施設をトモロス湖の畔に設置するそうだ。

 この施設は、本来は隣国エストーレと戦争が起こった場合、王国の騎士や兵士が駐留するためのものらしい。


 その一部を一時的に貧民街から救出した人の宿舎とし、同時に職業訓練を行うそうだ。

 とにかく手に職を付けさせて、自力で生活していける能力を身に付けさせるらしい。


 作戦のもう一つの目的は、貧民街を根城としている裏社会の新しい勢力を崩壊させることだ。

 ガウジョという男を中心とした新しい組織は、勢力の拡大を急いでいるためか手口が荒っぽいらしい。


 旧勢力の幹部を殺害したり、粗悪な魔銃を使って押し込み強盗を働いたり、貧民街の住民を麻薬漬けにしたり、とにかく手口が荒っぽく悪質だそうだ。

 貧民街という入れ物を解体しても、そうした連中を取り逃がせば、ほとぼりが冷めた頃にまた暴れ出すだろう。


 手下どもを使って、新たな貧民街を作ろうと画策するかもしれない。

 下手をすれば、イブーロ近郊の集落を乗っ取るなんて可能性も無きにしも非ずだ。


 このところ、手荒な新勢力が暴れたおかげで、旧勢力の力がかなり削がれているらしい。

 ここで新勢力を一掃してしまえば、裏社会の力そのものを大きく削げる。


 娼館や賭博場などは、こちらの世界では必要悪だと考えられているようだが、それも度を超せば社会に与える悪影響が大きくなりすぎる。

 今のイブーロは、裏社会がコントロール出来る範囲から、はみ出してしまっている状態なのだろう。


 作戦は、まず貧民街の包囲から行い、次に外出の禁止を告知するそうだ。

 続いて外周の建物から立ち入りを行い、住民は財産を持って退去するように命じられる。


 そして、住民の退去が終わった建物から、順次取り壊しを行っていくらしい。

 そもそも、貧民街の建物……と言っても殆どがバラックだが、土地を不法占拠して建てられているようだ。


 そのため、退去命令を下したり、取り壊しが出来るのだろう。

 貧民街の住民の多くは、望んでそこに暮らしている訳ではないが、そこでしか暮らしていけない者も中にはいるだろう。


 そうした者達の抵抗も予想されるし、作戦は一日では終わらないはずだ。

 その一方で、裏社会の幹部たちの捕縛は、出来る限り迅速に行う必要がある。


 これだけ大きな作戦だから、相手側に全く内容が漏れずに済むとは思えない。

 それを見越して、既に貧民街からの出入りは監視されているそうで、主だった幹部が貧民街を出た時には尾行が行われているそうだ。


 作戦開始は、より多くの幹部が貧民街に滞在しているタイミングを狙うそうだが、それでも必ずしも全員を捕らえられるとは限らない。

 そして、籠城する時間が長くなるほどに、相手に画策する時間を与えてしまう。


 そこで、俺が参加する突入部隊は、貧民街の包囲が行われると同時に内部へと踏み込む手筈となっている。

 現時点での想定される滞在場所は二か所だが、貧民街の内部には協力者もいるそうで、その者が幹部連中の居場所を探っているらしい。


 俺達が作戦について聞いた三日後、ギルドから二日後に作戦を行うと連絡が届いた。

 明日の午後に強制依頼の告知が行われ、二日後の朝にギルドに集合し、昼から作戦が始められるそうだ。


 既にイブーロの主要なパーティーには作戦の内容が通達されていて、いわゆる顔の売れている冒険者達が作戦を主導する。

 チャリオットでは、ライオスとガドが職員の護衛をする前線組に指示を出す予定だし、セルージョやシューレは倉庫街の屋根から援護を行う連中に指示を出す。


 俺は突入部隊に同行し、ミリアムは留守番だ。

 今回の作戦ではギルドから強制依頼が出され、Dランク以上の冒険者は参加が義務付けられる。


 その一方で、Eランク以下の冒険者は現場への立ち入りが禁止される。

 一定レベルに満たない者が作戦に加わると、いざ戦闘となった場合に混乱を招くからだ。


 ミリアムは冒険者として登録し、チャリオットの一員として討伐にも同行しているが、まだランクはFなので作戦には参加出来ない。

 シューレからは日向ぼっこの指令が出されているようだが、本人は不満のようだ。


 貧民街の作戦に主力として参加するので、チャリオットは依頼を受けずに拠点に待機している。

 前回の遠征で使った備品の補充も終わっているし、やる事が無くてセルージョは暇そうにしている。


 俺も打ち合わせを終えてしまえば、特別やる事もないので、拠点の前庭でシューレとの手合わせを繰り返している。

 王都から戻ってきた当時は、ウエイトオーバーでまともに動けなかったが、飽食生活から抜け出したので体重はほぼ元に戻った。


 俺とシューレが手合わせをしている間、ミリアムは前庭の周囲を走らされているのだが、単調な持久走は苦手のようだ。

 そもそも猫人の性質上、変化の少ない単純作業は向いていない。


 ミリアムも手合わせをしてみたいのだろうが、俺がゼオルさんに棒術を習い始めた頃よりも遥かに体力が無いのだから諦めるしかないのだ。

 俺とシューレが手合わせを終える頃には、ミリアムもヘトヘトになっている。


 その状態で今度は魔法の練習をさせるのだから、シューレも人が悪い。

 魔力と体力は別物とは言っても、疲労困憊の状態では集中力を維持するのが難しい。


 魔法を制御するには、当然ながら集中力が要求されるから、やはり体力と魔力は別物ではないのだ。

 実際の戦闘においても、じっと安全な場所に留まって魔法を使い続けられるケースは稀だ。


 むしろ、ヘトヘトに疲れた状態でも戦わなければならない場合の方が多いだろう。

 そうした状況を想定しての訓練だと言われてしまえば、早く一人前になりたいと望んでいるミリアムは頑張るしかない。


 ここでも俺が魔力回復の魔法陣を発動させて、ミリアムはひたすら全力で魔法を発動させる。

 さすがに街中で暴風を吹き荒れさせる訳にはいかないので、風速を上げるのではなく、探知の精度や範囲を目一杯伸ばすようにシューレから指示されていた。


 シューレはミリアムと同じく風属性なので、どうやらミリアムの魔法の外側に魔法を発動させて、裏から支えたり検証しているらしい。

 風の外側に風を吹かせて検証するなんて、どんだけの精度なんだと驚かせられる。


「拠点の前の通りに街の中心部へ向かって風を吹かせ、二つ目の四つ角を右に向かい、次の四つ角までに通行人が何人いるか探知なさい」

「はい……」

「もっと弱く制御して、通行人が気付かない程度の風の流れでも探知出来るようになりなさい」

「はい……」


 魔法を力任せに発動させるのは難しくない。

 魔力指数を上げるためには、魔力切れを起こすまでひたすら魔法を使い続けるが、実戦においては最後まで戦い続けられるように魔法をセーブする必要があるし、探知魔法には精度も要求される。


 シューレがミリアムにやらせている課題は、その両方を必要とするものだ。

 ミリアムにとっては魔力の限界となる範囲で、僅かな風の流れで探知を行え、しかも体力的にはヘロヘロの状態でだ。


 魔力回復の魔法陣でブーストを掛けてる俺が言えた義理ではないが、なかなかに鬼のような所業だろう。

 まぁ限りなく好意的に見るなら、シューレにしてみれば、貧民街の作戦に参加出来ないミリアムの不満を少しでも解消してやろうという配慮なのかもしれない。


 訓練が終わるとミリアムは、体力、魔力ともにスッカラカンの状態で、シューレに風呂場で丸洗いにされ、食事は膝の上に抱えられて食べさせられ、そのままベッドに連行されて抱き枕にされている。

 それでも、折れないでいるのだから大したものだ。


 イブーロでの暮らしが長くなるにつれて、街での猫人に対する扱いや貧民街の実体なども聞かされているのだろう。

 チャリオットにいる間は、貧民街のような場所に落ちる心配は要らないだろう。


 でも、チャリオットが永遠に続くとは限らない、俺だって考えたくはないが、ダンジョンに挑戦する間に誰かが命を落とすかもしれない。

 魔物にやられなくても、病に倒れるかもしれない。


 もし今、チャリオットが無くなったとしたら、自分は一人で立っていられるだろうか。

 兄貴がアツーカ村の復興に関わりたいと言い出したのも、そうした思いからだったように感じる。


 たぶん、ミリアムもそうした思いに囚われているのではないだろうか。

 翌朝、拠点の前庭で棒術の素振りを始めた頃、朦朧とした足取りでミリアムが現れた。


「休んだ方が良いんじゃない?」

「嫌っ、どうせ明日はあたしだけ休みなんだから、今日は休まない」

「頑張るねぇ……」

「ふん、見てなさい、いつか追い付いて追い越してやるんだから……」


 ミリアムは、フラフラとした足取りでジョギングを始める。

 ふふーん、俺に追い付こうなんて千年早いね。


 俺は、まだまだ上を目指すし止まらないよ。

 まぁ、やる気だけは認めてあげようかね。

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