第220話 婆ちゃんの弟子
「で、なんでイネスがいるの?」
「決まってるでしょ。あたしがカリサさんの弟子一号よ」
「えぇぇぇ……イネスがぁ?」
「なに、なに、なんなのよ、その嫌そうな顔は」
「だってイネス、けっこうガサつだし……」
「酷い、ガサつなんかじゃないわよ」
「えぇぇぇ……前にシューレと一緒に危うくアカメガモを駄目にしそうになってたじゃん」
「あ、あれは、たまたまアカメガモを捌いたことが無かっただけよ」
プローネ茸が採れる場所へとカリサ婆ちゃんを案内する日、ゼオルさんの他に幼馴染のイネスの姿があった。
カリサ婆ちゃんの弟子募集の話を聞いて、真っ先に手を挙げたらしい。
「でも、イネスは山に入るの嫌いじゃなかった?」
「べ、別に嫌いじゃないわよ、ちょっと、ちょーっと面倒だと思ってただけよ」
「魔物と遭遇するかもしれないよ」
「魔物……は嫌だけど、気を付ければ大丈夫じゃないの?」
「まぁ、ニガリヨモギの粉とかで匂いを消せば大丈夫だけど……」
「えっ、もしかして、あの粉をかぶらないと駄目なの?」
「場合によってはね」
ニガリヨモギの粉は、魔物除けに使われるもので、ドクダミを千切った時の数倍嫌な臭いがする。
山で魔物に遭遇した場合には、ニガリヨモギの粉を撒いて、体にまぶして、見つからないように逃げるのだ。
鉄の輪を束ねた物を鳴らして、魔物を追い払うという方法もあるが、ゴブリンなどの魔物は恐れるが、オークでも体の大きな個体やオーガなどだと恐れるどころか狙われる場合がある。
「ニャンゴ、今から脅してどうするんだい。弟子を取れって言ったのは、あんたじゃないのかい?」
「そうだけど、イネスは頼りないからなぁ……」
「酷い! ニャンゴ、イブーロに行ってから冷たくなった。村にいた時には、もっと優しかったのに……」
「そんな事は無いと思うよ」
というか、同年代の女の子はイネスぐらいしか話したことが無かったし、ジェシカさんとか、レイラさんとか、シューレと較べると頼りないんだよねぇ。
「お前ら、じゃれてないで出発するぞ。じゃあ、カリサさんは俺が背負っていこう」
「いいや、険しくなるまでは自分の足で歩いていくよ」
「そうか、きつくなったら何時でも言ってくれ」
「すまないね」
カリサ婆ちゃんは俺が背負っていくと言ったのだが、頼りないからとゼオルさんが代わってくれることになったのだ。
別に身体強化を使えば、俺だって問題なく背負っていけるけど、オークの残党とかがいたら攻撃する側に回るとしよう。
季節は春から初夏へと移り変わろうとする時期で、山は濃い緑の香りに包まれている。
遠くから野鳥の鳴き声が響いてきて、慣れ親しんだ山は気分が落ち着く。
「婆ちゃん、ムラサキツユクサが出てきてるよ。少し摘んでいく?」
「そうだね、まぁ帰りでもいいよ」
「ゼンマイやワラビも出てるから摘んで帰ろう」
「ほら、ニャンゴ、そこにタラの芽も出てるよ」
「ホントだ、婆ちゃん、天ぷらにして」
「はいはい、フキノトウもあったら探しておいで」
村の北西から森に入って、沢筋に沿って山を登る。
途中で、イネスに薬草の生えている場所や採取の方法をカリサ婆ちゃんが教えていく。
もう少し登った辺りが、俺が毎年夏になると涼みに来ていた場所だ。
淵に魚がいたら、何匹か突いて帰ろう。
塩焼きにして、婆ちゃんの天ぷらと一緒に夕食のオカズにしよう。
傾斜がキツくなった辺りで、ゼオルさんがカリサ婆ちゃんを背負って歩く。
俺が顔を出すようになった頃は、この辺りへもカリサ婆ちゃんは自分の足で登っていたけど、今日は少し手前辺りで息を切らせていた。
元気そうに見えるけど、やっぱり年齢的な衰えがあるみたいだ。
この辺りまで山に踏み込むと魔物との遭遇が心配になるが、周囲に張巡らせた探知ビットには、今のところ魔物らしい反応は無い。
反応があった場合、粉砕の魔法陣とかだとカリサ婆ちゃんが驚くかもしれないので、雷の魔法陣で制圧するつもりでいる。
感電させて動けなくさせれば、血も流れないから他の魔物を引き寄せる心配は無い。
今日はカリサ婆ちゃんが一緒だから、解体している暇は無いから気絶する程度で勘弁してやろう。
「はぁ、はぁ、待ってニャンゴ……ちょっと、早い」
「えっ、あぁ、ゴメン。ついいつもの調子で登ってたよ」
気が付くと、イネスが息も絶え絶えになっていた。
久々に我がホームグラウンドというべき山に戻ってきたので、ちょっと気分がハイになって登るペースが速すぎたようだ。
「というか、はぁ、はぁ……ニャンゴは、ズルい。一人だけ、足場を作って……歩きやすくしてる」
「そう言われると、そうか。ステップだと滑らないし、歩幅も段差も思いのままだからね」
山には落ち葉が積もっている場所や、石が飛び出している場所、木の根が張り出している場所などがあって、それらを踏み越えていく必要がある。
場所によっては滑りやすいし、段差も大きく足を上げなければならなかったりするから、それだけでも余分な体力を消耗する。
ステップを使っていても、上り坂であることには変わりは無いが、バランスを取ったり、大きく足を上げる必要が無いから疲労の度合いは段違いだ。
「うー……あたしも空属性が良かったなぁ」
「そんな事言って、僕が空属性だと分かった時、イネスは可哀そうな子を見るような目で僕を見てたよね」
「だって、あの時は、こんなに便利な属性だと思わなかったから」
「それに、これは練習を重ねた成果だからね。イネスだって魔法の練習を続けていたら違っていたかもしれないよ」
「えぇぇ……でも、あたしは水属性だから足場は作れないよ」
「どうして?」
「水の上を歩けないのに、どうやって足場を作れって言うの?」
「どうして水の上を歩けないって決めつけてるの?」
「えっ? だって、水の上を歩ける人なんていないじゃない」
「水属性は、水を操る魔法なんだから、練習次第で水の上も歩けるようになるんじゃないの?」
「えっ、そうなの?」
「いや、分からないけど、何も無いところから水を出せるよね? 水の球とか空中に浮かべられるよね? だったら、その球の上に浮かべるかも……って思わない?」
「そんな事、考えた事も無かった……」
別に、俺も確証があって言った訳ではないけれど、魔法はイメージを具現化するものだから、本気で水の上を歩けると思えば、水属性の人なら歩けそうな気がする。
勿論、歩けるようになるには相当な練習が必要だろうし、イネスの根気が続かないだろうなぁ。
村を出てから二時間ほどで、プローネ茸が採れる穴場に到着した。
沢筋を登っていった岩場の更に奥、落ち葉が吹き溜まりになっている場所がプローネ茸が生える穴場だ。
「こんな所にあったのか……そりゃ、他の連中では見つけられないな」
ゼオルさんの言う通り、この辺りでは村の人を見掛けることは殆ど無い。
一度岩場を回り込むように登ってから、下ってこなきゃいけない場所だし、この下流は岩場が急で下りられないから、また一旦登って戻らなければならないのだ。
「俺は、足場が作れるから真っ直ぐ上がって来て、真っ直ぐ下りられますからね」
「なるほどな……さぁ、カリサさん、ちょいと足場が悪いから気を付けてくれ」
「世話を掛けたねぇ。ほうほう、上に生えているのはサワグルミやブナみたいだね」
カリサ婆ちゃんは、早速周囲の植生を調べ始めた。
「はぁ、はぁ、ニャンゴ。こんな所まで……毎日、登って、こなきゃ……駄目なの?」
「イネスは体力無さすぎ。毎日じゃなくても大丈夫だけど、薬草摘みは一箇所でやってたら、すぐに採り尽くしちゃうから、あっちの山こっちの山と歩かないと駄目だよ」
「はぁ……こんなに、大変だと、思わな……かったよ」
穴場の手前で座り込んだイネスはそのままにして、カリサ婆ちゃん、ゼオルさんと一緒にプローネ茸が生えている場所に近付く。
今日は、小振りのものが三つほど頭を覗かせていた。
「なるほどねぇ……ここは沢から吹き上がってくる風のおかげで、空気がしっとりとしている。夏になれば上の木がもっと葉を茂らすから、暑さもしのげるのだろうね」
「婆ちゃん、村でこれと同じ環境は作れるかなぁ?」
「そうだねぇ……日よけになる壁を建てて、そのかげで栽培するしかないだろうね。このぐらい空気がシットリするように、近くに流れがあった方が良いだろうね」
カリサ婆ちゃんは、穴場の土を掬い湿り気や匂いを嗅いで確かめている。
「ニャンゴ、上に登って若木の芽があったら掘り出しておいで。去年落ちたクルミやブナの実が芽を出す頃だからね」
「分かった、ちょっと探して来る」
俺が若木を探している間に、カリサ婆ちゃんはゼオルさんと一緒に方角と土の厚みなども確かめていたようだ。
調査が終わったので、日当たりの良い場所に移動して昼食にした。
お昼は、婆ちゃん特製のそば粉のクレープだ。
そば粉で少し厚めのクレープを焼いて、それで色々な具材が包んである。
「うみゃ! 婆ちゃんのクレープ、うみゃ!」
「ほらほら、そんなに慌てて食べなくても、誰も取りやしないよ」
「いや、今日は食いしん坊なイネスが一緒だから……」
「別にニャンゴの分まで取ったり……あっ、そのチーズのやつ美味しそう、一口ちょうだい」
「あぁ、イネスの一口は大きすぎるよ、もう……」
「いいじゃないの、名誉騎士様がケチケチしないの」
「むぅ……そんなにバクバク食べてると太るよ」
「酷い! 女の子に体重の話はしちゃ駄目なんだからね!」
「てか、なんでイネスは急に婆ちゃんの弟子になろうなんて考えたの?」
「えっ……そ、それは、あたしも手に職を付けようかなぁ……と思ってさ」
俺が村にいた頃、イネスはあまり熱心に仕事をしていたような記憶がない。
どちらかと言うと玉の輿狙いでミゲルとオラシオの間をフラフラしていた印象が強い。
「だってさぁ、オラシオには手紙出しても戻って来ないし、ミゲルもイブーロに行っちゃったし……というか頼りないし、ニャンゴは手の届かない所に行っちゃってるし……イブーロに出ても楽じゃないって、ニャンゴのお兄さんにも言われちゃうし……」
どうやら、どこかに嫁に行って楽しようなんて考えていたら、兄貴からイブーロで暮らす厳しさを聞かされたようだ。
確かに、今のイネスがイブーロに行ったら、簡単に貧民街に転落しそうだ。
そんな事になる前に思い直してくれたのだとしたら、協力してやるしかないだろう。
帰りは、カートに乗って沢筋沿いに下って帰ることにした。
途中、淵で魚を突いて帰る。
久々だったけど、四人分の魚程度はすぐに捕まえられた。
魚をサッとさばいて帰る準備をしていたら、何かを思いついたらしいイネスが歩み寄ってきた。
「ねぇねぇ、ニャンゴ。水の上を歩くのやってみるから見て……いやぁぁぁ!」
「もう、なにしてるんだよ、イネス。練習もしないで、いきなり出来る訳無いだろう」
「ちょっ、そんな事より、助けて! 冷たい!」
「はぁ、ほら手を伸ばして……もう、世話焼けるというか、こんな駄目な子だとは思わなかったよ」
淵に落ちてずぶ濡れになったイネスを大型の温風の魔法陣で乾かしてから、再びカートに乗って村まで戻った。
はぁ……なんだか先行きが不安だよ。
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