第129話 想定外
ラガート子爵領とエスカランテ侯爵領の境にある中継地では、夜明け前から冒険者達が動き始めていた。
昨日は夜明け前に不意打ちのような形で襲撃されたので、今朝は殆どのパーティーが早くから支度を始めている。
まだ新年が明けたばかりで、地面には霜が下りるほどに冷え込んでいて、冒険者達の吐く息は真っ白だ。
防寒用の厚手のローブを羽織り、いつ襲撃があっても良いように身体を動かし、指先を動かしながら焚火にあたって暖を取っている。
見張りを担当している者達は、ようやく明るくなり始めたブーレ山に向かって目を凝らしていた。
山頂近くから飛び立って、麓の中継地からでも目視できる生き物はワイバーンしかいない。
接近を見落とせば自分や仲間の命を危険に晒すとあって、見張りを行っている者達は真剣そのものだ。
この時間チャリオットでは、セルージョが見張りを務めている。
夜明け前にガドと交代したばかりのはずだが、表情には眠気の欠片も見当たらない。
焚火の風上に立ち、瞬きすら忘れたようにブーレ山を眺めている。
「今朝は来ないみたいですね」
「ニャンゴか……ゆっくり休めたか?」
セルージョは、俺が声を掛けてもブーレ山の方角から視線を動かさずに返事をよこした。
「はい、体調は万全です。いつでもやれますよ」
「頼むぜ。とにかく動きを止めて地面に落とさないと、こっちの攻撃が届かないからな」
「えぇ、何としても落してやりますよ」
昨夜、眠りに落ちるまでに、いくつものパターンを考えておいた。
配置に付く前に野営地で襲われた場合、配置に付いた後に襲われた場合、狙い通り囮の牛を襲った場合、対岸の冒険者が襲われた場合……等々。
急降下から、突っ込んで来る方向も360度想定している……と言いたい所だが、建物の陰や対岸の野営地の向こう側だと、姿が捉えられない可能性がある。
周囲を見渡せるように、馬車の幌の上に陣取ろうかと思ったが、ライオスに却下されてしまった。
万が一、俺が狙われて、俺の作戦が失敗に終わった場合、俺がやられてしまうからだ。
現時点で、ワイバーンを落とす手段は俺の空属性魔法しかない。
ボードメンの提案を受けてラガート騎士団で網の調達を行うようだが、届くとしても数日後だろう。
それだけに、俺の責任は重大だ。
周囲が明るくなっていくにつれて、中継地の空気は張り詰めていったが、ワイバーンは一向に姿を現さなかった。
中継地に集まった殆どの冒険者が目を覚まして、迎撃の支度を終えているが、肝心のワイバーンが現れないので、徐々に張り詰めた空気が緩んでいく。
彫刻のごとく身じろぎもしないでブーレ山を見詰めていたセルージョも、ライオスと視線を交わして首を捻っていた。
なんだか物凄く嫌な予感がする。
これまでのワイバーンの襲撃方法を思い出すと、俺達冒険者の裏をかくような動きをしている。
最初の襲撃は油断している夜明け前、二度目はラガート側を襲うと見せかけてエスカランテ側を急襲している。
これまで戦ってきた魔物とは、一線を画している。
次の襲撃も、俺達の準備を嘲笑うような方法で行われるような気がしてならない。
あるいは、ここではなく街を襲っていたら……もう俺達では手の打ちようが無い。
太陽が完全に昇りきり、交代で簡単な朝食を済ませると、夜明け頃の緊張感はかなり薄らいでしまった。
見張りを担当している者は何人もいるし、それ以外の者もブーレ山を眺めて時間を過ごしている。
それでも緊張感が緩んでしまうのは、ワイバーンが飛び立ってから、襲い掛かって来るまでタイムラグがあるからだ。
昨日の二度目の襲撃の時、ワイバーンが飛び立ったという声を聞いてから、実際に中継地の上空に来るまでには、2分程度の時間が掛かった。
冒険者といえども1日中緊張を維持していたら、肝心な時に動けなくなってしまう。
だから、いつでも動ける準備を整え、動きが無い間は気を休めて待機しているのだ。
それは十分に理解しているし、正しい方法だと思うのだが、何かが引っ掛かる。
朝食後、俺達は囮の牛を眺める場所に陣取って、ブーレ山を眺めていた。
ブーレ山の方角から見ると、囮の牛がいて、それを見張るように冒険者や騎士が陣取り、その後に野営地がある形だ。
チャリオットのメンバーは勿論、囮の牛を眺める位置にいるが、兄貴は馬車の下のシェルターにいる。
ワイバーンが来たらシェルターに潜り、更に丈夫な箱の中で、俺たちが戻るまで身を潜めている約束だ。
陣地にいる冒険者の殆どが、囮やブーレ山を眺めていたが、俺は兄貴がちゃんと隠れているか気になって野営地を振り返った。
まだ街道を通って、新たにやってくる冒険者はいるが、兄貴の姿は見えない。
どうやら、ちゃんと隠れているようだ……と思って、何気なく視線を上に向けて見ると、黒っぽい点が見えた。
黒っぽい点は、みるみるうちに大きくなっていった。
「真上だ! 真上から来るぞ!」
俺の叫び声で、集まった冒険者達が一斉に空を見上げた。
ワイバーンは、翼を畳み、尾を抱えるようにして身体を丸めて、俺達の陣地に向かって落ちて来る。
どちらの方角から来ても良いように備えていたつもりだが、真上からは想定していない。
その上、翼を畳んだ状態では片方の翼を狙うことも出来ないし、このままでは俺達の頭の上に落ちてしまう。
「くそっ、シールド! シールド! シールド!」
全力のシールドを斜めに立てて、落下地点を囮の牛の方向へとずらそうとするが、ワイバーンの重さと加速による勢いで、思うように動かせない。
「全員離れろ! 伏せろーっ!」
俺のシールドで僅かにズレたが、ワイバーンが着地した場所は陣地から10メートルも離れていない。
驚いたことに、ワイバーンは着地する寸前まで身体を丸めたままで、激突するかと思った瞬間に地面を叩き付けるように猛烈に羽ばたいた。
身体が浮き上がるような地響きと共に、ワイバーンを中心として地面が吹き飛び、爆風が押し寄せてきた。
咄嗟に斜めに張ったシールドさえ粉々に吹き飛んだが、大盾を構えたガドが踏みとどまったおかげで、俺達は吹き飛ばされずに済んだ。
すぐにシールドを張り直して追撃に備えたが、土埃が濛々と巻き上がっていて視界が利かない。
それでも、ワイバーンの巨体なら影だけでも見えるはずと目を凝らしたが、悲鳴は対岸から聞こえてきた。
「撃て、撃てぇ!」
「ぎゃぁぁぁぁぁ……」
「馬鹿野郎、どこ狙ってやがる!」
「どこ行った!」
「風! 土埃を吹き飛ばせ!」
風属性の者が、土埃を魔法で吹き飛ばそうとするが、どちらの方向へ飛ばすか意思統一がされていなかったために、なかなか視界が戻らなかった。
ようやく視界が確保された時には、ワイバーンは遥か上空の小さな点になっていた。
ワイバーンが去った中継地は、またも惨憺たる有様だった。
ラガート側では、陣地のすぐ脇に大きなクレーターが出来ていて、吹き飛ばされた石などで多くの負傷者が出ている。
エスカランテ側は、またしても2人の冒険者が攫われ、多くの冒険者が尾で薙ぎ払われて負傷していた。
戦術としては昨日と同じような感じだが、今日の方が過激だ。
「野郎、どこから真上まで来やがったんだ」
「飛び立つ姿は見ていないぞ」
「だが、戻って行ったのは昨日と同じ方向だ」
「まさか、もう一頭いるんじゃねぇだろうな?」
「ふざけんな、あんなのが何頭もいたら、命がいくつあっても足りないぞ」
ワイバーンが去った後、ラガート側の陣地では、負傷を免れた冒険者が口々に何が起こったのか、これからどうするのか話し合いを始めていた。
幸い、チャリオットはガドの盾の後で全員が伏せていたので、一人の負傷者も出さずに済んだ。
「ライオス、こりゃ今日の討伐はここまでじゃねぇのか?」
「そうだな、一旦野営地に戻ろう」
セルージョの言う通り、冒険者だけでなく囮の牛まで吹き飛ばされてしまっている。
もっとも、囮の役割は全く果たしていないのだが、他のパーティーも体勢の立て直しを余儀なくされている状況でチャリオットだけ残っても、牛の代わりになるだけだ。
「ニャンゴ、どうして気付いたの……?」
「兄貴が気になって野営地を振りむいて、それから何となく上を見上げたら居たんだ」
「そう……かなり頭の回る個体みたい……」
シューレも、ワイバーンは頭を使ってくる相手だと認識しているようだ。
「ライオス、野営地に戻っても見張りはやっておいた方が良い……」
「そうだな……奴は、こっちが油断する瞬間をねらっているようだな」
「たぶん、若い個体じゃない……」
馬車に戻ると、兄貴はちゃんと箱の中に隠れていた。
周りで冒険者の話し声が聞こえても、箱から出なかったのは慎重なのか臆病なのか分からないが、その方が俺にとっては安心だ。
「ニャンゴ、まだ討伐できないのか?」
「うん、かなり手強い。こっちは負傷者だけだったけど、あっち側はやられたみたいだ」
「俺は、ちゃんと隠れてるからな」
「うん、今日と同じで頼む」
「分かった……けど緊張するな、やっぱり俺には冒険者は無理だ」
「兄貴は、兄貴に出来る事をすれば良いんだよ。俺はなりたくて冒険者になったんだし」
「そうか、でも無茶して怪我するなよ」
「分かってる、左目で懲りたから大丈夫だよ」
馬車に戻って来るまでは、気分がピリピリしていたけど、兄貴と話していたら少し落ち着いた。
やっぱり、少し気負っていたのかもしれない。
ここから先は、ワイバーンとの化かし合いになりそうな気がするが、次こそは痛い目をみさせてやろう。
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