第78話 ボーデ
ジェシカさんの笑顔と周囲の冒険者の怨嗟の視線に見送られ、ジルと一緒にカウンター前を離れて酒場に向かう。
「いやぁ、敵が増える一方だな、ニャンゴ」
「別に、そんなつもりは無いですからね」
「そうそう、それそれ、俺にその気は無いけれど、女が放っておかないんだ……ってのがモテる秘訣なんだろうが敵は増えるばかりだぜ」
ジルの人の良さそうな笑顔に、この時ばかりはイラっとさせられる。
「あら、私はニャンゴの味方よ」
「ふにゃ! レイラさん」
一体どこから忍び寄って来ているのか、またしてもレイラさんに抱え上げられてしまった。
「もう、ニャンゴは他人行儀ね。レイラって呼び捨てにしていいのよ。昨日もベッドを共にしたんだし」
「にゃっ! そ、それは、単に一緒に寝たってだけ……」
しまった、声が大きすぎた。
ざわめいていたギルドが静かになっている。
「ニャンゴは、今日もいっぱいお仕事してきたみたいだから、後でお風呂で綺麗にしてあげるわね」
「いえ、今日は拠点に戻りますから……」
「あら、お風呂に一緒に入るのは、私じゃなくてシューレが良いの?」
「い、いえ、そういう訳じゃ……」
「ふふっ、じゃあ……ジェシカが良いのかしら?」
「レイラさん、俺で遊ぶのはやめてくれませんか……」
「えぇぇ……どうしようかなぁ」
絶対にレイラさんは俺を使って遊んでいると分かっても、全く反撃の糸口が掴めない。
結局、抱えられたまま酒場へと連行されてしまった。
「いやぁ、モテる男はつらいなぁ……ニャンゴ」
「はぁ……笑いごとじゃないですよ、ジルさん。てか話があるんじゃないんですか?」
「おぅ、そうだ。うちの連中もいるはずだから、レイラ連れて来てくれ」
許可を取るのが俺じゃなくて、レイラさんというのが何とも情けない。
てか、ボードメンのメンバーも凄い目で俺を睨んでるんですけどぉ……。
そのままボードメンの打ち上げの席に、レイラさんと一緒に参加する
俺の席は……当然のようにレイラさんの膝の上だ。
今夜はシューレがいないから、レイラさんに寄り掛かる形で座っている。
頭を預けるふにゅんふにゅんの至福のクッション付きだ。
「それで、俺に話って何です?」
「おう、オークの買い取り価格の件だ。どうやったら、あんなに高値になるんだ?」
ボードメンが討伐してきたのは、黒オークではなく普通のオークだったそうだが、買い取りの価格が思ったよりも安かったらしい。
通常オークの買い取り価格は大金貨三枚程度が相場らしいが、それが大金貨二枚だと言われたそうだ。
「いや、いくら何でも三分の二はねぇだろうって粘ってみたが、金貨三枚を追加するのがやっとでよ。高く買って欲しけりゃチャリオットぐらい良い状態で持ち込んで来いって言われてな」
「なるほど、それで理由を聞きに来たんですね」
「そういう事だ。拠点を尋ねようかと思ったら、ちょうどニャンゴを見かけたから声を掛けたって訳だ」
どうやらボードメンも仕留めたオークの下処理は、血抜きをするだけらしい。
「別に難しいことじゃないですよ。オークにしろ、鹿やイノシシにしろ、仕留めた後で放置すると肉の温度が上がって味が落ちるんです。なので、一晩川に漬けて冷やしておくんです」
「川に入れて冷やす……それだけなのか?」
「それだけですよ。俺らは川原で一晩野営して、それからイブーロまで戻ってきました」
「本当に、それだけなのか?」
「まぁ、イブーロまで運んでくる間も、冷却の魔道具を使って冷やしてきましたけどね」
「マジか、そんなデカい冷蔵庫をチャリオットは買ったのか?」
「いえ、俺が空属性の魔法で作ったものです」
「お前……本当に便利な奴だな」
ジルがしみじみ言うと、レイラさんが俺を抱える手にギュッと力を込めた。
おぉ……頭が胸の谷間に埋まってしまいますよ、レイラさん。
「ニャンゴは、アパートの入口から三階の部屋まで、私を抱っこして運んでくれるのよ」
「いや、それは運んでって頼まれたから……」
「ふふっ、駄目なの?」
「いや、駄目ではないですけど……」
あっ、耳をフーってするのは、らめぇ……。
頭のクッションは最高だけど、酒場にいる冒険者全員を敵に回しているような気がする。
俺は、こんなピリピリする感じじゃなくて、オラシオと屋台巡りをした時のような気楽な冒険者生活が送りたいのに、全然上手くいかない。
何とかならないものかと思っていたら、殺伐とし始めた空気を更に掻き乱すように荒々しい足音が酒場に響いた。
視線を向けると、先日黒オークを仕留めたと自慢していた狼人の冒険者だ。
確か、ボーデとかいう名前だったような気がする。
真っ直ぐ俺に向かって歩いてくる様子からして、また厄介事になるのは間違いなさそうだ。
「おい、にゃんころ! 手前、俺の舎弟を痛めつけたみたいだな」
「舎弟? 誰ですか?」
「とぼけるな! ロイフ達の事だ!」
「はぁ……三人掛かりでケンカを吹っ掛けておいて、返り討ちにされたら兄貴分に泣き付いたんですか。情けない連中ですねぇ……」
「なんだと、手前!」
ボーデが掴み掛かってこようとしたので、すかさずシールドで遮った。
「あいつら、路地裏でいきなり俺に網を投げつけて来たんですよ。俺も油断してたけど、危うく袋叩きにされるところでした。まぁ、返り討ちにさせてもらいましたけど、それって貴方とは全く関係の無い話ですよね」
「なんだと、こいつ……調子に乗ってんじゃねぇぞ!」
シールドをガンガン蹴り始めたボーデにジルが声を掛ける。
「止めろ、ボーデ! ニャンゴの話を聞く限りじゃ、三人で仕掛けて返り討ちにされたんだろう。お前が肩を持つ理由にならないだろう」
「そんなもの、こいつの作り話かもしれないじゃないですか」
「ニャンゴがロイフ達にケンカを吹っ掛ける理由があるのか?」
「じゃあ、ジルさんは俺に黙ってろって言うんですか?」
食って掛かって来るボーデをジルも持て余している感じだ。
「ボーデ……お前、ニャンゴに勝てると思ってるのか?」
「当たり前でしょ、にゃんころなんかに負けっこねぇよ!」
「それなら明日、訓練場で手合わせしろ。魔法も武器も何でもありの手合わせだ。それに負けたら二度とニャンゴに絡むな」
「俺が勝ったらどうするんです?」
「お前の目的はニャンゴを痛め付ける事じゃないのか? お前が勝った時点で目的は果たせてるだろう、違うか?」
「けっ、それでいいですよ。そのかわり何でもありなんだ、手合わせ中に事故が起こっても文句言わないで下さいよ」
「良いだろう……」
「にゃんころ、逃げんじゃねぇぞ!」
ボーデは床に唾を吐き捨てて、来た時と同様に荒々しい足取りで去っていった。
てか、俺はやるともやらないとも言ってないぞ。
「ジルさん、俺に何も聞かずに話を進めないで下さい」
「いや、悪い悪い、だが、ああでも言わないと納得しそうもないだろう」
「まぁ、そうかも知れませんが……何でもありって、手合わせじゃなくて決闘じゃないですか」
「ちゃんと俺が責任もって審判を務めてやる。手合わせと言ったら手合わせだ。それに、負けねぇだろう? ボーデ程度に」
「まぁ、たぶん負けないでしょうけど……あの人は、何属性なんですか?」
「ボーデか、あいつは火属性だが、ライオス同様に攻撃魔法は下手くそだ。ただし、身体強化が使えるから突進力はある」
ボーデの基本的な戦術は、派手な火属性魔法で相手の出足を止めた後、身体強化魔法を使って大剣を振り回す力押しらしい。
オークならば一人で倒せる力はあるそうなので、油断は禁物だろう。
「あの人、ランクは?」
「Cランクだな」
「えぇぇ……俺はEランクに上がったばっかりですよ」
「何言ってやがる、さっきジェシカが近々Dに上がるだろうって言ってたじゃねぇか」
「まぁ、そうですけど……」
「CランクとDランクじゃ1ランク違いだ。別に勝負したっておかしくねぇだろう」
ジルの話では、冒険者同士の争いが深刻になりそうな場合には、こうした手合わせが行われるそうだ。
酒場で暴れられると、建物や備品が壊れる恐れがあるので、場所を用意して力関係をハッキリさせるらしい。
なんだか、猿山のボス争いみたいで気が乗らないのだが、逃げ回ると今日みたいに街中で突然襲われたりしかねないようだ。
それに、場所を決めて戦うのは、この二人は仲が悪いと多くの人に知らせるためでもあるそうだ。
酒場で近くの席にならないように周りが配慮したり、依頼が重なったりしないようにギルドでも配慮してくれるらしい。
「でな、ニャンゴ。なるべく派手で分かりやすい形で勝て」
「いやいや、俺が勝つって決まってませんよ」
「いや、お前が勝つ。それは動かないだろうが、地味な決着じゃなくて派手に白黒つけろ。そうでないとボーデの野郎も実力差を実感出来ないだろうしな」
「つまり、俺の力を見せつけるような戦いをしろ……ってことですか?」
「そうだ、こいつらにもだ」
ジルが見回す酒場では、早くも明日の勝負巡っての賭けまで始まっている。
決闘まがいの手合わせなんて面倒なだけだと思ったけれど、それで絡まれる事が減るならば、やるだけの価値はありそうな気がしてきた。
俺は拠点に戻ると言ったのだが、闇討ちの危険を避けるためだとジルに言われ、またレイラさんのアパートに泊まる事になってしまった。
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