第206話 植物学の先生
レイラさんとジェシカさんにお持ち帰りされた翌日は、イブーロの学校にレンボルト先生を訪ねた。
王都の学院で提供してもらった、今はまだ効果の分からない魔法陣を検証する方法について意見を聞こうと思ったからだ。
学校に出向くと、校門を警備している兵士の皆さんや、受付の方々からも左目について質問された。
まぁ、突然治っていれば驚くだろうし、凄い金持ちだと勘違いされてしまうかもしれないので、少々面倒だけど説明をしておいた。
受付で尋ねるとレンボルト先生は授業中だったが、午前の三限目は担当が無いそうなので、少し待たせてもらってから研究棟を訪ねた。
「こんにちは、レンボルト先生。ニャンゴです」
ドアをノックして声を掛けると、ガタガタと大きな物音がした後でレンボルト先生が顔を見せた。
大きな音は、たぶん積み上げていた本が崩れたのだろう。
「やぁ、ニャンゴ君、久しぶりだね」
「はい、ちょっと王都まで行ってました」
「ほう、それは羨ましい、ささ入って話を聞かせてくれたまえ」
「はい、お邪魔します」
にこやかに迎え入れてくれたレンボルト先生だったが、話が粉砕の魔法陣を使ったテロに及ぶと表情を曇らせた。
「何ということだ……発動者の命を奪い、人々を不幸に陥れることに魔法陣が使われるなんて……」
「ですがレンボルト先生、学校の襲撃に使われた魔銃も魔法陣を使った魔道具ですよ」
「その通りだが、魔銃は火の攻撃魔法を発動させる道具でしかない。どう使うかは使用者次第だろう。本来、危険な魔物から身を守るためなどに使われるべきものだ」
「先生、実は王都の『巣立ちの儀』の会場が襲撃されて……」
粉砕の魔法陣を使った砲撃によって、多数の死傷者が出たと話すと、レンボルト先生は天井を見上げて溜息をついた。
「そんな事があったのか……いや、ニャンゴ君が無事で何よりだ。そして、魔法陣を正しく使ってくれてありがとう」
「とにかく夢中だったので、本当に正しく使えたのかは自信無いですね」
「何を言うんだ、ニャンゴ君のおかげで多くの人の命が救われたのだろう? ならば、その使い方が間違っているはずがないよ」
「もっと多くの人が救えたのでは……なんて考えてしまうので、レンボルト先生にそう言ってもらえると救われます」
この後、本来の目的である未知の魔法陣の検証法について聞いてみた。
「なるほど、使い道の分からない魔法陣は、小さいサイズで作って試してみると聞いているよ。粉砕の魔法陣のようなものは、規模が大きくなると危険だからね」
「教えてもらった魔法陣は、発動しているはずだけど効果が分からないと聞きました」
「効果が分からない理由は二つあると思う。一つは、魔力が流れているけれど、効果を発動するには魔力が足りないケース。例えば、さっき話にでた粉砕の魔法陣は、一定以上の魔力が流れないと発動しないよね」
「確かに、そうですね。圧縮率をある程度まで上げないと発動しません」
「うん、その発動していない時にも魔力は流れているんだ。だから、魔力を流している人は発動している……と勘違いする場合がある」
「なるほど、では教わった魔法陣も圧縮率を上げて試せば……」
「いや、高い魔力を掛ける方法は王都の研究者も行っているはずだから、効果が分からないのはもう一つの理由、発動しても効果が目には見えないケースだろう。ニャンゴ君に教えた魔法陣の中では、撹拌の魔法陣とか重量軽減の魔法陣がそのパターンだ」
攪拌の魔法陣は液体を乗せないと効果が見えないし、重量軽減の魔法陣は持ってみないと分からない。
「王都で聞いたとは思うけど、実は効果の分からない魔法陣はたくさんあるんだ。では、何で効果が分からないままにされているかと言えば、効果の分かっている魔法陣を研究する方が忙しいからなんだ」
「つまり、効果が分かっている魔法陣を生活に役立てる方が先ってことですか?」
「そういう事だね。その魔法陣の実用化に関して、ニャンゴ君は多大な貢献をしているんだよ」
「もしかして、魔法陣の中空化ですか?」
「その通り。例の温度調節と風の魔法陣を組み合わせたものだけど、新しい試作品が出来てきてるんだ。えっと、どこに置いたっけか……」
レンボルト先生は、書物の雪崩を引き起こしながら、ドライヤーの試作品を取り出した。
前回のものよりも、更に小型化が進み、形も前世日本で使われていたものに似ていた。
「これ、魔石じゃなくて魔力を通して使うんですね?」
「そうなんだ、風量とか温度の組み合わせをいくつも試して、この形に落ち着いたらしいよ」
ドライヤーの魔道具は、猫人の俺が使うには大きいが、普通の人が使うには小型で風量も十分だった。
「風量が二段階で調節できて、熱風、冷風の切り替えも出来るんですね」
「今は耐久性の試験を行っていて、問題が無ければ売り出すそうだが……これは相当売れるだろうね」
「女性は、こぞって購入するんじゃないですか」
試作品とあって飾りっ気が全くないが、販売されるものには装飾も施されるそうだ。
まぁ、俺の魔法は風量も温度も自由に設定できるし、手で持たずに使えるもんね。
「あっ、そうだ。レンボルト先生、植物に詳しい先生がいらしたら紹介していただきたいのですが……」
「植物? 何か調べものかい?」
「実は、アツーカ村の新しい産業として茸の栽培が出来ないかと思いまして」
「ほう、茸の栽培とは面白いことを思いつくもんだね」
「はい、アツーカは山の中の小さな村なので、これ以上畑を切り開くにも限界がありますし、茸なら森の中でも栽培できるんじゃないかと思ったんです」
レンボルト先生に、反貴族派のことや貧富の地域格差対策など、ラガート子爵と話し合った内容を簡単に説明した。
「なるほど、それならばルチアーナ先生に相談すると良いよ。茸栽培の産業化なんて聞けば、きっと興味をもって力になってくれるはずだ。お昼に食堂で紹介しよう」
「ありがとうございます」
食堂で紹介してもらったルチアーナ先生は、二十代後半ぐらいのタヌキ人の女性だった。
焦げ茶色のショートヘアーから丸っこい耳がのぞいていて、いかにもなタヌキ顔は愛嬌がある。
「茸を山から採ってくるのではなく、自分達で栽培するとは……面白い発想ね」
ルチアーナ先生は植物学が専門にしているそうだが、茸の栽培というのは聞いたことがないそうだ。
こちらの世界では、まだ行われていないのだろう。
「茸を栽培するのは難しいのでしょうか?」
「そうね、私も採ってきた株を増やしたことはあるけれど、それは鉢植えサイズだし売り物として流通させられる量ではないわ」
「産業に出来る規模で育てるには、どうすれば良いですかね?」
「なんと言っても環境ね。茸に限らず、草でも木でも育つには適した環境があるの。日当たり、温度、湿り気、風通しなどね。特に茸の場合には、環境に大きく影響受けるから、その茸が生育する場所を良く調べる必要があるわね。さっき言った条件の他に、周りにどんな木が生えているのかも重要ね」
「木ですか?」
「そうよ、茸の場合、落ち葉や枯れ枝、木の幹や根に生えるから、周囲の植生も良く調べないといけないわね」
専門としている植物関連で、新しい産業を作る試みと聞いて、ルチアーナ先生は興味をそそられたようだ。
まだ計画の段階で、アツーカ村の村長にも話をしていない段階だと言うと、是非最初から関わってみたいとまで言ってくれた。
学問は机上だけでなく、実生活に生かされてこそ意味があると考えているそうだ。
興味を持ってもらえたのは良かったのだが、グイグイと質問されるので、ナスとほうれん草のミートグラタンをうみゃうみゃしている暇が無い。
まぁ、俺の場合は少し冷めるまで待たなきゃいけないので、丁度良いと言えば丁度良かった。
ルチアーナ先生は、午後の授業の担当が無かったので、食堂から研究棟に場所を移して更に詳しい話を進めた。
ルチアーナ先生の部屋は、窓際には植物の鉢植え、棚には植物標本が所狭しと並べられているが、レンボルト先生の部屋みたいな乱雑さは無い。
標本の中には、山に採りにいっていた薬草もいくつかあった。
「襲撃事件を解決した荒事専門の冒険者だと思っていたけど、薬草の知識も豊富なのね」
「全部、薬屋のカリサ婆ちゃんに教わった知識です」
「そのお婆ちゃんには、アツーカ村に行けば会えるのかしら?」
「はい、まだ元気にしているはずです」
「ますますアツーカ村に行くのが楽しみになったわ」
ルチアーナ先生にアドバイスをもらい、アツーカ村の村長には、茸の栽培に適した場所を提供してもらえるように頼むことにした。
害虫、害獣の被害に遭わなそうで、茸が生えている場所に近い環境が作れそうな場所を頼むように言われた。
「茸の場合、直射日光は当たらない方が良いけど、雨水が流れになって落ちるような場所も適していないから、ある程度は水はけが良い場所を選んで。その上で、湿気が足りなくなった場合に補えるように、近くに水場も欲しいわね」
「それと、自生している所に生えている木ですね?」
「そう、なるべく同じ種類の木がある場所か、さもなくば植えて環境を整えるか、どちらかの方法を考えておいてね」
プローネ茸は希少価値が高く、栽培に成功すれば村の新しい産業になるはずだ。
ただし、俺自身も茸栽培に関する知識は皆無だし、簡単に成功するとも思えない。
それでも成功すれば、村に新しい雇用が生まれて、アツーカ出身の者が貧民街に沈むような事態は減らしていけるはずだ。
今後もアドバイスをしてもらえるようにお願いして、ルチアーナ先生の部屋を後にした。
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