第127話 奇襲
ラガート子爵領とエスカランテ侯爵領の境、ブーレ山を回り込む街道の中継地には川が流れている。
ブーレ山の中腹を水源とするこの川が、領地の境にもなっている。
チャリオットの馬車が中継地に着いた時には、既に多くの冒険者が野営の支度を始めていた。
無用な諍いを避けるために、野営地も川の両岸に分けられている。
ラガート子爵家とエスカランテ侯爵家の間で取り交わされたルールは、最終的にワイバーンが息絶えた領地が勝利という至って簡単なものだった。
例え、エスカランテ侯爵領で瀕死の重傷を負ったとしても、息絶えたのが川の北側であればラガート子爵勝ちになるらしい。
では、川の中で息絶えたら……実際に起こる確率は相当低いだろうし、その場合の勝敗の決し方までは取り決めしていないそうだ。
面倒そうなので、エスカランテ侯爵領には逃がさないようにして仕留めるようにしよう。
討伐を行うのは原則、夜明けから日没までで、公平を期すために中継地からブーレ山へと広がる草原に、5頭ずつの牛が囮として繋がれるそうだ。
この囮を遠巻きにして冒険者や騎士が待ち構え、現れたワイバーンに一斉攻撃を加える作戦のようだ。
そんな見え見えの罠に引っ掛かるものなのかと思ったが、過去にも同様の方法でワイバーンが討伐されているらしい。
というか、以前にも同じように両家で競っていたのか……。
中継地の間を流れる川は、川原を含めても幅30メートル程なので、対岸の様子は良く見える。
エスカランテ侯爵領は武術が盛んな土地なので、川原で手合わせが行われていたりして、見ているだけでも面白い。
もっとも、こちらは見物しているだけなのに、石を投げ付けてきた馬鹿野郎がいたので、シールドで防いで鼻で笑ってやった後、雷の魔法陣で黙らせてやった。
猫人だからって舐めんなよ。
夕暮れ時、ラガート子爵家の騎士が冒険者たちに集合を呼び掛けた。
いよいよ明日から本格的に討伐が行われる前の決起集会のようなものらしい。
素焼きのカップに注がれた酒が配られ、虎人の騎士が1メートルほどの木箱に上がって話し始めた。
「私は、ラガート騎士団三番隊隊長のバジーリオだ。まずは、我が主の馬鹿騒ぎに参加してくれたことに感謝する」
バジーリオの掴みネタに、冒険者からドッと笑いが起こった。
バジーリオ自身もニヤリと笑みを浮かべた後で、続きを話し始めた。
「見ての通り、我がラガート子爵家と憎きエスカランテ侯爵家といった構図になっているが、正直、勝敗などどちらでも良い。とにかく、ワイバーンを野放しにしておく訳にはいかない。これから、まだ一段と冷え込む日が続くが、それも春分の頃には緩み、やがて牧場には子牛や子羊、仔馬などが続々と生まれてくる」
ブーレ山の麓には広大な草地が広がっていて、そこを使って酪農が盛んな土地でもある。
春は出産ラッシュが続き、生まれた子供は酪農や畜産業を支える存在となる。
そうした新たな命が、ワイバーンの危機に晒されれば、将来的に大きな損失を招くこととなる。
騎士団としては、ベビーラッシュが始まる前に、何としてもワイバーンを討伐したいようだ。
「この辺りには、だいぶ群れの規模は小さくなったが、キラービーが現れる場合がある。そんな中で長期に渡る野営は当然危険を伴うものとなる。ワイバーンを仕留めるチャンスがあったならば、例え川の向こう側に横たわっていても構わない。あらん限りの攻撃を行って、必ずや息の根を止めてもらいたい」
バジーリオの厳しい言葉に、一旦緩んだ冒険者達の表情が引き締まる。
「まぁ、こちら側で仕留められれば、その方が良いに決まっているが、基本的に川の向こう側にいる間は手出しは出来ん。ワイバーンがこちらの囮を気に入ってくれるように祈っていてくれ。一応、別嬪な雌牛を揃えたつもりだ」
本当に囮が雌牛なのかは分からないが、再び笑いが広がった。
「余り長い話は嫌われるので、最後にもう一つだけ……君らが食われるようなことだけは、絶対避けてくれ。必ずや生き残り、勝利の美酒を共にしよう。必勝を期して……乾杯!」
冒険者たちも素焼きのカップを掲げ、一気に酒を飲み干した。
俺も真似して一気飲みしたのだが、猫人の小さな体格に加え空きっ腹だったので一気に酔いが回ってしまった。
フニャフニャの状態で、シューレに餌付けをされて、早々に馬車の中で丸くなって眠りに落ちた。
「ぎゃぁぁぁぁ!」
突然耳に飛び込んできた絶叫に目を覚ますと、辺りはまだ薄暗い夜明け前だった。
チャリオットのメンバーは、全員が馬車の中で眠っていたらしく、外の様子に聞き耳を立てながら身構えている。
馬車の幌には、朝の光が当たり始めていたが、大きな影が凄い速さで横切っていった。
「2人やられた!」
「いや、こっちの1人も駄目だ!」
「くそっ、夜明け前に襲って来るとか聞いてねぇぞ!」
ラガート子爵家とエスカランテ侯爵家の争いを嘲笑うかのごとく、ワイバーンは夜明け前に襲撃してきた。
襲われたのは、ラガート子爵領の冒険者のようで、たぶん昨夜の決起集会にも参加していた者だろう。
ワイバーンが飛び去ったのを確認したシューレが荷台から飛び出したのに続いて、俺も幌の外へと出てブーレ山へと視線を向けた。
山に向かって悠然と飛ぶワイバーンは、両足に1人ずつ冒険者をぶら下げている。
人間二人を鷲掴みにして、軽々と飛んでいるのだから、ワイバーンの能力は俺が考えているよりも高いような気がする。
幌の上に上がって野営地を眺めると、いくつもの天幕が薙ぎ倒されていた。
連れ去られた2人の他に、ワイバーンにはね飛ばされた冒険者は首が折れて事切れている。
囮を襲うのを待ち構えて一斉攻撃……祭りの屋台の吹き矢や輪投げの延長のような空気は完全に消え去り、辺りは殺伐とした戦場の空気に変わっていた。
馬車の荷台に戻ると、リーダーのライオスが話を始めた。
「正直、うちの馬車が襲われなくてラッキーだった。今夜からは交代で見張りを行い、他のパーティーとも連携して監視を強化する」
「野郎、夜目が利きやがるのか?」
セルージョの質問にライオスは肩を竦めてみせた。
「ワイバーンの生態は分からないが、この時間に襲ってきたのだから、夜目が利くと考えておいた方が良いだろう」
「もし真っ暗闇の中でも襲って来られるなら、厄介なんてもんじゃないぞ」
「ニャンゴ、探知できるか?」
「あの大きさなので、探知は出来ますけど、全周を探知するなら範囲は限られてしまいます。あの速さで襲ってくるのでは、探知出来ても警報を発して逃げるだけの時間は無いでしょうね」
表情を曇らせたライオスの代わりに、シューレが質問してきた。
「キラービーの時のように馬車を囲むのは?」
「たぶん、強度が足りないと思うし、一晩中続けるのも無理。もし実行したら、昼間何もできなくなっちゃうよ」
馬車を丸ごと包み込むような範囲だと、どう頑張っても3時間程度が限界だ。
夜中のうちに消耗していたら、昼の戦闘で満足な働きが出来るとは思えない。
重苦しい雰囲気の中で、ラガート子爵領側が夜明けを迎えるのとは対照的に、エスカランテ侯爵領側は朝から気勢を上げていた。
「戦場に出たのに、気を抜いているからだ」
「この調子では、3日と持たずに誰も居なくなるんじゃないか」
「可哀相に、役立たずのラガート勢に代わって、我らが討伐してやるか」
実際にエスカランテ侯爵領側が、どれほどの警戒態勢を敷いていたのか分からないし、こちらが襲われて被害を出しているのも事実なので反論し辛い状態だ。
対照的な空気の中で、両家の騎士が時間を合わせて囮の牛を引き出した。
夜明けに2人の冒険者を腹に収めたのであれば、今日は姿を現さないかもしれないと思っていたのだが、ワイバーンは昼前には姿を現した。
山頂近くから飛び立った影は、気流を捉え、殆ど羽ばたかずに滑空してくる。
上空高くから一気に降下を始めるのかと思いきや、ワイバーンはエスカランテ侯爵領側で待ち構えている冒険者からは手の届かない高さを悠然と飛び越えていった。
囮に見向きもしないあたり、やはりまだ腹が減っていないのだろう。
何処へ向かっているのだろうと、待ち構えていた冒険者達が緩みを見せた時だった。
突然ワイバーンは翼を折りたたんで急降下を始めた。
落下に近い速度で地表に向かっていたワイバーンは、降下の途中で川を越えて、ラガート子爵家側の冒険者目掛けて突っ込んで来た。
「来るぞ! 総員戦闘配置!」
ラガート子爵家の騎士バジーリオが声を張り上げ、俺達チャリオットを含めて集まった冒険者は、囮の牛に背を向ける形で身構えた。
「まだだぞ、逸って撃つな、引き付けろ!」
降下によって加速したワイバーンが、凄まじい速度であと50メートルほどの距離まで近づいた瞬間、バジーリオが声を張り上げた。
「今だ、撃て!」
バジーリオが合図した直後、ワイバーンは急旋回してエスカランテ侯爵家側の冒険者へと突っ込んで行った。
「撃て……うわぁぁぁぁぁ……」
油断していたらしいエスカランテ侯爵家側からは、疎らに攻撃魔法が撃ち出されただけだった。
「シールド!」
急降下しながら襲い掛かるワイバーンの鉤爪の前に、空属性魔法のシールドを展開したが……。
「ぎゃぁぁぁぁ……」
俺のシールドはあっさりと砕かれ、2人の冒険者が鋭い鉤爪で掴まれ、上空へと連れ去られた。
鉤爪は革鎧を貫いて深々と腹に突き刺さり、血しぶきが撒き散らされる。
更にワイバーンは、飛び去る瞬間に鋭く方向変換を行い、固い鱗に覆われた長い尾が冒険者達を薙ぎ払った。
まるでボーリングのピンのように、屈強な騎士や冒険者の身体が宙に舞う。
こちら側にも、ワイバーンの尾で巻き上げられた石などが飛んでくる。
シールドを広く展開して周囲の冒険者も守っている間に、ワイバーンは羽ばたきによるものとは思えない急激な加速で舞い上がると、悠然とブーレ山を目指して飛び去って行った。
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