第35話 残暑厳しき日

 翌日、イブーロに向かう馬車の御者台で、ゴブリンの巣の件をゼオルさんに相談した。


「洞窟ではない、出口が別にある……面倒なところに巣を作りやがったな」

「まぁ、俺が上側の出口や岩の割れ目を、塞いでしまえば良いだけなんでしょうが……」

「そうか、なんだそんな手があるならば、別に悩む必要は無いな。秋に討伐する場所に入れておけば問題無いだろう」

「今年も、ゴブリンやコボルトの巣を駆除するんですね?」

「当然だ。村の近くに残しておくと、冬に面倒な思いをする事になるからな」


 秋のうちに討伐を終えておかないと、雪が降った後に村が襲われるような事態になった場合、対処が難しくなる。


「雪で足場が悪くなると、こっちはどうしても不利になる。少しでも条件の良い秋のうちに討伐は終らせる」

「じゃあ、イブーロから戻ったら、山を偵察して来ますよ。巣を探しながら山を歩き回るのは、体力の無駄使いになりますからね」

「そうだな……よし、巣を一箇所発見するごとに、いくらか村長に出させるように交渉してやろう。巣のある場所、群れのだいたいの規模が分かれば、こちらも支度を整えやすい」

「分かりました。戻ったら、早速取り掛かりますよ」

「それにしても、ニャンゴに日除けを作ってもらって助かったぜ。この天気じゃ、馬も俺達も日干しになりかねぇからな」


 ゼオルさんが用意した布は、古い幌馬車用の幌布で、広げると御者台だけでなく馬まで覆える大きさだった。


「俺は自分達の事しか頭に無かったけど、馬まで考えるとは……さすがですね」

「それも、お前が魔法で支えてこそだ。こんな芸当が出来る奴は、国中を探したって見つからないぜ」


 夏も終わり、もう秋に入っているのだが日差しは強く、昼間は日陰に逃げ込みたくなる気温だ。

 布を張り、直射日光を遮るだけでも、過ごしやすさは大違いだ。


「馬も汗をかく。水と一緒に塩も与えてやらないと、バテて動けなくなるからな」

「俺は座っているだけでもウンザリですよ。早く涼しくなりませんかね」

「猫人は、自前の毛皮を着込んでるからな……その分、冬は暖かくて良いだろう」

「どうなんですかね。まぁ、もう少しすると冬毛に生え変わりますけど、寒いものは寒いですよ」

「冬場は猫人がもてる季節だと言われてるぞ」

「いや、それって完全に暖房器具としてですよね?」

「ふふふ……まぁな」


 幌布で日陰を作ったおかげで、馬達の消耗がかなり軽減できたようだ。

 途中ですれ違った馬車を引いていた馬などは、全身が白くなるほど汗をかき、随分と苦しげな息遣いをしていた。


 馬にまで日陰を作ったゼオルさんだが、こまめに休息、給水をさせて、無理を強いる事はしなかった。

 馬が動けなくなれば、馬車は街道で立ち往生し、魔物に襲われる確率が高くなる。

 街道を行く馬と人は、一蓮托生の運命共同体なのだ。


「休憩を多く取ると、余分な時間が掛かると思うだろう? 確かに休んでいる時間は長い。だがな、気分良く走らせてやれば移動の時間は短くなって、目的地に到着する時間は大して変わらないどころか早い事だってある。それにな、その日一日分の疲労度が大きく違ってくる。そいつが積み重なっていくと、馬が馬車を引ける年数が大きく変わってくるんだぜ」


 ゼオルさんの言うことは、全くその通りだと思うが、実践するのが難しそうだ。

 キダイに到着した時、アツーカから半日馬車を引いてきた馬達には、まだまだ余力が残されているように見えた。


 昼前にキダイを出発したが、南風が吹いている影響か道に陽炎が立つほど気温が上がってきた。

 季節外れの暑さは、いわゆるフェーン現象みたいなものなのだろう。


「ちっ、これじゃあ無理は出来ないな……」

「ゼオルさん、水でも撒きましょうか?」

「はぁ、どこから撒くほどの水を汲んでくるつもりだ」

「それは、勿論魔道具で……」


 怪訝な表情を浮かべるゼオルさんに、この夏習得した水の魔法陣を使ったアイテムを披露する事にした。


「ではでは、シャワー」


 馬車を引く二頭の馬の前に、細かな水流が降り注ぐ様子は、空中に二つのシャワーノズルが設置されているようだ。


「おいおい、ニャンゴ。こりゃどうなってんだ!」

「空属性魔法で、空気を魔法陣の形に固めると、含まれている魔素で刻印魔法が発動するみたいなんです」

「なんだと、それじゃあ他の刻印魔法も使えるのか?」

「はい、まだ練習中ですけど、火の魔法陣と光の魔法陣は使えます」

「がはははは、面白い、面白いぞニャンゴ。お前は本当に俺を楽しませてくれるな」


 今発動させている魔法陣には、空属性魔法で作った小さな穴を開けたカバーが被せてあって、それでシャワー状の水が出るようになっている。

 快適な水浴びが出来るように、この夏改良を重ねてきたのだ。


「ニャンゴ、もう少し前に撒くことは出来るか?」

「はい、あぁ、その方が涼しくなりそうですね」


 馬車の前方十メートルぐらいに、更にノズルを増やして水を撒くと、暑さが少し和らいだ。

 更に、途中で馬にも水浴びをさせてやったので、ヘバることも無く無事にイブーロまで到着出来た。


 街道の途中では、木陰に馬を入れて休ませている人もいたし、街の入口では衛士が驚いていた。


「あんたら、この暑さの中を走らせて来たのかい?」

「でなけりゃ、ここには来れてないだろう」

「まぁ、その通りだが、随分とタフな馬なんだな」

「がははは、御者の腕が良いんだよ」

「はははは、そういう事にしておこう。行っていいぞ」


 まさか、日除け散水付きで来たとは、思ってもみないだろう。


「ゼオルさん、宿に馬と馬車を預けたら、ちょっと行きたい所があるんですが」

「おぅ、例の小遣い稼ぎか?」

「はい、早めに行かないと、鮮度が落ちるので……」

「鮮度だぁ?」


 鮮度という言葉が気になったのか、ゼオルさんも一緒に付いてきた。


「どこへ行くんだ?」

「ちょっと、レストランまで」

「レストランだと……?」


 巣立ちの儀の時に、プローネ茸を買い取ってくれた店長さんは、俺の事を覚えていた。


「おぉ、君は、あの時の……また良い物が採れたのかい?」

「はい、今日は四つあるんですが……」

「見せてくれるかい? 以前、君が持ち込んでくれた物は、とても評判が良くてね……おぉ、今回も素晴らしいね」


 籠を開けてプローネ茸を見せると、店長は目を輝かせた。


「どうでしょう?」

「うん、全部いただくよ。四つで金貨一枚でどうかな?」

「はい、ありがとうございます」


 店長がお金を取りに店の中へと戻ると、ゼオルさんに背中を叩かれた。


「こいつは驚いたぞ、ニャンゴ。小遣いレベルの話じゃねぇな」

「痛いですよ、ゼオルさん」

「お前、これだけで食っていけるんじゃないか?」

「いやぁ、いつも生えてる訳じゃないから難しいと思いますよ」

「そうか、それもそうか……」


 店長からお金を受け取り、お礼を言ってレストランを後にした。

 それにしても、ポンと金貨一枚分のプローネ茸を仕入れてしまうのだから、かなり繁盛しているのだろう。


「ニャンゴ、次は俺の用事に付き合え」

「はい、いいですよ。どこに行きます?」

「まぁ。付いて来い」


 ゼオルさんが俺を引っ張って行った先は、食料品の市場だ。

 肉、魚、野菜、穀類、乾物、包丁、調理器具など、様々な店が所狭しと軒を並べている。


 東京で言うなら上野のアメ横か、築地の場外市場みたいな感じだ。

 様々な匂いが、グワっと押し寄せて来て、何の匂いなんだか分かなくなってくる。


 ゼオルさんが辿り着いた一角は、更に強い匂いに支配された、香辛料などの店が並ぶエリアだった。

 まぁ、予想はしていたけど、茶葉を仕入れに来たのだろう。


「ここだ、ニャンゴ。この市場で一番の茶葉を扱う店だぞ」


 ゼオルさんの言葉は、俺の鼻をくすぐった匂いのせいで、半分以上耳から零れていった。

 すぐ隣の小さな店で扱っていたのは、コーヒー豆だった。


「ゼオルさん、俺、隣の店を覗いてるんで、帰る時は声を掛けて下さい」

「おぅ、分かった……」


 コーヒー豆を扱う店にいたのは、四十代ぐらいの狸人のおばさんだった。

 この辺では見かけない民族衣装を着ている。


「いらっしゃい、坊や。どうだい、良い香りだろう? これはカルフェという豆だよ。よーく炒って、粉にして、お湯に入れて煮出すのさ」

「あんまり見かけないよね」

「そうだね、イブーロじゃ、うちが一年前から扱い始めたのが最初だろうね。王都では、もう普通に飲まれてるよ」


 転生してから、初めて嗅いだコーヒーの香りに、脳が支配されている。

 珍しいものは高いと思い込んでいたが、値段を聞いたら意外に高くなかった。


「酸味が少ないのは、どれ?」

「へぇ、坊やカルフェを飲んだことがあるのかい?」

「ううん、話に聞いただけだよ」

「それじゃあ、このカルジ・フレラが良いだろう。酸味が少なく、香りが豊かだよ」

「じゃあ、それを……」

「はいよ」


 結局、我慢しきれずに買ってしまった。あとで、砂糖も買っておこう。

 良い茶葉が買えたらしいゼオルさんと二人、ホクホク顔で市場を後にした。

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