第28話 闇夜の狩人
オークの心臓を食べてぶっ倒れから二週間、ようやくステップだけは使いこなせるようになった。
ただし、以前のように弾力性に富んだ材質ではなく、カチンカチンに固まっている。
辛うじて表面だけは滑りにくい凹凸を付けてあるが、かつての踏み心地を知る者としては、全く納得出来ないレベルの出来栄えだ。
それでも早急にステップを使えるようにした理由は、薬草を採取しに行く者が居ないからだ。
いや、正確には薬草を採取する者は居る。
ただし、俺のように慣れていないので、山の奥に生える薬草のありかは知らないし、魔物や獣に襲われるリスクもあるので、薬草の絶対量が不足しているのだ。
色々なバランスが崩れてしまっている今の俺では、山に入ることは非常に危険だ。
そのために、自分の身を守るために一番有用なステップだけは、使いこなせるようにしておきたかったのだ。
モリネズミの捕獲は、これまで通りにやれている。
捕獲用のケージは、強度を上げることで従来通りの大きさに出来ると気付いたのだ。
身体強化については、相変わらず使い物にならない。
身体強化をするか、しないかの二択ではなく、強化の度合いを調整できるようにならないと、ちょっと力加減を間違えただけで自分の身体が壊れそうなのだ。
それでも練習を重ねないと上達もしないので、おっかなびっくりではあるが、空属性魔法も身体強化魔法も毎日練習を継続させている。
もしかすると、騎士団にスカウトされるレベルの子供は、今の俺と同じような悩みを最初から抱えているのかもしれない。
ゼオルさんからは、相変わらず棒術の手ほどきを受けている。
ベースとなる能力は落ちていないはずだが、ステップの調子が悪いので、全体としては実力が落ちてしまっている。
「そらそら、足下ばっかり気にしていると、上が疎かになるぞ」
「うっ……くっ……」
「視線を落とすな、前を向け、そらいくぞ!」
「わっ、たっ……ぐへぇ」
鳩尾にゼオルさんの棒を突き込まれても、のたうち回った後で歯を食いしばって立ち上がる。
魔素暴走を経験して、楽して強くなる方法なんて無いんだと思い知らされた。
叩きのめされ、這いつくばっても、起き上がって自分の足で歩いていくしかない。
ゼオルさんとの手合わせが終った時には、立っているのがやっとだった。
「よし、今日はここまで。ちゃんと帰って休めよ」
「はい、ありがとうございました」
「ニャンゴ、明日ミゲルを送ってイブーロまで行くが、一緒に来るか?」
「いえ、今の俺では役に立たないので、止めておきます」
「そうか、分かった」
正直に言って、イブーロの街に行くのは楽しい。
アツーカ村では食べられない料理があるし、ゼオルさんに酒場に連れていって貰えるかもしれない。
でも、それは冒険者の真似事をしているだけで、ゼオルさんに引率してもらっている生徒のようなものだ。
一人前の冒険者として自分の足で歩けるようになるには、以前のように、いや以前よりも上手く魔法を扱えるようになる必要がある。
それから一ヶ月、薬草摘み、モリネズミの捕獲、棒術と魔法の訓練に明け暮れた。
魔法のコントロールはまだ完璧とは言い難いが、抜け道を発見できた。
本命の魔法の他に、別の魔法を発動させて魔素を消費しておけば、以前と同じレベルで魔法が使える。
具体的には、空属性魔法で、フルアーマーを作って着込んで魔素を消費するのだ。
腕、二の腕、肩、胸、腹、背中、腿、脛、そして頭に顔、フル装備とも言えるパーツをゴリゴリの強度で作って装着して、やっと柔らかいパーツが作れるようになった。
このまま一つずつアーマーのパーツを減らし、それでも魔法がコントロール出来るようになれば、以前よりも一段階上に行けそうだ。
ちなみに、ゴリゴリ強度の盾を作ってみたら、ゼオルさんに剣を使って斬り付けてもらっても壊れなかった。
剣を持って斬り付けてくる敵がいても、アーマーを着ていれば大丈夫だし、同じ材質の盾でも防げるだろう。
更に二週間が過ぎた五月の終わり、ゼオルさん経由で村長から仕事を依頼された。
「ニャンゴ、イノシシ狩りだ」
「西の畑ですね。モリネズミを捕まえに行った時に、ちょっと話を聞きました」
「お前の都合さえ良ければ、今夜から張り込むぞ」
「じゃあ、ちょっと家に断わって来ます」
元々、アツーカ村の周囲の山には、イノシシが生息しているが、時折、村の畑を荒らす個体が現れるのだ。
今回は、五日ほど前から村の西側の畑を荒し始めたらしい。
一度農作物を荒らすと、楽して食料が手に入ると味をしめ、夜になると山から村へと下りて来るようになる。
農家にとっては死活問題だ。
夜行性のイノシシは、昼間の間は山のどこかに隠れている。
村人総出で巻き狩りをする場合もあるのだが、上手く狩り出せるとは限らない。
俺とゼオルさんに依頼が来るのは、身体強化魔法を使えれば夜目が利くからだ。
イノシシが現れる大体の方向は分かっているので、待ち伏せして仕留める作戦だ。
午後から夕方まで仮眠をして、日が暮れるころに持ち場に着く。
この時、たっぷりと草の汁を身体に振り掛けておく。
猫人の俺はともかく、虎人であるゼオルさんの匂いはイノシシに警戒される恐れがある。
「ゼオルさん、上から見張っても構いませんか?」
「ん? おぅ、そいつは良いな。イノシシの野郎も、まさか空から見張られているとは思わないだろうな」
「ゼオルさん……」
「なんだ?」
「可能なら、俺が仕留めても良いですかね?」
「ほぉ、出来るのか?」
「多分……」
ゼオルさんは、少し考えた後でニヤリと頬を緩めた。
「良いだろう、やってみろ」
「はい、では、どっちが先に仕留めるか……」
「面白ぇ。いいぞ、ニャンゴ。人生は、こうでなくっちゃ張り合いがねぇ」
ゼオルさんと握り拳を打ち合わせ、それぞれの持ち場へと分かれた。
ゼオルさんは村と山の境界である草地に身を潜め、俺はステップを使って上空10メートルぐらいの高さから畑を見下ろす。
この日は下弦の薄い月で、空には薄い雲も掛かっていて見通しは良くなかった。
「あれを試してみるか……」
ずっと練習を続けてきた、探知魔法を使ってみる。
村と山の境に沿って、触れたら壊れるような粒子状に空気を固めて、壁を作っておく。
これで、死角から出て来ても、見逃すことは無いはずだ。
アツーカ村の夜は早い。
明かりのための魔石や油がもったいないから、どこの家も日が暮れれば早々に寝てしまうのだ。
村には街灯なんてものは無く、家の明かりが消えれば、あとは月明かりと星明りに頼るしかない。
身体強化魔法が使えない普通の人々にとっては、ほぼ真っ暗闇の世界だ。
「来た……」
イノシシが姿を現したのは、夜半近くになってからだった。
これまで荒らしていた畑よりも、北よりの芋畑に狙いをつけたらしい。
「でかいな……」
パッと見でも体長は2メートルぐらい、体重は300キロ以上ありそうだ。
まずは、入り込んだイノシシの退路を断つために、山との境にズラッと槍の穂先を並べた。
地面から30センチ、60センチ、90センチの高さに、30センチ間隔で10メートルに渡って槍衾を作る。
更に、いつでも追加の槍衾を配置出来るように準備しておいた。
準備を終えたら、ステップを使ってイノシシの上を通り過ぎ、槍衾の反対側から追い込みを掛ける。
「何やってんだ、この野郎!」
暗闇から、いきなり声を浴びせられたイノシシは、飛び上がるようにして山へと逃走を計った。
すかさず俺も、イノシシを追って走り出す。
「ブキィィィ! ブキィ、ブキィ!」
以前の俺が作った槍の穂先では、イノシシに刺さった途端に壊れて霧散していただろうが、今は刺さったままビクともしていない。
イノシシに刺さった以外の槍を消し、イノシシを取り囲むように配置し直した。
「ブキッ、ブキィィ、ブッキィィィ!」
イノシシが暴れるほどに、あちこちに槍が刺さり、血が滴り落ちていく。
「さてと、止めといきますかね……」
作ったのは、俺が足を掛けて体重を乗せられる幅広の槍。
そいつに足を掛け、3メートルほどの高さから、イノシシの太い首を目掛けて飛び降りた。
「ブキィィィィィ……」
槍がザックリと肉を抉るのを感じた直後、イノシシを囲む槍衾の外側まで飛んで草地に着地した。
イノシシは斬り裂かれた首筋から、ビュービューと血飛沫を撒き散らして暴れているが、槍衾の包囲からは逃げ出せずにいる。
「ニャンゴ、仕留めたか!」
「はい、もう時間の問題です!」
槍を片手に駆けつけてきたゼオルさんは、血塗れになり弱っていくイノシシを見て大きく頷いた。
「でかした、ニャンゴ! これだけの大物を一人で仕留められれば一人前だ」
「ゼオルさん、まだ死んでませんから、気を抜くのはもう少ししてからですよ」
「がはははは、こいつは一本取られたな」
イノシシの悲鳴が響き渡ったからか、村の家に明かりが点り、村人が顔を覗かせた。
「おーっ、大丈夫だ、イノシシは仕留めたぞ!」
ゼオルさんが大きな声で呼びかけると、家々の明かりが振られ、喜びの声が上がった。
イノシシを仕留めることは、畑を守ると同時に、村にご馳走が提供される事でもある。
「明日の祝いの主役は、ニャンゴ、お前だぞ」
「祝いの主役とかどうでも良いけど、美味い料理は食いたいですね」
「ふふん、明日は村長に秘蔵の酒を開けさせるかな」
明日の宴会を思い浮かべて、上機嫌で顎を撫でるゼオルさんの前で、力尽きたイノシシはガックリと膝を折って息絶えた。
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