第141話 湖畔の城

 朝一番にイブーロを出発したチャリオットの馬車は、まだ明るいうちにトモロス湖に到着した。

 ブーレ山から北西へと連なる山脈に降り積もった雪が山肌へと染み入り、やがて伏流水となって湧き出し、集まって出来たのがトモロス湖だそうだ。


 トモロス湖は農地を潤す水源の役割を果たすと同時に、天然の魚やエビの漁場であり、養殖場としても使われている。

 そして湖の南岸に建つラガート子爵の居城、ダルクシュタイン城の堀も満たしている。


 トモロス湖の畔に建つダルクシュタイン城を一言で現すならば、質実剛健と呼ぶのが相応しい。

 水堀の幅は50メートルぐらいありそうで、その中にそそり立つ城壁は高さ10メートルはあり、外敵を拒絶している。


 正方形の城壁は一辺が300メートルぐらいあって、内側には騎士団の兵舎や馬場もあるそうだ。

 遠い昔、シュレンドル王国が隣国エスレートと争っていた頃には、この城で籠城戦が行われた事もあったらしい。


 そのため有事には兵士だけでなく、住民を受け入れられるだけの広さを確保しているそうだ。

 ダルクシュタイン城の高さは30メートル程だろうか、湖を背にして建っている。


 壮麗という言葉とは対照的な、城というよりは砦と呼んだ方がしっくりする無骨な外観をしている。

 城壁の内部に入るには、西側と南側の橋を渡るか、船で北面に乗り付けるしかない。


 チャリオットの馬車は西の橋の検問所を通り、橋を渡って城壁の内部へと入った。

 分厚い城門を潜った所で、もう一度身元の確認が行われ、ようやく城壁の内部へと入ることが許された。


 城壁の内部は、まるで広い公園のようだ。

 中央は芝生の広場となっていて、そこを取り囲むように樹木が植えられている。


「ニャンゴ、あの木は何の木か分かるか?」

「えっ、何の木って……あれっ、クルミの木ですか?」


 セルージョに聞かれて良く見ると、クルミの他に栗の木も植えられている。


「ほう、良く分かったな」

「秋の山に薬草採取に入る時には、ついでにクルミや栗を拾ってましたからね」

「なるほどな、ならもう分かるだろう。この中に植えられている木は、全て実がなる木ばかりだ」

「それって、万が一籠城する場合に、食糧の足しにしようという考えですね」

「そういう事だ。まぁ、今は騎士や兵士の楽しみになっちまってるみたいだがな」


 今日は、ラガート子爵からの招待とあって、チャリオット全員が小綺麗な服装をしている。

 俺と兄貴は、年末に買った余所行きの服に初めて袖を通した。


 俺は馬車で留守番していただけだからと、兄貴はライオスに辞退を申し出たが却下された。

 実際、野営地もワイバーンに襲撃されているし、命懸けの現場にいたのは確かなのだ。


 それに、俺達が少しでも快適に過ごせるように屋根を作ったり、暖炉を作ったりもしていた。

 雪が降るほど冷え込む屋外から、温かいシェルターに戻るだけでも緊張が解れ、身体を休められたのだ。


「フォークスもチャリオットの一員として立派に働いていた。除外するなどあり得ん」

「はい……」


 自分もチャリオットの一員だと認められ、兄貴は涙ぐんでいた。

 なんだか、最近兄貴は涙もろい気がする……お、俺は、ちょっと欠伸しただけだよ。


 西の門から城壁内に入った後も、迷路のような庭園を通り抜けないと、城の建物には近付けない。

 これも外敵に攻め入られた時の対策のようだ。


 城の玄関前で馬車を預け、まずは今夜宿泊する部屋へと案内された。

 用意されていた部屋は三部屋で、セルージョとガドが一部屋、ライオスが一部屋、残りの一部屋に俺と兄貴とシューレで泊まる。


 兄貴が何か言いたげだが、俺か兄貴がライオスと同じ部屋になるのも不公平だろう。

 俺は全力で逃げるつもりではいるが、兄貴と一緒にシューレに捕まるのは目に見えている。


 でも、最近すっかり毛並みが良くなった兄貴だけで我慢してくれないか……なんて淡い期待をしているのも事実だ。

 まぁ、それよりも先に、ラガート子爵への謁見と夕食のメニューが気に掛かる。


 部屋に荷物を置いたら、いよいよ子爵との謁見に向かう。

 と言っても、堅苦しい形ではなく、共にお茶を飲み、夕食を食べながらワイバーン討伐の話を語って聞かせる形だそうだ。


 現当主のフレデリック・ラガート子爵は、若い頃は王国騎士団で経験を積み、それから家督を相続したそうだ。

 単なるボンボンではなく、現場を経験した肉体派の当主らしい。


 執事に案内されたのは、湖を一望できる二階のテラスだった。

 ガドやセルージョが、湖を見渡す光景に目を見張っている。


 さぞや眺めが良いのだろうが、俺や兄貴の目線の高さでは、胸壁の向こう側は全く見えない。

 俺はステップを使えば見られるし、兄貴もシューレに抱えてもらえば良いのだろうが、さすがに子爵の前では気が引けた。


 テラスには、3人の人物が俺達を待っていた。

 一人は当主である、フレデリック・ラガート子爵。


 もう1人は妻のブリジット夫人、最後の1人は末娘のアイーダだとテラスまで来る途中に執事から聞いている。

 フレデリック・ラガート子爵は、30代後半のピューマ人で元王国騎士とあって、俺や兄貴では見上げるほどの偉丈夫だ。


「本日は、お招きいただきありがとうございます」


 チャリオットを代表して、ライオスが右手を胸にあてて腰を折って頭を下げる。

 俺達も同じように頭を下げると、フレデリックは席を立った。


「よくぞ参った、ワイバーン殺しの勇者達よ。堅苦しい挨拶はそのくらいにして、今日はゆっくりと寛いでくれ」


 フレデリックは両腕を広げた芝居がかった仕草で、俺達をテーブルへと誘った。

 テーブルを挟んで、子爵一家とチャリオットが向かい合う形だ。


 子爵と同じくピューマ人のブリジット夫人は、にこやかな笑みで我々を迎えてくれたが、時折目の奥に鋭い光が宿るような気がする。

 チャリオットのメンバーの実力や人となりを探っているのだろう。


 そして、テーブルの向こう側からジーっと見詰められていた。

 子爵の末娘アイーダは、今年巣立ちの儀を迎えるそうなので、二つ年下になるが身長は既に俺よりも高い。


 俺や兄貴が、お子ちゃま用の座面の高い椅子に座っているのに、アイーダは普通の椅子を使っているぐらいの差がある。

 そのアイーダに見詰めると言うよりも睨まれている感じだ。


 俺が視線を向けても、全く動じる気配すら無く、ジーっと無言で睨んで来るのだ。

 それに気付いた子爵が、アイーダの頭にポンっと右手を置いて俺に笑い掛けてきた。


「すまんな。君がニャンゴだね。騎士団の者から話を聞いているよ。ワイバーンを一撃で仕留める攻撃魔法の使い手だそうだね」

「確かに、おっしゃられる通りに威力の高い攻撃魔法を使えますが、まだ発動までに時間が掛かっているので、動く標的を狙うのは難しい状態です。今回のワイバーンも、俺1人では倒せなかったでしょう」

「なかなか謙虚だな。すでにギルドのランクはBまでアップしていると聞いているぞ」

「はい、確かにBランクまでアップしましたが、色々な面で経験不足は否めません。まだまだチャリオットの仲間から学ぶことの方が多いです」


 子爵はニンマリと笑うと、満足そうに頷いてみせた。


「謙虚で、しかも頭も回るようだな。パーティーの仲間から学ぶことが残されているのでは、私は騎士として引き抜きにくくなってしまうな」

「申し訳ございません。今は冒険者として活動を続け、いずれは王都にも行ってみたいと思っております」

「ほう、その王都とはどちらの王都だ? やはり旧王都か?」


 シュレンドル王国には王都と呼ばれる街が二つある。

 一つは今現在国王が滞在している新王都、もう一つはダンジョンの近くにある旧王都だ。


 ダンジョンは先史時代の遺跡だと言われていて、財宝や未知の魔道具などが発掘され、手に入れた者は巨万の富を得る。

 その一方で、侵入者除けの罠があったり強力な魔物が生息しており、探索には危険を伴う。


 そのためダンジョン内部にまで王国の支配が及ばず、それは周辺の街にも波及して治安が悪化の一途を辿った。

 そこで王家は遷都を行い、国の中枢を新王都へと移したのだ。


 一般的に、普通の人々は壮麗な建築物が立ち並ぶ新王都に心惹かれ、冒険者は一攫千金が狙える旧王都に心惹かれると思われている。

 子爵が、俺が行きたいのは旧王都だろうと思ったのは、そうした理由からだ。


「いえ、幼馴染が王国騎士団の候補生として新王都におりますので、いつか会いに行ければと思っております」

「ふむ、新王都か……」


 小さく頷いた子爵は、視線を隣に座っているアイーダに向けた。


「ならば、行ってみるか? 王都へ……」

「えっ? 俺が……ですか?」

「このアイーダは、今年巣立ちの儀を迎える。我々、貴族の子息は王都にある大聖堂で儀式を受けるのが習わしだ。そして、アイーダはそのまま王都にある学院に入学する。私と妻も同行するが……行ってみるかね? 希望するのであれば、護衛のリクエストを出そう」

「本当ですか! あっ、でも……」


 リクエストをリーダーであるライオスを差し置いて、俺が勝手に受ける訳にはいかない。

 俺が視線を向けると、意図を察したライオスが話を引き取ってくれた。


「子爵、それはチャリオットへのリクエストでしょうか?」

「コルドバスが首を縦に振らないか?」

「どうでしょう、巣立ちの儀の頃となると、依頼も重なりますので……」


 巣立ちの儀の時期には、近隣の小さな町や村からイブーロに人が集まって来る。

 儀式を受ける本人や関係者、見物人やそれを目当てにした商売人など……人が集まれば、食材も必要になる。


 物資輸送の護衛や、オークの討伐依頼などが増える時期で、冒険者にとっても稼ぎ時なのだ。

 その時期に看板パーティーの一つであるチャリオットが丸ごと抜けるのは、イブーロのギルドにとっては損失だろう。


「ならば、ニャンゴ個人へのリクエストならばどうだ?」

「それならば、何とか……」

「そうか、まぁまだ日にちがあることだし、頭の隅にでも置いておいてくれ」

「分かりました」


 突然降って湧いたような王都行きの話だが、まだ実現するかは微妙な感じがする。

 それよりも、話の間もずーっとアイーダに睨まれちゃってるんだけど、俺なにかしたのか?

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