第30話 雨季の一日

 六月に入り雨の日が増えてきた。

 村の人たちは、単純に雨季と呼んでいるが、俺は密かに梅雨と呼んでいる。


 アツーカ村の季節の移ろいは、日本の四季に良く似ていた。

 ジメジメとするこの季節は、自前の毛皮を着込んでいる猫人には一層鬱陶しく感じられる。


 雨季が終われば、太陽が照りつける夏がやって来るが、やっぱり猫人には辛い季節だ。

 今年も、ゼオルさんとの稽古の日以外は、昼間は沢沿いの涼しい場所で過ごすとしよう。


 雨が降り続いていても、ゼオルさんとの稽古は行われている。

 空属性魔法で、屋根と床を作れば、雨が降っていようと関係ない。


 魔素の暴走で崩れたバランスも、殆ど取り戻せたし、魔法で固められる範囲は更に広くなっている。

 ゴブリン、オークと二度の急激な魔脈の拡張が、良い方向に働いているようだ。


 棒術も、少しずつだが上達の兆しが見え始めた。

 構えをとったゼオルさんとでも、打ち合える回数、時間が増えて来ている。


「しゃっ!」

「おぅ!」


 突き入れた棒を弾かれても、以前のように手から離れて飛んでいきそうな感じは無い。

 何度も、何度も、何度も弾かれているうちに、受け流す術を身体が覚えたのだ。


 弾かれる場所、方向、強さは、一回ごとに違っているので、頭で考えてどうこう出来るものではないのだ。

 考える以前に勝手に身体が反応するように、ひたすら打ち合い、打たれ、悔しい思いをしてきた成果だ。


 とは言っても、まだ俺の棒はゼオルさんには当たらない。

 そもそもの経験の差に加え、体格差もある。


 一朝一夕には埋められない差だが、俺はまだまだ成長する。

 成長を続ける限り、差は縮まっていくはずだ。


「そこっ!」


 俺が下段から打ち込んだ棒を払った時、ほんの少しだがゼオルさんの足捌きが乱れたように見えた。

 すかさず脛を払いにいったが、待ち構えていたように上から押さえ込まれ、跳ね上がって来た棒の先は、俺の顎の下でピタリと止まった。


「罠か……」

「そうだ、お前を誘い込むために、わざと隙を作って見せたのさ」

「くぅ……」

「だが、悲観することは無いぞ。今までにも、何度か同じような隙を見せて誘っていたが、明確に反応できたのは初めてだ」

「でも、反応できても罠じゃ……」

「隙と見れば攻撃するのは当然だ。罠だったら、罠に対処すれば良いだけだ」

「うわぁ、先は長いなぁ……」

「そういう事だ……そら、行くぞ!」


 ゼオルさんは、教えるのが上手いのか下手なのか時々分からなくなるが、たぶん考えたら負けなんだと思う。

 稽古の後は、井戸で水浴びをしてから、冷たいお茶をご馳走になった。


 ゼオルさんが、行商人の持ち込んだ冷蔵庫を購入したのだ。

 構造は至って簡単で、内側に金属板を貼った木箱の中に、冷やす魔道具が取り付けてあるだけだ。


 構造は簡単だが性能はなかなかのもので、凍るまではいかないがキンキンに冷える。

 その上、冷やしてあったのはハーブティーで、ミントのようなスーっとした清涼感が、更に涼しさを増してくれた。


「ゼオルさん、茶店でも開くつもりですか?」

「がははは、それも良いな。身体が動かなくなったら、村長から街道沿いの土地を借りて、茶店の爺ぃに納まるか」


 そんな生き方も良いかも……と思いかけたが、そもそも動けなくなったゼオルさんを想像出来ない。

 このおっさんは、俺が爺ぃになっても矍鑠としていそうだ。


 お茶をご馳走になって、そろそろ帰ろうかと思っていたら、外からバシャバシャと足音が聞えてきた。


「ゼオルさん、オークです。キダイとの丁度中間あたりに三頭ぐらいの群れで現れて、乗り合い馬車が襲われました」

「被害は?」

「馬一頭と御者が一人、怪我人も数人出ています」

「街道は止めたのか?」

「うちからキダイに向かう側は通行止めにしてありますが、キダイの方は情報が届いているかどうか……」

「十五人集めろ。明日の朝には出るぞ」

「分かりました」


 村長宅の使用人は、雨に打たれながら駆け戻っていった。


「ニャンゴ、お前も来い」

「はい、一頭は任せて下さい」

「そいつはオークを確認してからだな」

「確認……ですか?」

「そうだ。単に若いオスが安住の地を求めて山から下りて来たのなら、さして手間も掛からないだろうが、ジェネラルが混じっていたら話は別だ」


 オークは春から夏に掛けて、縄張り争いを始めるそうだ。

 それまで群れで養われていた若い個体が独立し、自分の縄張りを求めて移動するうちに、村や街道へと下りてくる事が増える時期でもあるらしい。


 また、それとは別に、ジェネラルと呼ばれるリーダー格の個体が現れ、群れを統率して新しい縄張りを求めて移動し、その最中に旅人や村を襲うことがあるそうだ。

 この場合、オーク達が組織立った動きをするので、討伐には危険を伴う。


「ジェネラルやキング、メイジといった特殊な個体が混じっている場合は、無理をせずに撤退も検討する」

「討伐に参加する人数を増やすんですか?」

「そうだ、もしくは腕の立つ冒険者を手配するか……と言っても、手配するにはキダイの先のイブーロまで行かなきゃならんのだがな」


 魔物の討伐を冒険者に頼むには、その魔物が出没する危険な場所を通っていかなきゃならない……僻地の村の悲しいあるあるだ。

 アツーカのような小さな村では、規模の大きな魔物の群れに襲われた場合、壊滅的な被害を受けることもある。


 それ故に村長は、ベテラン冒険者のゼオルさんを雇い、村の男衆が戦えるように指導を頼んでいるのだ。

 ゴブリン、コボルト程度は追い返せるだろうし、オークやオーガなどの大きな群れであっても、全滅しないで済むように備えている。


「ゼオルさん、討伐はどういう手順でやるんですか?」

「今回は、参加する十五名を幌馬車に乗せてキダイに向かう。オークどもは馬車を見つければ襲って来るから、そこを返り討ちにする」

「ジェネラルがいた場合は?」

「応戦しつつ、キダイまで引っ張って行く」

「えっ、キダイに連れて行っちゃうんですか?」

「馬車の向きを変える余裕は無いだろうし、キダイでも準備は進めているはずだ。それにニャンゴ、お前にキダイまで知らせに走ってもらう」

「僕が先行して、キダイにオークを連れて行くと知らせるんですね」

「そうだ、こいつはアツーカだけでなく、キダイの問題でもあるからな」


 オークどもが、そのまま街道周辺に留まるのか、それとも村を襲って来るのか、襲うとすれば、アツーカなのかキダイなのか……どちらの村にとっても他人事ではない。


「明日は、晴れるといいですね」

「そうだが……あまり期待はできんな」


 稽古をしていた時よりも雨脚は弱まっているようにも見えるが、窓から見える西の空は雲に覆われていて暗い。

 せめて太陽が顔を覗かせていれば、明日の好天も期待出来るのだが、今の時点では望み薄のようだ。


「ジェネラルがいなかった場合は、どうするんですか?」

「そんなもの、取り囲んで袋叩きにして討伐するに決まってるだろう」

「三頭全部討伐出来たら、イノシシ狩りの時みたいな宴会ですね?」

「そういう事だが……心臓は食わせねぇからな」

「分かってます。もう懲り懲りですよ」


 明日の討伐は、明るくなってから出発するらしい。

 あまり早い時間だと、肝心のオークが目覚めていない場合があるそうだ。


 討伐に行く馬車はオークを引き寄せる囮でもあるので、たとえ好天に恵まれたとしても速度を落として進むらしい。


「ニャンゴ、お前は俺と一緒に御者台に座ってもらう」

「屋根係ですね」

「そうだ。晴れた日ならば、ノンビリ馬車を走らせるのは良いものだが、この鬱陶しい雨に打たれるのは御免だからな」


 村長やミゲルと一緒にイブーロにいく途中で雨に降られ、空属性魔法で御者台を覆うように作った屋根が気に入ったのだろう。


「笠や雨合羽、革のマント……色んな物を試してみたが、完璧には雨を防いではくれん。あの尻が濡れていくのは心底気持ち悪いし、座ったまま小便を漏らしたようで情け無い気分になるからな」

「ゼオルさんでも、チビるようなことがあったんですか?」

「馬鹿野郎、物の例えだ、物の例え!」

「ですよねぇ……」


 強面のゼオルさんからは、座り小便を漏らすような姿は想像できないのだが、否定の仕方がちょっと必死そうだったので、あるいは若い頃に何かあったのかもしれない。

 まぁ、聞き出せる気もしないし、真相は闇の中だ。

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