第120話 年末の買い物

 カフェからアパートまでジェシカさんを送ってから、チャリオットの拠点へと戻ってきた。

 前庭では、兄貴がシューレに見守られながら棒を振っている。


「みゃっ、うにゃ! みゃっ、うにゃ! みゃっ、うにゃ!」


 時々手直ししてもらいながら、一心不乱に棒を振っている姿を見ると、拠点に来た時よりも身体つきがシッカリしてきた感じがする。

 丸まっていた背中も、少し伸びたような気がするが、まぁ俺達の場合は、基本的には猫背だ。


 懸命に棒を振っている兄貴を見ていると、ちょっと前の自分を見るようだ。

 そう言えば、去年の今頃は例年より早く雪化粧したアツーカ村で、一心不乱に鉄棒を振ってたっけ。


 あの頃、家でゴロゴロし続けていた兄貴が、こんな風に棒を振るとは思ってもみなかった。

 俺も最近は鍛錬をサボりがちなので、明日からはシューレに手合わせしてもらおう。


 兄貴の邪魔をしないように前庭の端を通り抜けようとしたのだが、スッとシューレが身体を寄せてきた。

 なんだかジト目がおっかない……。


「ニャンゴの浮気者……」

「にゃっ、別に浮気とかそんなんじゃ……って、シューレのものでもないし……」

「石鹸の匂いがレイラとは違う……誰と遊んで来たの……?」

「いや、それは……」

「学校の寮には泊まれないはず……じゃあ、どこの誰……?」

「も、黙秘しまーす!」


 ジリっ、ジリっと距離を詰めて来たシューレの脇を潜り抜けるフェイントから、斜め後ろに飛びつつステップを使って上へ逃げる。

 さすがのシューレもこの高さまでは……危なっ、尻尾の先をシューレの指が掠めていった。


 拠点の屋根に上って振り返ると、シューレは膨れっ面で腕組みをして、兄貴は呆れ顔で肩を竦めていた。

 いや、別にシューレと付き合っている訳でもないし、専属抱き枕契約を結んだ覚えも無い。


 兄貴の毛並みも良くなってきたことだし、気ままな生活をさせてもらいたい。

 そう言えば、兄貴はゴブリンの心臓を食べた影響で昨日はヘタばっていたけど、こうして棒振りが出来ているのだから休めたのだろう。


 さすがにシューレも、あの状態の兄貴をオモチャにはしなかったようだ。

 天窓から部屋に戻って着替えたら、風呂場で溜まっていた洗濯物を片付ける。


 今回は、撹拌の魔法陣を使ったドラム式洗濯機で洗浄を済ませた。

 温水とせっけんで洗浄し、シッカリと濯ぐ。


 ドラムの一部分だけ排水用と給水用に別のパーツで作っておいたので、濯ぎまでスムーズに終えられた。

 仕上げは、温風の魔法陣でまとめて乾燥した。


 俺の洗濯物を洗うついでに兄貴の分も片付けたのだが、服がみんなクタクタだ。

 そういう俺の服も、あんまり褒められた状態ではない。


 もうすぐ新年を迎えるし、来年には兄貴も新しい仕事に着手するかもしれないから、少しは恥ずかしくない服を揃えておいた方が良いだろう。

 昼飯の時に兄貴に声を掛けて、午後から服を買いに出掛けることにした。


 どこに買いに行けば良いのか悩んでいたら、シューレが同行すると言い出した。

 まぁ、猫人の兄弟で歩いているよりは、シューレが一緒の方が絡まれる心配は無いだろう。


「ニャ、ニャンゴ、下ろしてくれるように言ってくれ……」

「すまん兄貴。今日は冷え込んでいるし、カイロの代わりだと思って我慢してくれ」


 拠点を出て市場へと向かう道で、兄貴はシューレに抱えられている。

 猫人の体格ではあるけれど、やっぱり女性に抱えられているのは気恥ずかしいものなのだ。


 これまで散々抱えられてきたから、その気持ちは痛い程良く分かる。

 分かるけど、交代するつもりは無い。


 まぁ、シューレは朝帰りした俺に見せつける……的な意味合いもあるらしく、時折グリグリと頬擦りまでされて兄貴は迷惑そうだ。

 うん、前世日本で良く目にした、過保護な飼い主と迷惑そうな猫という絵面だ。


 擦れ違う人々からクスクスと笑われて、兄貴は逃げ出そうともがいていたが、途中で諦めたようだ。

 笑っていない、別に笑っていないから、そんな恨めしげな目で見ないでくれ。


 市場へと続く商店が立ち並ぶ通りには、年越しに向けた飾りつけが施され、多くの人が行き交っていた。

 日本のクリスマスのような電飾キラキラではないが、原色で染められた布を使い、色鮮やかな飾りつけがされている。


 日本のように、耳ざわりなコマーシャルソングは聞こえてこないが、あちこちから威勢の良い売り声は響いてくる。

 道行く人の話し声も、どことなく弾んでいるように感じられた。


 街の広場や大通りには屋台が建ち並び、お祭りムードを盛り上げていた。

 巣立ちの儀の時に、オラシオと一緒に屋台巡りをしたのを思い出して、なんだか気分がウキウキしてきた時だった。


「泥棒! 泥棒だぁ、捕まえてくれ──っ!」


 突然通りに響いた声に振り返ると、マフラーで顔を隠した熊人っぽい大男が鞄を抱えて走って来るのが見えた。

 その男の後方には、泣き出しそうな顔でヨタヨタと走る羊人のおっさんの姿がある。


 もう絵に描いたような引ったくりのテンプレに、思わず苦笑いしてしまった。

 走って来る男の行く手を遮るように、両手を広げて立ち塞がる。


「そこまでです。大人しく止まって下さい」

「邪魔だ、にゃんころ! ど……がはっ」


 腰からナイフを抜き放った男は、空属性のシールドで顔面を強打して、もんどり打って倒れ込んだ。

 全速力で突っ込んだから結構なダメージのようで、起き上がろうと四つん這いになった男の鼻からは、ボタボタと血が垂れている。


「が……あ……なん、だ?」

「大人しく鞄を返してあげてください」

「ふざけんな! ぶっ殺して……がっ、ぐぅ、ごはぁ!」


 引ったくり男がナイフ片手に立ち上がったので、空属性魔法で棒を作り、股間、喉笛、鳩尾の順に突きを食らわせてやった。


「手前……がぁぁぁ……」


 やっぱり、猫人の身体での物理攻撃だけでは、体格に勝る熊人を昏倒させるのは難しいようだ。

 最後は、雷の魔法陣を使って制圧した。


「ありがとうございます。年越しの資金をギルドで下したばかりで、この金が無くなっていたら新しい年を迎えられないところでした」


 引ったくり犯である熊人の男が放り出した鞄を拾い、二度と離すまいと抱え込んだ羊人のおっさんは、米つきバッタのように何度も頭を下げてきた。

 丁度そこへ騒ぎを聞きつけた官憲が駆け寄って来たので、事情を話して熊人の男を任せることにした。


 ギルドのカードを提示して名乗ると、犬人の官憲はカードと俺の顔を二度ほど見較べた後で尋ねてきた。


「もしかして、昨日押し込み強盗を逮捕してくれた人かな?」

「はい、ケーキ屋の強盗ですよね」

「連日のお手柄ですね。ご協力に感謝いたします」


 犬人の官憲は、敬礼をして俺を解放してくれた。

 羊人のおっさんが、何かお礼をと言ってきたが、固辞して買い物に戻った。


「ニャンゴ、お前本当に凄いんだな」

「ふふん、当然、ニャンゴは超有能」


 いや、だからなんでシューレが自慢するのかな。

 驚いている兄貴には、Cランク冒険者だから普通だよと言っておいた。


「シューレ、俺もあんなふうになれるのか?」

「ふふん……それは、やる気次第……」


 兄貴は何か思うところがあったのか、ジッと自分の両手を見詰めた後で、固く拳を握ってみせた。

 まぁ、シューレにお姫様だっこされている状態だから、全然格好つかないんだけどね。


 服屋に案内してくれると思って、シューレに行き先を任せていたのだが、最初に連れて行かれたのは女性向けの店だった。


「ふみゃ、ここ女性専門なんじゃ?」

「フォークスに手ほどきするのだから、服ぐらいプレゼントすべき……」

「むむむ……」

「良い男は、女性にコーディネートのアドバイスもできるもの……」

「ぐぬぬぬ……」


 結局、シューレに言いくるめられて店に入ったものの、猫人の兄弟には場違い極まりない。

 てか、兄貴は俺の後ろに隠れようとすんなよ。


「ニャ、ニャンゴ。俺は外で待っていても……」

「兄貴は俺を見捨てるのか?」

「にゃっ、そんにゃつもりじゃ……」

「諦めろ、これも人生の修行だ」

「厳しいにゃ……」


 シューレの後ろに俺が隠れ、俺の後ろに兄貴が隠れる格好で店の中を進む。

 お客の女性から向けられる視線は2種類、1つは蔑むような視線で、もう1つは隙あらばモフろうという視線だ。


 てか、そんなにモフりたいなら、猫人が差別されないようにしてくれ。

 シューレの後に隠れることばかりに気を取られていたら、禁断のエリアに足を踏み入れていたことに気付かなかった。


「いらっしゃいませ、どのようなものをお探しですか?」

「ん……少し派手めなのを……ニャンゴ選んで」

「みゃみゃっ! 選べって、ここ下着売り場……」

「頑張れ、ニャンゴ」

「兄貴ぃ……」


 この後、2時間ぐらいシューレの試着に付き合わされた。

 どれが似合うとか聞かないでくれ……恥ずかしくて、まともに見れるか。


 兄貴は試着室の隅っこで頭を抱えて丸くなってるし、店員さんにはニヨニヨした視線で見られるし、キラービーの相手をしているよりも疲れたよ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る