第70話 研究オタク

 研究棟の入口で待っている俺を見つけると、レンボルト先生は授業で使う教材を放り出しそうな勢いで走って来た。

 いやいや、そんなに慌てなくても逃げやしないよ。


「やぁ、ニャンゴ君。待たせてしまったかな?」

「いえ、練武場でメンデス先生と手合せしていましたので」

「そうか、そちらも見たかったが……先日提供した魔法陣は使ってみてくれたかね?」

「はい、温度調整の魔法陣も雷の魔法陣も活用させてもらいました」

「おぉ、雷の魔法陣も使ってみたのか、それで、どうだった? いや、立ち話もなんだから私の部屋へ行こう」


 案内されたレンボルト先生の部屋は、相変わらずの乱雑ぶりで足の踏み場をみつけるのも大変な状況だが、俺は空属性で足場を作れるので本の塔を崩さないように気をつけるだけで済んでいる。

 洗濯物で埋もれそうなソファーに座って、温度調整と雷の魔法陣について実用した結果を伝えると、レンボルト先生は踊り出しそうなほど興奮していた。


「なるほど、ニャンゴ君は中空の魔法陣を作れるから温度調整と水の魔法陣を連結してお湯の出る魔法陣にしたのだね?」

「はい、温度調整の魔法陣の大きさや厚さ、圧縮率などを調整すると、お湯の温度も調節できます。シャワーに使う温水から、お茶を淹れる熱湯まで思いのままです」

「素晴らしい! いや、空属性の魔法にこれほどの汎用性があるとは……これは世の中が引っくり返るほどの大発見だよ」

「俺としては、あんまり目立ちたくないので、研究成果を発表する時には名前を伏せておいてもらえると有難いです」

「そうなのかね。今のニャンゴ君ならば、王国の騎士団からも声が掛かると思うよ」


 確かに、空属性魔法の便利さを知れば、騎士団からスカウトされるかもしれないし、巣立ちの儀を受けた時ならば一も二も無く誘いを受けていただろう。

 王都で頑張っているオラシオに追いつきたいという気持ちもあるが、それ以上に歩き始めたばかりの冒険者の道の方が今は気に入っている。


「うーん……俺は貴族様の堅苦しい生活よりも気ままな冒険者生活の方が良いですね」

「なるほど、ではニャンゴ君の名前は伏せて発表するようにするが……いずれは知られてしまうと思うよ」

「まぁ、その時はその時で考えますので、レンボルト先生は匿名を貫いていただけると有難いです」

「了解した。ところで、雷の魔法陣なのだが、実演できるかね?」

「出来ますけど、目で見えるほど強烈な雷は危険ですよ」

「そうか……ならば、ネズミが死ななかった程度のものを作ってくれないか?」

「えっ、まさか……」

「私が身をもって体験してみようと思う」


 この研究室が示している通り、レンボルト先生は研究オタクと呼んだ方が良い人のようなので、駄目だと言っても納得しそうもないから弱めのもので体験してもらう事にした。


「では、この辺りに作りますから、手を伸ばして触れてみて下さい」

「こうかね? ぬぁ! これが雷……」


 作った雷の魔法陣は、冬場の静電気程度の強さなので、レンボルト先生が触れた瞬間微かにパチっと音がした程度だ。

 こちらの世界には、プラスチックなどの合成樹脂の品物が無いので、静電気を感じる機会も多くない。


 レンボルト先生は手の平を閉じたり開いたりして、感触を確かめているようだ。


「ニャンゴ君、もう少し強く出来るかね」

「出来ますけど、あまり強いと危険ですよ」

「ネズミが気絶するか、心臓が止まって死ぬのだったね」

「はい、頭から身体の各部への指令が阻害されるのだと思います」


 前世の日本では脳から信号は微弱な電気によって伝えられていると知られているが、こちらの世界では未知の知識だ。


「なるほど、ではネズミも気絶しない程度にしておいてくれたまえ」

「分かりました。では、先程と同じように……」

「この辺り……おわぁ!」


 パチンと先程よりも大きな音がして、レンボルト先生は開いた手を振って痛みを紛らわしている。


「いやいや、なるほど、これが更に強くなれば、ネズミが気絶したり死亡するのも良く分かる。ニャンゴ君、もうちょっとだけ強く出来るかな」

「良いですけど、大丈夫ですか?」

「構わん、やってくれたまえ……ふぉぉ!」


 バチンと大きな音がした後、レンボルト先生は右手の肘を押さえて顔を歪ませた。

 確かに俺としても、どの程度まで耐えられるかの参考にはなるのだが、自分から実験台になろうとは思わない。


「ニャンゴ君、もうちょっと……」

「いやいや、さすがに止めておいた方が良いです」

「いや、もう一度だけ、もう一段階だけ強くしてみてくれ。雷が人体に与える影響を味わうなど、滅多に出来ないことだからね」


 レンボルト先生が生粋の研究オタクだと気付いているけど、ここまでくると少々変態じみてくる。


「本当にやるんですか?」

「あぁ、もう一度だけ頼むよ……うぎぃぃぃ!」


 悲鳴を上げながらもレンボルト先生は、どことなく恍惚とした表情を浮かべている。

 うん、この人はホンマものの変態さんだから気を付けよう。


 もう一回とせがむレンボルト先生を諌めて、新しい魔方陣を教えてもらう。


「うむ、残念だが雷の魔方陣についてはまたの機会にしよう。では、今日はどの魔方陣にするかね?」

「重量軽減の魔方陣をお願いします」

「ふむふむ、身体の小さいニャンゴ君にはもってこいの魔方陣だね」

「これは物の重さを軽くする魔法陣だと思いますが、今まで見たことがありません。そんな便利な魔法陣だったら、もっと広く普及していそうな気がしますが」

「その通り。この魔法陣は、魔力の消耗が激しいのだよ」


 重量を軽減したい物は当然重たい物になるのだが、魔法陣を作用させる物が重たければ重たいほど、効果を実感するには大量の魔力を消耗するらしい。

 逆に言うならば、軽い物であれば少ない魔力で効果を実感出来るのだが、軽い品物であればわざわざ魔力を使ってまで重量を軽減する必要は無いので、結果として使い道の無い魔法陣だとされているらしい。


「ニャンゴ君ならば、自分の魔力や魔石を使わなくても魔法陣を発動させられるから、もしかすると新しい使い道を考えられるかもしれないね」

「そうですね……ただ、試してみないことには分かりませんね」


 重たい荷物を軽々運べるようになるかと思ったのだが、魔力の消費が大きいのであれば、これまで通りカートを利用して運んだ方が効率は良さそうな気がする。

 自分で望んで教えてもらったのだが、ちょっと失敗だったかもしれない。


「どうだね、ニャンゴ君。もう一つ覚えていくかい?」

「良いのですか?」

「構わないよ。私としても、ニャンゴ君にこれまでにない使い方を開発してもらう方が助かるからね」

「そうですか……では、これまで一般的じゃないものを教えてください」

「ふむ、一般的じゃないものか……では、この粉砕はどうかな?」


 粉砕の魔法陣は、採掘の現場などで使われていた魔法陣だそうで、硬い岩盤の表面に刻んだり、描いたりして使われていたそうだ。


「粉砕の魔法陣は、なぜ使われなくなったんですか?」

「これは使い勝手が悪くてね。発動させた場所を文字通り粉砕するのだが……ちょっと想像してみてもらえるかな。魔法陣を発動させるには、岩盤を砕く場所の近くに人がいなければならない」

「それって、危なくないんですか?」

「危ないね。なので、最近は火の魔法で熱して、水の魔法で急速に冷やして割る方法が一般的だそうだ。ニャンゴ君も試す場合には怪我をしないように気をつけてくれたまえ」

「分かりました。十分に注意して実験します」


 レンボルト先生にお礼を言って、またの来訪を約束して研究棟を後にした。

 重量軽減も粉砕も、普通に使うには癖のある魔法陣のようだが、それは雷の魔法陣も同じだ。


 これまで使い道の無かった雷の魔法陣も、武器として使える段階になっている。

 たぶん、粉砕の魔法陣も俺ならば武器として使えるはずだ。


 ちょっとした買い物を済ませた後、拠点に戻る道を歩きながら、まず重量軽減の魔法陣を暗記した。

 レンボルト先生に教わった図の通りに空気を固めてみるが、暖まるわけでも水が出る訳でもないので、効果は全く実感出来ない。


 何か荷物でもと思ったが、背負っているリュックにも重たい物は入っていないので実験には使えそうもない。


「何か重しになるもの……そうか、俺が重しになれば良いのか」


 ちょうど拠点が見えてきた所だったので、塀を飛び越える瞬間にお腹に密着するように重量軽減の魔法陣を作ってみることにした。


「魔力の消費が大きいって言ってたから、ちょっと圧縮率を高めにして、せーの……ふにゃぁぁぁぁぁ!」


 思い切り踏み切ると同時に魔法陣を発動させたら、身体がロケットのような勢いで上昇し拠点の屋根が遥か足元に見えた。


「にゃ、にゃ、にゃぁぁぁ……ステップ! ふぅ……」


 空属性魔法で足場を作れば転落する心配など無いのだが、予想外の展開にちょっとパニックになってしまった。


「うわぁ、30メートル……いや、もっとかな? とりあえず下りよう」


 ステップで足場を作って少しずつ飛び下りていくのだが、屋根裏部屋の窓とは高さが違いすぎて怖いほどだ。

 もし踏み切った時に身体強化まで使っていたら、一体どのくらいの高さまで飛び上っていただろうか。


「効果は実感出来たけど、実戦で使えるようになるには相当練習が必要かなぁ……」


 拠点の屋根に足が付くと、心底ほっとした。

 同じような高さまで自分で上った事もあるが、予想していない状況で飛び上るのは心臓に良くない。


 粉砕の魔法陣の実験も、ちょっと慎重に進めた方が良い気がしてきた。

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