第222話 初めて垣間見る世界 前編(カバジェロ)

※ 元反貴族派のカバジェロのその後です。


 生まれて初めて身体を鍛えた。

 体の大きな人種が鍛錬をしているのを見たことはあったが、自分でやってみようとは思わなかった。


 どんなに鍛えたところで、猫人が力で他の人種に敵うはずがないからだ。

 鍛えても無駄ならば、鍛える時間が勿体ないと感じていた。


 だが、片腕と片足を失って、杖にすがってノロノロと動いているだけではどうにもならない。

 片足を失う前と同じように走れるようになるとは思えないが、せめて歩く速度ぐらいは人並に、そして早足程度で動けるようになるために体を鍛え始めた。


 アジトの中で壁に手をついて、しゃがんだり立ったりを繰り返す。

 今までは両足で支えていた体重を左足だけで支えるのだから、二十回も繰り返すと足がプルプルしはじめ、四十回を越えたところで立ち上がれなくなった。


「くそっ、しゃがんで立つだけでこれかよ……」


 床に寝転んで、プルプルしている足を揉む。

 開拓村にいた爺さんたちが、腰が痛いとか、膝が痛いとかぼやいていたが、今の俺はもっとヨレヨレだ。


 床に寝転んだついでに、右腕だけで上体を起こしてみる。

 膝どころか、腿まで床についているのに、伏せて上げてを十回も繰り返すと腕が震えてきた。


 全然思い通りにならず、もどかしさで腹が立ってくるが、他に良い考えも浮かばない。

 翌日には、腕も足も曲げ伸ばしするだけで痛みが走って、満足に動けなくなった。


「情けねぇ、なんで猫人なんかに生まれなきゃいけねぇんだ……」


 腹立ちまぎれに杖を壁に叩きつけたら、ポッキリと折れてしまった。


「くそっ……」


 手元に残った杖を投げ捨てようとして、ゾッとした。

 今はアジトの中にいて、杖を作り直すための木切れも手に入るが、これが街中や草地の真ん中だったら、また這いつくばって移動する羽目になる。


 五体満足の頃ならば、癇癪を起して失敗したところで自己嫌悪に陥る程度で済んでいたが、この体では下手をすれば命に関わりかねない。


「駄目だ、もっと冷静にならないと生き残れねぇ……」


 ナイフで木切れを削って杖を作り直しながら、性格を改めようと思った。

 これまでだって、理不尽な扱いに対する怒りは飲み込んで生きてきた。


 それが反貴族派なんかに加わって、理不尽な思いを吐き出しても構わないと知ってしまったから、猫人でも冒険者として活躍している者がいると知ってしまったから、オークの心臓を食べて魔力が高まったから、ゴブリンだって倒せるようになったから……歯止めが利かなくなっていたのだろう。


「落ち着け、力を手に入れたが圧倒的ではない……調子に乗るな……冷静に行動しろ……」


 体を鍛える、魔法の練習をする、夜はアジトの中の木箱に入り、蓋を紐で固定して眠った。

 万が一アジトの中にまで、魔物が入り込んで来た時のための備えだ。


 昼間はアジトの近くに現れた、小頭数のゴブリンやコボルトを魔法で倒して魔石を手に入れ、臭くて旨くない肉を貪り命を繋ぐ。

 やはり肉を食うと体に力が付くのは、気のせいだけではないようだ。 


 溜め込んだ魔石が十個になったところで、アジトを出る決心をした。

 もう保存食も殆ど残っていないし、ギルドで冒険者登録をして、魔石を売って金にしよう。


 ギルドカードと金が手に入ったら、ラガート領を目指して旅に出るつもりだ。

 勿論、不安はあるが期待もしている。


 毛色も変わり、片腕片足を失ったから、貴族を襲撃した者とは思われないだろう。

 俺達を食い物にしたグロブラス伯爵を放置した貴族と、それに尻尾をふる黒猫の冒険者に鉄槌を下してやる、


 その為ならば、刺し違えても構わない。

 集めた魔石をアジトにあった布袋に詰めて、カーヤ村の冒険者ギルドを目指した。


 カーヤ村は、グロブラス領で採れた穀物の集積地で、ここから各地へと運ばれていく。

 運ばれる荷物があるということは護衛の仕事が生じるので、カーヤ村の冒険者ギルドは領内でも一番規模が大きいそうだ。


 ギルドは朝と夕方が混雑すると聞いたので、昼少し前の時間を選んだが、引っ切り無しに人が出入りしていた。

 蹴り飛ばされないように気を配りながらギルドの内部に足を踏み入れたのだが、俺に気付いた者は顔を顰めて避けていく。


 中には、これみよがしに舌打ちしてみせる者もいて、すぐに歓迎されていないと思わされた。

 どこの列に並べば良いのかも分からず、カウンター前で途方に暮れていると、ニヤニヤと笑みを浮かべた男が近づいてきた。


 細身の剣を腰に下げた鹿人の男は、俺の倍ぐらいの身長がある。

 年齢は二十代半ばぐらいで、俺と大差ないように見える。


「おい、ゴミ。臭ぇから消えろ」


 周囲からもクスクスと笑い声が聞こえてきたが、帰る訳にはいかない。

 冒険者として登録しなければ、生きていく術が無い。


 ただ、何と答えて良いのか言葉が思い浮かばず、無言で首を横に振った。

 鹿人の冒険者の顏から笑みが消え、眉間に深い皺が刻まれた。


「ちっ、面倒掛けさせんじゃねぇぞ……」

「やめてください!」


 足の運びから見て、冒険者に蹴られると思ったが、ギルドの制服姿の女性が割って入った。


「一般の方への暴力は懲罰対象となります。よろしいんですか?」

「ちっ、ちゃんとゴミは片付けておけよ」


 さすがにギルドの職員の制止を振り切ってまで痛めつける価値は無いと思ったのか、鹿人の冒険者は捨て台詞を残して去っていった。


「申し訳ございませんでした」

「いや……その……助かった」


 ウサギ人の女性職員は、薄汚れている俺にも満面の笑みを浮かべて尋ねてきた。


「本日は、どのようなご用件でございますか?」

「登録したい」

「えっ、冒険者登録ですか?」

「他に……他に生きる術が無い」


 女性職員は、一瞬憐れみの表情を浮かべたが、ブルブルっと顔を振ると軽く頭を下げた。


「失礼いたしました。登録でございますね。では、こちらにどうぞ……」


 案内されたのはカウンターの一番端、天板が一段低くなっている場所だった。

 他のカウンターでは高すぎて、伸びあがっても天板の上が見えないが、ここなら台に上らなくても手続きが出来そうだ。


「本日担当をさせていただきます、ミーリスと申します。では、こちらの書類に記入をお願いいたします」

「あっ、字は……」


 読み書きが出来ない訳ではないが、間違って書きそうで自信が無い。


「代筆いたしましょうか?」

「頼む」

「では、お名前からお願いいたします」


 名前を聞かれて、一瞬戸惑ってしまった。

 元のカバジェロと名乗ってしまうと、ラガート子爵領に入れなくなりそうなので、偽名を使うことにした、


「ジェロだ」

「ジェロさん、ですね」


 その後、住所、年齢、魔法の属性などを聞かれた。


「では、こちらの水晶球に手を乗せていただけますか?」

「こうか?」


 手を乗せた水晶球は、赤い光を強く放った。


「凄い……確かに火属性、魔力指数は374です」

「それって高いのか?」

「一般の成人男性の三倍ぐらいです。冒険者としても高い部類に入りますよ」

「そ、そうか……」


 冒険者としても魔力が高い部類に入るとは思ってもいなかったが、生まれて初めて人並み以上と認められた喜びに頬が緩んでしまう。


「ではジェロさん、この針を使って血を一滴垂らしていただけますか?」

「こうか?」

「はい、結構です」


 ミーリスが何やら操作を行うと、俺の魔力パターンと血液が入力されて登録が完了するらしい。


「ジェロさん、登録には銀貨一枚をいただきますが……」

「金は無い……でも魔石ならある」


 担いでいた袋をカウンターに載せると、ミーリスは目を見開いて驚いていた。


「これは、ゴブリンとコボルトの魔石ですね。ジェロさんが倒されたのですか?」

「そうだ、何か問題があるのか?」

「いいえ、ございませんよ。こちらの魔石は買い取りで宜しいのでしょうか?」

「そうだ、金にしてくれ」

「全部で、金貨一枚になりますが、貯金なさいますか?」

「えっ……?」


 ゴブリンとコボルトの魔石は、俺が思っているよりも遥かに高い値段で売れた。

 金貨や貯金なんて、全く縁の無い生活をしていたので、どうしたら良いのかも分からない。


「手許にお金が無いと不便でしょうから、大銀貨二枚と銀貨十枚を手許に残して、残りは貯金でよろしいでしょうか?」

「そ、それで……」


 ミーリスは、テキパキと貯金の処理を行い、大銀貨と銀貨を革袋に入れてくれた。


「以上で登録手続きは終了ですが、ジェロさん少しお時間ございますか?」

「時間は、問題無いが……」

「では、こちらにいらして下さい」


 ミーリスに連れていかれたのは、水浴び場だった。


「これは?」

「石鹸です。この粉に少し水を垂らすと泡立ちますから、それで体を洗ってください。こちらのブラシを使って背中も良く洗って、最後に水で流して下さい。ここに体を拭く布と着替えを用意しておきますから、良く身体を乾かしてから着替えて下さい」

「なんでだ……なんで、こんなに世話を焼く? 憐れみか?」

「いいえ、登録を終えたジェロさんは、このギルドに所属する冒険者です。我々職員は、所属する冒険者の質を維持するのが仕事です」

「ゴミを片付けるのか?」

「違います。ゴミなんて呼ばせなくするためです」


 捻くれた言葉を真っ直ぐな視線とともに否定されて、自分の卑屈さを思い知らされた。


「着替えを終えたらどうすれば良い?」

「私はカウンターにおりますので、声を掛けて下さい。お金とカードはお預かりしておきます」

「分かった」


 これ以上、捻くれた態度をとっても自分が情けなくなるだけなので、大人しく言われた通りに体を洗うことにした。

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