第217話 ガドの隣(フォークス)

※ 今回はニャンゴの兄、フォークス目線の話となります。


 猫人の俺から見ると、サイ人のガドは巨人……いや、全く別の生き物に見える。

 チャリオットの中では、巨大な鉄盾を構えて敵の攻撃を防ぐ役割を担っていて、横幅も厚みも尋常ではない。


 体重は俺の十倍ぐらいありそうで、間違って踏まれたら背骨が折れるのではなかろうか。

 ガドはあまり感情を表に出さないし、無口なので最初は取っ付きにくかった。


 というか、正直に言うならば恐ろしかった。

 俺が転落した貧民街には、色々な人間が吹き溜まりのように集まって来ていた。


 殆どの者が、俺よりも体の大きな人種だったので、俺は最下層の貧民街の更に最下層で暮らしていた。

 生き残る術は、他者の顔色をうかがって、危ない奴には近付かない事。


 だから、不機嫌さを隠さずにいる連中はむしろ恐ろしくない、先に隠れてしまえば良いだけだ。

 恐ろしいのは、感情を表に出さない奴で、ただ擦れ違っただけで蹴られた事があった。


 ぼーっとしてガラス玉みたいな目をしたカバ人は、俺が痛みに呻いていても表情一つ変えず、まるで他人事のように歩み去っていった。

 勿論、そんな頭のおかしい奴とガドが同じという訳ではない。


 ガドの瞳には、ちゃんと意思や知性の色が見えるが、セルージョのようにお喋りではないし、黙っている事が多いので考えが読めず、恐ろしいと感じていただけだ。

 印象が変わり始めたのは、俺が土属性だとガドが知った辺りからだろうか。


 時々、魔法の練習についてアドバイスをしてくれるようになった。

 俺は『巣立ちの儀』で土属性だと判定された後も、冒険者になるつもりもなかったし、魔力も弱かったので魔法を使わずに生きてきた。


 だから、改めて土属性魔法を使おうと思った時に、全くコツが掴めないでいた。

 拠点の前庭の雑草を抜き、地面を均して固めるだけの単純作業だが、始めた頃はまるで上手くいかなかった。


 それでも、弟のニャンゴが身銭を切り、仲間に頭を下げてまで貧民街から救い出してくれたのだから、少し思い通りにならない程度で投げ出す訳にいかなかった。

 魔法の練習を始めて三日ほど経った頃、その日も拠点の前庭で地均しをしていると、突然日が翳った。


「みゃっ……」


 日を遮ったのは、雲ではなくガドだった。

 地面に手を付いた状態で見上げたガドは、いつもよりも更に大きく見えて思わず小さく声を漏らしてしまったほどだ。


「あぁ、すまん。驚かすつもりはなかったんだ」

「は、はぁ……」

「見たところ、だいぶ苦労しているように見えるが……」

「はぁ……」


 あの頃の俺は、貧民街から出て来たばかりで、弟がいない所ではチャリオットのメンバーとも上手く話せなかった。

 今考えてみると、ガドの目には相当卑屈な男に見えていただろう。


「お前さん、これまで魔法を使ったことは?」

「い、いえ、殆ど……」

「ふむ、それでは苦戦するのも仕方ないじゃろうな」

「はぁ……」


 ガドは、俺の横にしゃがみ込むと、地面に手をついて土属性魔法の基本を教えてくれた。


「土属性魔法というのは、他の属性の魔法とは違って大地の魔素を感じ取る魔法じゃ。大地に触れた両手から魔力を流し、地中の魔素を感じとり大地と一体になるんじゃ」


 最初は誰しも、この体内の魔力と地中の魔素との交感が上手くいかないそうだ。


「杭を打ち込むのではなく、雨が降り、大地に染み込んでいく様を思い浮かべるのじゃ。最初から地中深くまで意識を通すのは無理だから、爪の先程度の深さで構わんから魔力を染み込ませてみよ」


 俺の隣りで手を付いたガドから、確かに魔力の流れを感じた。

 それは言葉通りに、乾いた土に命の水が染みこむように、穏やかで、しかもとても力強い魔力だった。


『巣立ちの儀』で封印が解かれた時に、漠然と土属性魔法の使い方を理解したつもりだったが、それは実践を伴わない教本に書かれた知識と同様だった。


「しっかりと土を感じ、把握出来れば、そこから先はイメージするだけじゃ。焦らず、土と語らうことから始めれば良い」

「土と語らう……」


 ガドは大きく頷くと、ワシがいると気が散るだろうと言い残して立ち去っていった。


「土と語らう……土と語らう……土と……」


 それまで漠然としていて、掴みどころが見つからなかった土属性魔法が、急にハッキリとした形となって目の前に現れた気がした。

 確かにガドの言う通り、土の中にも魔素が存在し、俺が魔力を流せば応えてくれる。


「土よ……固まってくれ」


 固まった範囲は、両手の平より少し大きい程度で、厚さは指先で摘まめる程度しかないが、それまでの硬化モドキとは密度も硬さも段違いだった。

 ようやく、本当の意味で土属性魔法が使えた気がした。


 それからも、ガドは折に触れてアドバイスをしてくれるようになった。

 ワシはニャンゴのように器用ではないと前置きしつつ、魔法という漠然とした存在を噛み砕いて説明してくれた。


 俺も弟ほど器用ではないので、むしろガドの説明の方がストンと納得出来る事が多かった。

 遠征先でも、討伐には参加出来ない俺を気遣って、作った竈や風除けを褒めてくれた。


 ギルドの酒場の打ち上げで、シューレから逃げ出して来た時も、嫌な顔一つせず膝に座らせてくれた。

 だから、拠点を離れて、アツーカ村の復興に協力すると決めた時、本当ならば真っ先にガドに話をすべきだったのだ。


 ギルドにオークを下ろした後、俺達は拠点へと戻り、チャリオットのメンバーに村の復興を手伝いたいと打ち明けた。

 期間は分からないが、数ヶ月掛かるかもしれない、許可が貰えない場合にはチャリオットを脱退させて欲しいと伝えた。


 正直、俺は拠点の掃除や遠征先での環境を整える程度しか役に立っていない。

 抱き枕が一つ減るとシューレは反対したが、他のメンバーから見れば居ても居なくても影響の無い存在だろう。


 リーダーのライオスは、俺の話を聞いた後で腕組みをして考え込んだ後で、ゆっくりと話し始めた。


「まず、アツーカ村の復興を手伝うことには反対しない。その避難スペースを作る作業は、要するに土を掘り、頑丈に固める作業なんだよな?」

「はい、そうです。理想としては、オークが攻撃しても壊せない強度です」

「そうか、じゃあ、それを理想ではなく現実にしてくれ。勿論、チャリオットからの脱退は認めない。フォークスには、腕を磨いてもらって、この先やってもらいたい事がある」

「やってもらいたい事……ですか?」


 ライオスは大きく頷くと、他のメンバーの顔を見回してから、おもむろに口を開いた。


「フォークスが自分の意思を示してくれたから……俺も、チャリオットの未来について語りたい。ダンジョンに挑まないか?」


 長年ライオスとパーティーを組んできたセルージョとガドも、前もって聞かされていなかったらしく少し驚いた表情を見せたが、直後にニヤリと笑みを浮かべた。


「セルージョやガドにはパーティーを組んだ頃から話していたが、なかなか腕の立つ、気の合う連中と巡り会わなかった。正直に言って、ダンジョンに挑むには年齢的にギリギリのタイミングだろう」

「属性的には水属性がいないが、そこはニャンゴがカバー出来るし、集中して発掘に取り組める土属性のフォークス、それにシーカーとしてシューレとミリアムか?」

「悪くない組み合わせじゃな」


 セルージョとガドは納得といった雰囲気だが、シューレとミリアム、それに俺も弟も戸惑いを隠せない。


「わ、私は戦闘でも殆ど役に立ちませんし、むしろ足を引っ張る可能性もあります」

「ふふっ、大丈夫。フォークスがアツーカ村で復興に協力している間に、私がキッチリ仕上げてあげる」


 シューレは乗り気のようだが、ミリアムは震え上がって尻尾がボフっとなっている。


「どうだ、フォークス」

「俺で役に立ちますか?」

「大丈夫だ、フォークスの集中力を持ってすれば問題無い。ワシが保証しよう」


 ライオスの質問に、俺の代わりにガドが自信たっぷりに答えた。

 全身の毛が逆立って、身震いが走る。


 こんな風に、誰かから認めてもらったのは、生まれて初めてかもしれない。


「ニャンゴ、やろう! 行こう、ダンジョンに……ニャンゴ?」


 チャリオットのみんなが、ダンジョン攻略に向かおうとする中、弟は顔を強張らせていた。


「少し……少し考えさせてもらっても良いですか?」

「あぁ、構わないぞ。ダンジョンに挑むとなれば、拠点も移す必要があるし、簡単には決められないだろう。それに、挑むとしてもフォークスの仕事が終わってからだ。その頃までに決断してくれれば良い」

「分かりました……」


 弟は、一人で考えたいと言って屋根裏部屋へと上がっていった。


「たぶん、ニャンゴはカリサ婆ちゃんが心配……」


 弟が決断出来ない理由は、シューレが言う通りなのだろう。

 だが、今回のオークの襲撃のような事が起これば、例えイブーロで活動していても間に合わない可能性の方が高いだろう。


 そういう意味では、イブーロにいようが、ダンジョンのある旧王都にいようが状況は変わらないのだが……そんなに簡単に決断できないのだろう。

 それほど、弟は薬屋のカリサさんに依存している所がある。


 こんな時こそ、兄貴らしく相談に乗ってやらなきゃ……と思う反面、俺と弟では解決出来る物事の規模が違い過ぎるので参考になるアドバイスは出来そうもない。

 迷っていたら、ガドに隣りに来て座れと手招きされた。


 てっきり弟のことを聞かれると思ったら、話は復興工事の内容だった。

 家の地下に避難スペースを作る上で、注意が必要になるであろう事やスムーズな工事の手順などを考えてくれた。


 弟のことは、俺の方から相談するまでは何も聞きもしないし、語ろうともしなかった。


「分からないならば、無理に相談に乗らんでも構わんだろう」

「でも、それじゃあ兄貴らしい事が出来ないというか……」

「兄貴らしく格好をつけたいと思うなら、お前さんが成すべき事を立派に成し遂げるんじゃな。ニャンゴの悩みは、結局ニャンゴの中にある。ワシらが何かを言って変わるものでないなら、ワシらはニャンゴが決断出来る環境を整えてやるだけじゃ」

「出来の悪い兄貴に手が掛からなくなれば、身軽になって決断もしやすくなる……って事ですね?」

「がははは、そんな所じゃな」


 ガドは親身になって話を聞いてくれるが、シューレのようにベタベタと猫っ可愛がりをする訳ではない。

 一人の人間として、正面から向かい合ってくれるから、ガドの隣りは居心地が良い。


「俺、腕を磨いて帰ってきますよ」

「うむ、期待してるぞ」


 ガドの期待に応えられるように、弟が悔いの残らない決断が出来るように、俺はやるべき事をやろう。

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