第65話 拠点
レイラさんの部屋で一夜を過ごした翌朝、空にはどんよりとした雲が広がっていた。
アパートの入口には、昨夜と同じ犬人の警備員が立っている。
「おはようございます」
「あぁ、おはよう。昨夜はお楽しみだったのかい?」
「一晩、抱き枕代わりにされただけですよ」
「ははっ、そりゃまたご苦労様だったな」
「あの……この近くで朝食が食べられる店とかありませんかね?」
「ギルドの酒場が開いてるぞ」
「えっ! こんな時間からですか?」
「別の店員が担当しているのさ」
ギルドの酒場は、依頼に出掛ける前に腹ごしらえをする冒険者のために、朝は軽食を出す食堂に変わるそうだ。
今日は依頼は受ける予定は無いが、チャリオットの拠点に行ってもまともな食事は期待できそうも無いので、腹ごしらえをしてから出掛けることにした。
まだ少し時間が早いので、昨日ほどは混雑していないが、それでも掲示板の前には仕事を求める冒険者の姿がある。
酒場では、パンとソーセージ、ゆで卵にスープというセットメニューのみが販売されていた。
量が足りない者は、パンやソーセージを追加しているようだが、猫人の俺には十分なボリュームだ。
お金を払ってトレイを受け取り、空いている席を探して奥の隅っこのテーブルに腰を落ち着けた。
「うん、まぁまぁかな……」
鷹の目亭の朝食には及ばないが、それでも価格の割には良い味とボリュームだ。
チャリオットの三人は依頼明けということで、昨晩はかなり深酒していたようなので、もしかすると午前中は使い物にならないかもしれない。
というか、今の時間に尋ねて行っても、たぶん誰も起きていないだろう。
シューレもかなり酔っていたように見えたけど、ちゃんと鷹の目亭まで帰れたのだろうか。
とりあえず急ぐ必要は無いので、のんびりと朝食を堪能しているとテーブルに影が差した。
視線を上げると、三人の若い冒険者が不機嫌そうな表情で俺を見下ろしていた。
「レイラさんがいないと、うみゃうみゃ鳴かねぇのか?」
確かこの三人は、昨晩ライオス達の話に聞き耳を立てていた連中だ。
俺がレイラさんを独り占めしていたのが気に入らないのだろうが、実際にはレイラさんが俺を独り占めしていた……なんて言っても納得しないのだろうな。
「シカトしてねぇで、何とか言えよ、にゃんころ!」
「じゃあ一言……食事が不味くなるんで、消えて下さい」
「何だと、手前!」
一番手前にいる熊人の太っちょが掴み掛かって来たけど、シールドに遮られて手は届かない。
「くそっ、何だこれ、どうなってんだ!」
「手前、卑怯だぞ! 出て来い!」
狼人と虎人の冒険者もテーブルの反対側から手を伸ばして来るが、シールドに遮られて……以下同文だ。
てか、三人掛かりで突っ掛かって来て、どの口が卑怯なんてぬかすんだ。
テーブルの中央から、背後の壁までシールドで囲っているので、食事が出来るガラス張りの動物園にでもいる気分だ。
天井との間には隙間があるので声は響いて来るけれど、汚らしい唾も飛んで来ないので、そのまま食事を続けた。
「くっそ……覚えてやがれ」
「いつまでも調子に乗っていられると思うなよ!」
「せいぜい一人でいる時には気を付けるんだな!」
シールドを殴りつけ、蹴りつけ、それでもビクともしないと分かると、捨て台詞を残して去って行こうとしたが、三人揃って足を滑らせて盛大にひっくり返った。
床の上に摩擦の少ないツルツルのシールドを敷いておいたのだが、予想以上の効果に笑ってしまった。
「痛ぇぇぇ……」
「くそっ、どうなってんだ!」
「うわっ、危ねぇ!」
酒場に居合わせた人達も腹を抱えて笑い出し、三人組は顔を真っ赤にして俺の方を振り返って勢い良く立ち上がろうとしたが、また足を滑らせて転ぶ。
滑り止めをしていない靴で、氷の上に乗っかっているようなものだから、こうなるのも当然だ。
ツルツルのシールドを消してやると三人組はようやく立ち上がり、俺に向かって突進して来ようとして、シールドに顔をぶつけて倒れ込んだ。
俺が目には見えない壁を操ると最初に体験したのに、アホじゃなかろうか。
イブーロに来る前に想像はしていたけど、恐ろしく頭の悪そうな連中もいるのだと再確認させられた。
今も空属性のアーマーは着込んでいるけれど、抱え上げられないようにシールドも装備しておいた方が良いかもしれない。
三人組は鼻血を垂らしながら覚えていろと定番の捨て台詞を残し、今日の仕事を探しに行ったようなので、掲示板前の混雑が終わるまで待ってから酒場を出た。
周りの邪魔にならないように気を付けながら、念のためギルドを出るまで周囲にシールドを展開しておく。
幸い三人組が襲ってくることは無く、ギルドを出た後はステップを使って屋根へ上がり、そのまま屋根伝いでチャリオットの拠点を目指した。
上に向かって移動する時に通行人が驚いていたが、屋根まで上ってしまえば視線を気にする必要も無い。
チャリオットの拠点に着くと、丁度シューレが門を飛び越えたところだった。
鷹の目亭の部屋は引き払ってきたのだろう、今朝は大きめのドラムバッグを担いでいる。
その横に飛び降りようとしたら、シューレの右手が電光のごとく短剣に伸びたのを見て、慌ててステップを使って方向転換して離れた場所に飛び降りた。
「おはようございます、ニャンゴです」
「空から降ってきた……?」
「屋根伝いに移動して来たので」
「なるほど……でも、急に近づかれると驚くから止めて……」
「はい、俺もバッサリやられるのは御免です」
「うん……でも、ニャンゴは思っていた以上に手強そう」
「魔法も使って良いならば、俺は手強いですよ」
「手合わせが楽しみ……」
魔法無しで戦えば、シューレの方が強いと思うので、俺も手合わせが楽しみではある。
ただ、その前に拠点での居場所を作らねばならない。
シューレと一緒に裏口に回り扉をノックすると、ライオスが掠れた声で返事をしてきた。
「開いてるぞ、入ってくれ」
「お邪魔します……おぉ!」
裏口から短い廊下を抜けた先は、まるで酒場のような作りのリビングだった。
入った左手には、六人ぐらいが座れるテーブルが二つ、右手にはカウンターテーブルに椅子が三脚、奥には二階に上がる階段がある。
返事の主ライオスは、カウンターの椅子に腰を下ろして右手で額を抑えていた。
見るからに二日酔いで、たった今起きたばかりという感じだ。
「飲みすぎじゃないですか?」
「まぁ、依頼明けだからな……」
「ガドさんとセルージョさんは……って聞くまでもないですか」
「あぁ、まだ起きてくる気配は無いな」
ライオスが視線を上に向けた様子から見て、二人の部屋は二階のようだ。
「まぁ、そこらに座っていてくれ……」
俺とシューレに空のテーブルを指差すと、ライオスはカウンターの中に入ってゴソゴソと作業を始めた。
やかんに水を注ぎ、魔道具のコンロに載せてお湯を沸かし始める。
続いて戸棚から取り出したのは、密閉出来る瓶に入った茶色い粉とドリップ用のフィルターだった。
どうやら、こちらの世界ではカルフェと呼ばれているコーヒーを淹れてくれるようだ。
ライオスはフィルターの上にコーヒーの粉を入れ、チラリと視線を二階に向けた後で瓶に蓋をした。
やかんの蓋が躍る音が聞こえ、コンロの火を消したライオスがフィルターのコーヒー豆にお湯を注ぐ。
たちまち室内に香ばしいコーヒーの匂いが漂い、シューレもうっとりとした表情を浮かべている。
ふと窓の外に目を向けると、静かに雨が降り出していた。
「まぁ、こいつでも飲んで、ゆっくりしていてくれ」
ライオスは、大振りのカップに注いだカルフェと砂糖壺を持ってきてくれた。
「カルフェですか……良い香りですね」
「ほう、ニャンゴはカルフェを知っていたか、さすがグルメだな」
「秋休みに入る村長の息子を迎えに来た時に、市場で見かけて知りました」
「そうか……砂糖は好みで入れてくれ。どうした、飲まないのか?」
「いえ……もう少し冷めてからいただきます」
猫人にとって熱々のカルフェは香りを楽しむもので、味を楽しむのは冷めてからだ。
黒ヒョウ人のシューレも、俺と同じく香りを堪能するのに専念しているようだ。
「そうだ、昨日の晩は言い忘れていたんだが、空いてる部屋が一つしか無いんだ」
「えっ、でも……」
「私とニャンゴが一緒に暮らせば大丈夫……」
「うっ……」
テーブルの向こう側でシューレが両手をワキワキさせて、俺をモフる気全開にしている。
シューレに毎日抱き枕にされるのは、俺としては勘弁してもらいたい。
「後は屋根裏が空いてるが、天井が……」
「俺なら大丈夫ですよ」
「おぅ、そうか。ニャンゴなら頭をぶつけないで済みそうだが……良いのか、屋根裏で?」
「良くないわ、ニャンゴは私と……」
「いえいえ、屋根裏結構、全然大丈夫です。アツーカの実家では自分の部屋なんかありませんでしたから」
「むぅ……ニャンゴは、そんなに私と暮らすのは嫌なの?」
「僕は、湯たんぽでも抱き枕でもありませんからね」
「むぅ……」
不機嫌そうに頬を膨らませるシューレは、ちょっと可愛いけど自分の部屋の確保は譲れない。
それに、パーティーの拠点の屋根裏部屋とかワクワクするもんね。
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