第221話 もう一人の弟子

 プローネ茸が生える場所を見に行った翌日、栽培場所を何処にするのか相談しに行くと、もう一人カリサ婆ちゃんに弟子入りを希望する者がいた。

 俺に睨まれて、大きな体を縮めて俯いているのは熊人のキンブルだ。


 俺が村にいた頃、ミゲルの腰巾着の一人として散々嫌がらせをされた相手だから、当然納得などしないし大反対なのだが、ゼオルさんは許可したらしい。


「お、俺……ま、真面目にやりますから……その、すみませんでした」


 キンブルは一つ年下だが、学校に通うようになった頃には俺よりもずっと体は大きかった。

 ミゲルの命令に従って、俺を捕まえるのに協力して、袋叩きに加わったことも一度や二度ではない。


 魔法が使えるようになった頃、ステップで川を渡って逃げた時には、石を拾って投げ付けてきた。

 幸い当たったのは肩だったから良かったけど、頭だったら酷い怪我をしていたかもしれない。


 魔法が使えるようになる以前なら、キンブルと一対一の状況ならば逃亡を選択していただろうが今は違う。

 こちらが見上げるような体格差があっても、喧嘩で負けるつもりは更々無い。


「さ、逆らえなかったんです。ミゲルさんは村長の孫だし……ダレスさん達は年上で力も強かったし……自分が虐められるのが怖かったんです……うぅぅ……」


 俺は不機嫌そうな顔つきで黙っていただけなのに、キンブルはポロポロと涙を流し始めた。

 はぁ……これじゃあ俺が悪者みたいじゃん。


 ゼオルさんはミゲルの腰巾着だったのを見知っていたと思うが、カリサ婆ちゃんはそうした事情は知らないらしく、俯いてしゃくり上げているキンブルの背中を摩ってやっている。


「ニャンゴ、何かあったみたいだけど、許してやったらどうだい?」


 カリサ婆ちゃんに加えて、ゼオルさんからも援護射撃があった。


「やらせてみろ、ニャンゴ。人間てのは、やり直す機会を与えやらなきゃ育っていかないもんだぞ」

「でも、ミゲルみたいなのもいますよ」

「がははは、あれは例外だな。それにな、アツーカみたいな小さな村では、今いる人材を育てていかないと村が成り立っていかなくなるぞ」


 風向きが良くなったと感じたからか、泣き止んだキンブルは上目使いで俺の顔色を伺ってきたからギロっと睨みつけておく。


「ホントに真面目にやるんだろうね」

「や、やります。身を粉にして頑張りますから、お願いします」


 この状況で跪かれて頭を下げられたら、許してやるしかないでしょう。


「はぁ……何があっても婆ちゃんに従うこと、何かあったら婆ちゃんを守ること……約束できるか?」

「します、約束します!」

「しょうがないなぁ……ゼオルさん、こいつの根性叩き直してやって下さい」

「がははは、言われるまでもない。この前みたいな事が、また起こるかもしれないんだ、村にいる若い連中は全員叩き直してやる」


 ニヤリと笑ったゼオルさんに睨まれて、キンブルは震え上がった。


「イネスも、キンブルがサボらないように見ていてね」

「任せなさい、姉弟子としてシッカリ指導してあげるわよ」

「なにが姉弟子だよ。一日しか違わないじゃないか」

「なに言ってるのよ、一日違いでも姉弟子は姉弟子よ。それに、あたしの方が年上なんだからね」

「はぁ……キンブル、イネスが暴走しないように、ちゃんと見張っておけよ」

「わ、分かりました」


 事情は全然飲み込めていないようだが、とりあえずという感じでキンブルは頷いてみせた。


「ちょっ、ニャンゴ酷い! 暴走なんてする訳ないでしょ」

「えぇぇ……この季節に服を着たまま水泳始める人がぁ?」

「あ、あれはニャンゴが水の上を歩けるなんて言ったからでしょ」

「いや、練習も無しで出来るはずもないし、普通やろうとしないでしょ」

「ぐぬぬぬ……もう、ニャンゴのところになんか、お嫁に行ってあげないからね」

「ホントに! それは助かる」

「ニャンゴの馬鹿ぁ!」


 イネスがバシバシ平手打ちしてきたけど、空属性のクッションで受け止めておいた。


「ほら、あんた達、じゃれてないでプローネ茸を栽培する場所を決めるんだろう?」

「そうだった。イネス、遊んでいると弟弟子に示しがつかないよ」

「ぐぬぬぬ……ニャンゴ、イブーロに行ってから性格悪くなったよね」

「いやぁ……色々苦労してるんだよ、これでも」

「どうだか……酒場のお姉さんとか、ギルドのお姉さんと仲良くしてるみたいじゃない」

「そ、それは……」

「ニャンゴ、どういう事だい?」

「違うよ、婆ちゃん。冒険者としてのお付き合いってだけで……」

「カリサさん、一緒にお風呂に入ったりしてるみたいですよ」

「ニャンゴ!」

「ち、違うんだって、婆ちゃん……ホントに、そんなんじゃなくて」


 はぁ、全然栽培場所の選定作業が進まないよ。

 カリサ婆ちゃんの誤解を解くまでに、えらい時間が掛かってしまった。


 プローネ茸を栽培する場所として、まず村長の家の裏手を選んだ。

 理由の一つは、大きなブナの木があるからだ。


 プローネ茸が生えていた場所は、岩場の奥の吹き溜まりのような場所で、降り積もった落ち葉が腐葉土となっていた。

 落ち葉は岩場の上に生えているサワグルミやブナの葉だったので、土の質としては近いものがあるはずだ。


 ただし、現状では日当たりが良すぎて、土が乾燥している。

 湿気に関して言うならば、村長の家の裏手には川が流れているので、壁を作って日を遮ってやれば条件が良くなる気がする。


「どうだろう、婆ちゃん」

「そうだねぇ……土を湿らせてみないと分からないねぇ」

「そっか、じゃあちょっと水を撒いてみるよ」

「あぁ、待って待って、あたしがやる」


 空属性魔法で水の魔法陣を作って散水しようかと思ったら、イネスが魔法で水を撒くと言い出した。


「えぇぇ……大丈夫ぅ?」

「あのねぇ、あたしは水属性なんだから大丈夫に決まってるでしょう」

「なんだか不安だなぁ……」


 これまで思っていたよりもイネスがポンコツ気味なので、ちょっと心配になってしまったけれど本人は自信たっぷりに魔法を発動させた。


「女神ファティマの名のもとに、水よ集まれ!」


 空中にバケツ一杯分ぐらいの水が現れて、地面へと落下した。

 発動を終えたイネスはドヤ顔で振り向いたのだが、カリサ婆ちゃんから注文が入った。


「イネス、もう少し全体的に湿らせられるかい?」

「えっ、全体的って?」

「こう、柄杓で打ち水でもする感じでやっておくれ」

「えっ、柄杓? 打ち水? や、やってみます……」


 ちょっと自信無さげに背を向けたイネスは、大きく深呼吸した後で魔法を発動させた。


「女神ファティマの名のもとに、水よ……水よ……集まってから、散らば……」


 さっきは球体となって現れた水の固まりが、今度はアメーバのようにウネウネした形になり……そのまま落下した。

 何とも言えない微妙な空気が流れる。


「婆ちゃん、やっぱり俺が……」

「待って、待って、今のはちょっと失敗しただけだから、もう一回やらせて!」


 まぁ、これまで使ってこなかった魔法を使うのだから、失敗は付きものだからやらせてあげよう。

 イネスは大きく深呼吸した後で、意を決したように両手を突き上げた。


「女神ファティマの名のもとに、水よ飛び散れ!」

「ウォール!」


 アメーバのような形で現れた水の塊は、勢い良く四方八方に飛び散った。

 なんか嫌な予感がして、素早く空属性の壁で遮ったから俺達は大丈夫だったけど、イネスはびしょ濡れになっている。


「もぉぉ……なんで、なんで、なんで上手くいかないのよぉ」

「最初から上手くはいかないよ。魔法を応用するには練習しなきゃ」

「うー……ニャンゴやって」

「はいはい、最初は桶にでも出してから手で撒いた方が楽かもよ」


 などと言いつつ、空属性魔法で作った水の魔法陣とシャワーヘッド状のケースを合わせて水を撒いていく。

 ずぶ濡れイネスは、フグみたいに頬を膨らませていた。


「婆ちゃん、このぐらいで良いかな?」

「あぁ、いいよ。十分だ」


 カリサ婆ちゃんは、湿り気を含んだ土を手で掬ってほぐし、手触りや匂いを確かめていった。


「どう、婆ちゃん」

「そうだねぇ……やっぱり少し感じが違うね」

「ここじゃ駄目かな?」

「さぁ、どうだろうねぇ……壁を作ってみて、どの程度の湿気や温度になるのか試してみないと何とも言えないだろうね」

「そっか……」

「別に、この場所に拘ることは無いんだろう? 他にも良い場所が無いか探してごらん」

「そうだね」


 村長宅の裏手の他に、二箇所ほど場所を選んで条件を整える事から始める。

 土の質、温度、湿度などの条件が整ったら、プローネ茸が生えている場所から、土ごと移植をして様子を見る予定だ。


 山の中ではなく、村の中で採取出来るようになれば良いのだが、そう簡単にはいかないような気がしてきた。

 というか、イネスが何かやらかさないか心配だよ。

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