第215話 歩み出す執念(カバジェロ)

※ 脱走した猫人カバジェロの後日談です。


 アジトに辿り着いた後、僅かに残されていた保存食で食い繋ぎ、焼け爛れた傷が癒えるのを待った。

 不幸中の幸い、傷口が炭化していたおかげで膿まずに済んだ。


 オークの心臓を食ったおかげで魔力は以前とは比較にならないほど高くなったが、状況が良くなったかと問われれば、首を横に振るしかない。

 魔力の代償として支払うことになった、腕一本、足一本の欠損は大きな痛手だ。


 何かに掴まらないと、立ち上がることすら出来ないし、立ち上がっても動けない。

 アジトにあった棒きれを組み合わせて、右の脇に挟んで身体を支えられる杖を作って、ようやく立って動けるようになった。


 動けるようになったが、これからどう動けば良いのか分からない。

 これまで、反貴族派としての活動は、支援をしてくれていた白虎人のダグトゥーレの指示に従うばかりで、自分で考えて行動したのはクラージェの街で脱走したことぐらいだ。


 この先、どうすれば良いか考えた時に、真っ先に頭に浮かんだのは黒猫人の片目の冒険者だった。


「確か、ニャンゴとか言ってたよな。あいつ、王都に行ったって事は、いずれ戻って来るんだよな?」


 俺達の襲撃を阻止したニャンゴという黒猫人の冒険者は、ラガート家の護衛として王都まで行くと言っていた。

 貴族の娘が『巣立ちの儀』とか言っていたから、それが終われば領地に戻るはずだ。


 その帰り道で待ち伏せて、手に入れた大きな魔力を使って丸焦げにしてやろうと思ったのだが、何時戻って来るのかが分からない。

 フロス村での襲撃は、日時や場所までダグトゥーレが指示してくれたが、今は連絡が取れないから貴族共の行動日程も全く分からない。


 待ち伏せしようにも、いくら猫人が世間から見捨てられた存在だとしても、隻腕隻脚の猫人が街道脇に居座っていたら目立ってしまう。


「それなら、こっちからラガート領に乗り込んでやるか?」


 ふと口にした思いつきは、悪くない考えのように思えたが、この体でラガート領まで行けるのかという不安が頭をもたげた。


「ラガート領まで行くことすら出来ないなら、生きてる価値がねぇ」


 逆に言うなら、ラガート領まで移動が出来るなら、この体でも生きていけるだろう。

 そのためには、大きくなった魔力を制御して自在に魔法を使えるようになる必要がある。


 あの忌々しいニャンゴという冒険者は、猫人でありながら自在に火の魔法を使いこなしていた。

 魔銃を持った連中を圧倒した巨大な火の球、弓矢を使った連中を圧倒した連続発射、どちらも制御された魔法だった。


 それに比べて自分の魔法は、増えた魔力を使った力任せのゴリ押しだ。

 魔法の練熟度でも、機動力でも太刀打ち出来そうもない。


「いや、刺し違えるつもりで不意打ちを仕掛ければ何とか……無理か?」


 そもそも、こんな目立つ姿になってしまった以上、不意打ちを仕掛けるのは難しい。

 というか、考えてみるとラガート領までの移動についても問題が山積みだ。


 クラージェの街から逃げて来た時は、夜闇に紛れて移動し、食い物は盗んでいた。

 だが、この体では盗みを働くことすら難しい。


 かと言って、こんな体で働くなんて不可能だ。


「ちっ、魔力が増えたって、何にもならねぇじゃねぇか!」


 魔力が増えたメリットは、まともに魔道具が使えるようになったぐらいだ。

 これまで水の魔道具に魔力を流しても、持っている魔力が小さすぎてカップ一杯を満たすにも時間が掛かり、しかもヘトヘトになっていた。


 貧乏な猫人が魔石なんて買えるはずもないので、魔道具とは無縁の暮らしをしてきた。

 だが魔力が増えたことで、アジトに残されていた水の魔道具を普通に使えるようになったが、これは猫人以外の人種ならば当たり前に出来ることだ。


 魔道具が使えるようになったからと言って、仕事にありつけるわけではない。


「盗みも駄目、働けない……どうしろってんだ! どうすれば、あの野郎を……待てよ、そうか冒険者か」


 片腕、片足が無くても、魔物をぶっ殺して魔石を売り払えば金になる。

 冒険者になるには、何の資格も縛りも無かったはずだ。


 このまま何もしないでいれば、野垂れ死にするだけだ。

 それならいっそ、魔物と命のやり取りをする方がマシだ。


 魔物に勝つには、今の垂れ流しの魔法じゃ駄目だ。

 幸い、アジトの付近は人など通りかかる心配は無いので、魔法の練習に没頭した。


 頭に思い浮かべたのは、忌々しい片目の黒猫人が使っていた魔法。

 意識しないと燃え広がるだけの魔力を集めて、固めて、的に向かって撃ち出す。


 ニャンゴの野郎が簡単そうにやっていた事が、まるで思い通りにならない。

 でも、俺にはもうこれしか残された道は無いから、石に齧り付いてでも物にしてやる。


 保存食で食いつなぎながら、朝から晩まで魔法の練習を続けた。

 こんなに集中して一つの事に取り組んだのは、生まれて初めてだろう。


 練習を始めて四日程経った日の午後、腹ごしらえをしてアジトを出るとゴブリンがいた。

 数は二頭、むこうもこちらの存在に気付いたようだ。


 お互いに存在には気付いたが動かない。

 いや、俺は動けなかった。


 オークを倒した現場にはいたが、転ばすための綱の端を握っていただけだ。

 魔銃を撃ったのも、死にもの狂いで止めを刺したのも、今は亡き仲間達だ。


 散々魔法の練習を繰り返していたのに、いざゴブリンを前にしたらビビってしまった。

 先に動き始めたのはゴブリンだった。


 二頭で顔を見合わせた後、ジリジリと距離を縮めて来る。

 逃げられないようにと、二頭は左右に分かれて俺を挟み込むつもりだ。


「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……」


 気付けば呼吸が荒くなり、心臓がバクバクしている。

 以前の俺なら、走れば逃げ切れる可能性があったが、今は無理だ。


 この足では逃げ切ることなど出来やしない。


「そうだ、やるか……やられるかだ! 炎よ!」


 ゴブリンが疾走に移ろうとした時に、ようやく腹が決まって右側のゴブリンに向けて魔法を放った。

 興奮状態で放ったから制御が甘く、収束しない火の塊だったが、魔力も絞られなかったからゴブリンを飲み込むほどの大きさになった。


「ギギャァァァァァ!」

「やった……うにゃぅ……」


 右のゴブリンの全身が火に包まれたのを見て、気を抜いた瞬間にもう一頭のゴブリンに押し倒されてしまった。


「ガァァァ!」

「炎よ!」

「ギャァァァァ!」


 牙を剥いて噛みついてくるゴブリンに向かって、無我夢中で魔法を発動させたが、まるで制御出来ずに俺の毛並みまで焼き焦げた。


「うにゃぁぁぁ……」


 二頭のゴブリン共々、地面を転がり回って必死に火を消した。


「くぅ……炎よ、炎よ、炎よ、炎よ、炎よ……」

「グギャァァァ……」


 もう何がなんだか、訳が分からないまま魔法をゴブリンに叩きつけ続けた。

 辺りには肉が焼け焦げる臭いが立ちこめ、気が付くとゴブリンは動かなくなっていた。


「はぁ、はぁ……やったのか?」


 地面に座り込んだまま見守ったが、黒焦げになってブスブスと燻っているゴブリンは動かない。

 ジワジワとゴブリンを倒したという実感が湧いて来た。


「やった……やった、やった! やってやった! うにゃぁぁぁぁぁ!」


 雄たけびを上げても興奮は収まりそうもない。

 杖を拾って立ち上がり、ゴブリンに歩み寄る。


 杖の先で突いても動かないのを確認したら、理由もなくゴブリンの死体を滅多打ちにした。

 アジトにナイフを取りに戻り、ゴブリンの胸を切り開いて魔石を取り出す。


 片手しか使えないし、座り込んで作業したので血まみれになってしまったが、それよりも自分の手で倒して魔石を取り出したという達成感で頭がいっぱいだった。

 魔石を取り出した後、ようやく我に返って水の魔道具を使って体についた血を洗い流した。


「どうする……食うか?」


 魔石を取り出す時に一緒に心臓も取り出したのだが、悩んだ末に食わないと決めた。

 脇腹の柔らかそうな所を選んで切り取って、アジトの暖炉で炙って食ってみた。


 貧しい俺達が、肉を口にする機会はめったに無い。

 考えてみれば、苦労してオークを倒したのだから、心臓なんかを食う前に肉をたらふく食っておけば良かった。


 同じ死ぬなら、美味いものを食ってからにすれば良かったのだ。


「不味っ、臭いし、固いし……それでも食うけどな」


 ゴブリンは美味くないという話を聞いたことがあったが、本当に美味くなかった。

 美味くはなかったが、肉を食うと体に力が漲ってきた気がした。


 魔法のせいで片腕と片足を失ったが、魔法のおかげでゴブリンを二頭も倒せた。

 満足感に包まれながらアジトで眠りについたのだが、日が暮れてから物音と唸り声で目が覚めた。


 戸締りをしておいた扉の隙間から外を見ると、放置しておいたゴブリンの死体にコボルトが集まって来ていた。

 全体を見渡せないが、十頭以上のコボルトがいるようだ。


 少し考えたが、アジトに籠って息を潜めていることにした。

 ゴブリンよりも素早いコボルトを一人で十頭も相手になんかできない。


 ちょっと魔法が使えるようになったからといって調子に乗る気は無い。

 死んだら終わり……あの憎らしい片目の黒猫人に吠え面をかかせてやるまで、まだ死ぬわけにはいかない。

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