第207話 成長しない男
研究棟を出て校門へ向かって歩いていると、授業を終えて学生寮へと戻る生徒達と行き会った。
その中から、小走りで近付いて来たクマ人の女子生徒がいた。オリビエだ。
「ニャンゴさん、左目が……」
「うん、王都で手柄を立ててね。そのご褒美で治してもらえたんだ」
「良かった、本当に良かったです……」
「うわっ、ちょ……オリビエ」
校舎から学生寮へと戻る通路の真ん中で、オリビエに抱え上げられてしまった。
周りにはオリビエと同じように学生寮に向かう生徒がいるので、目立ってしまうし恥ずかしい。
「何やってんだ、ニャンゴ! この野郎、さっさとオリビエから離れろ!」
「やってるんじゃない、抱えられてるんだ。良く見ろ、ミゲル」
「うるさい、さっさと……お前、左目はどうした!」
「王都で治療してもらったんだ、何か文句あるのか」
「あるに決まってるだろう。目が治ったなら、お前にやった小麦粉を返しやがれ!」
「なに言ってんだ、あれはコボルトに食い殺されそうになって、泣き喚いていた哀れな子供を助けた礼としてもらったものだ、そもそも小麦粉をくれたのは村長であって、お前から貰ったんじゃないぞ」
まったく、つい今しがたまで、アツーカ村に新しい産業を起こせないか相談していたのに、将来村長になるかもしれない現村長の孫がこれでは……マジで頭が痛くなってくる。
「うるさい! 大体お前は、口の利き方がなっていない。地面に着くぐらい頭を下げて、挨拶からやり直せ! この馬鹿猫!」
村長は、学校に入って学生寮での生活を始めれば、少しはまともになると思っていたようだが、一年が過ぎてもこのザマでは見込みは薄そうだ。
「はぁぁ……イブーロの学校に通うようになっても、世間知らずは全く直っていないみたいだな。オリビエ、降ろしてくれ」
「はい……」
オリビエの肩をポンポンと叩いて降ろしてもらったのだが、オリビエが素直に従う様子が気に入らないのか、ミゲルは歯ぎしりしそうなほどに歯を噛みしめた。
ミゲルが喚き散らしたおかげで、生徒達が集まってきている。
「こいつ……調子に乗るなよ」
「そもそも、俺はもうアツーカ村を出て、イブーロに引っ越した人間だ。お前にとやかく言われる筋合いなんか無いんだぞ」
「うるさい、俺はいずれアツーカの村長になる男だぞ」
「勘当されなけりゃだろう? そうだ、王都に行って、オラシオに会ってきたぞ」
「なにっ……」
オラシオの名前を出すと、ミゲルはビクっと身体を震わせた。
「メンデス先生と変わらないぐらいゴツくなってたし、強力な風属性の魔法をバンバン撃ってたぞ」
「そ、それがどうした……」
「兵舎で同室の仲間にも恵まれてたし、みんなで励まし合いながら頑張っているって話していたから、無事に騎士になれるだろうな」
アツーカ村にいた頃、性格が大人しいの良いことに、ミゲルは取り巻き共と一緒にオラシオを虐めていた。
そのオラシオが騎士見習いとして頑張っていると聞いて、ミゲルのテンションは一気に下がった。
「オ、オラシオが騎士になったとしても、ニャンゴ、お前には関係ないんだからな。俺に対する言葉使いを改めろ!」
「言葉使いを改めるのは、お前の方だぞ、ミゲル」
「なんだと、こいつ……ん?」
俺がポケットからギルドカードを取り出すと、ミゲルは怪訝そうな表情を浮かべた。
「ミゲル、翼の付いた獅子はどこの紋章か知ってるか?」
「王家の紋章に決まってるだろう」
「そうだ、このギルドカードは、王家に功績が認められた者にだけ支給されるものだ」
カードに入った王家の紋章を見て、集まっていた生徒達がざわめき始めた。
「う、嘘だ! お前なんかが王家に認められるはずがない、偽物だ!」
「お前は馬鹿なのか? ギルドカードの偽造は重罪だ、ましてや王家の紋章を勝手に使ったら更に罪が重くなる。そんなヤバい品物をわざわざ作って見せびらかす訳ないだろう」
「う、うるさい!」
「ミゲル、ここに記されているAの文字の意味が分かるか?」
「う、嘘だ……嘘に決まってる……」
「ミゲル、ここに記されている、ニャンゴ・エルメールという名前の意味が分かるか?」
王都からイブーロまで戻って来るまで約一週間、こちらでもヒューレイが花の盛りを過ぎつつあるが、まだ汗ばむほどの陽気ではないのだがミゲルはダラダラと汗をかいている。
王都のギルドで手にした時には、情報量過多なカードだと思ったが、これはこれで役に立つようだ。
「どうした、ミゲル。分からないなら教えてやるよ。これは、王都の『巣立ちの儀』の会場が襲撃された時に、エルメリーヌ姫に傷一つ負わせず守り抜いた俺が、国王陛下から名誉騎士として叙任され、エルメールの家名を賜り、Aランク冒険者に昇格した証だ!」
「ふざけるな……そんなホラ話を信用できるもんか」
「いいのか? このカードを否定するってことは、ギルドの制度のみならず、国王陛下の行いも否定するってことだぞ」
ミゲルは、真っ赤になったり、真っ青になったり、信号機みたいに顔色を変えながらブルブルと震えている。
これ以上追い詰めると、ぶっ倒れそうな気がするので、そろそろ勘弁してやるか。
「ミゲル、今後はニャンゴと呼び捨てにすることは禁止する。俺を呼ぶ時には、エルメール卿と呼べ。分かったか?」
ミゲルは、口をパクパクさせた後で、無言で頷いてみせた。
「お前が威張り散らしていられたのは村長の孫ってだけで、自分では何一つ成し遂げていない。俺に腹を立て、見返してやりたいと思うなら、努力して、自分の力で何かを成し遂げてみせろ。俺に下らない因縁を吹っ掛ける時間があるなら、自分を磨く努力をしてみせろ」
野良犬でも追い払うように、シッシッ……っと手を振ると、ミゲルは両手を固く握りしめ、トボトボとした足取りで俺の脇を通り抜け、五、六歩進んだところで駆けだして行った。
その両目からは、堪えきれなかった悔し涙が零れ落ちていた。
ミゲルが走り出すと、周りにいた生徒達が一斉に笑い声を立てた。
「はははは……だっせぇ、言い返せずに逃げ出してやんの」
「格好悪い、『俺は村長の孫だぞ!』だってさ……あはははは!」
ミゲルの後姿を指差して、腹を抱えて笑っている連中を見たら、俺がミゲルをやり込めたのに腹が立ってきた。
「黙れ! 俺の故郷の者を侮辱するな!」
俺が精一杯の大声で怒鳴りつけると、集まっていた生徒達は、ビクリとして笑いを引っ込めた。
怒鳴られた者からすれば、理不尽だと思うかもしれないが、それでも言わずにいられないほど腹が立っていた。
ギロリと目に力を込めて見回すと、大笑いしていた生徒達は視線を逸らして、そそくさと学生寮へと戻って行った。
「あの……エルメール卿、先程は失礼いたしました」
しゅーんと項垂れながらオリビエが声を掛けて来た。
「オリビエは、今まで通りニャンゴさんで構わないからね。ミゲルは、いつまで経っても世間知らずのワガママが直っていないから、ちょっとお灸を据えただけだから」
「ニャンゴさん、優しいんですね」
「優しくなんかないよ。ミゲル泣かしちゃったし」
「でも、ミゲルさんが笑われたら怒ってたじゃないですか」
「あれは、アツーカ村が馬鹿にされてるみたいで腹を立てただけだよ」
「そうなんですか?」
「そうなんです」
「ふふっ、やっぱりニャンゴさんは優しいです」
腹がたったから感情のままにミゲルをやり込めて、野次馬共を怒鳴りつけただけなんだけど、まぁオリビエがそう思うなら、そういう事にしておこう。
「ねぇ、オリビエ」
「なんですか、ニャンゴさん」
「ちょっとだけ、ちょっとだけで構わないから、ミゲルに気を配ってくれないかな?」
「いいですけど……どうすれば良いのですか?」
「駄目な時は駄目だとハッキリ言ってやって、上手くいった時は、ちょっとだけ褒めてあげてくれない? こんな事、オリビエに頼むのは筋違いだって分かってるんだけど……」
「良いですよ。ニャンゴさんの頼みならば喜んでやらせていただきます。その代わり……」
「そ、その代わり?」
「また美味しいケーキのお店に連れていって下さいますか?」
「分かった。暫くの間は忙しくなりそうだけど、休みが取れるようになったら一緒に行こう」
「やったぁ! 約束ですよ」
「あっ、でもオリビエにはどうやって連絡すれば良いのかな?」
「授業が終わった後は、寮に戻っていますので、受付で呼び出して下さい」
「分かった、じゃあ申し訳ないけど、ミゲルのこと頼むね」
「はい、約束ですよ」
「うん、約束する」
ミゲルは、俺が何かを言っても反発するだけだろうし、かと言って今のままではアツーカ村の将来が不安だから、申し訳ないがオリビエに一肌脱いでもらおう。
ここまでフォローしてやってるんだから、ちょっとは成長しろよな。
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