第27話 魔素暴走

 オークの心臓を抱えて、ゴブリンの心臓を食った沢まで移動した。

 沢沿いの崖の途中にある岩の上、ここなら魔物や獣に襲われる心配は少ない。


 空属性魔法で手袋、エプロン、まな板、包丁を準備して、オークの心臓を切り開いた。

 半分に割った時点では、寄生虫らしき姿は見当たらない。


 慎重に、慎重に、オークの心臓を薄くスライスしていく。

 半分にした心臓の、そのまた半分をスライスし終えたところで包丁を置いた。


「では……いただきます」


 スライスしたオークの心臓を、三枚ほどまとめて口へ放り込む。

 噛み締めると、口の中に血の味が広がっていった。


「そうだよ、生姜かニンニクが欲しかったのを忘れてたよ」


 オークの心臓は、ゴブリンの心臓よりも濃厚で、まろやかな味わいがする。


「これ、結構いけるよね……ぐぅあぁぁぁ……」


 調子に乗って、ポイポイとスライスを口にしていたら、急に反応が訪れた。


「ぐぎぎぃぃ……ヤバい、これヤバっ……」


 ゴブリンの心臓の時には、前世で親の目を盗んでウイスキーを飲んだ時のように、カーっと胃が熱くなる感じだったが、今回はそんな物ではなかった。

 適切な例えが難しいが、乾燥ワカメを大量に飲み込んでしまったら、こんな感じになるのかもしれない。


 胃の中に落ちたオークの心臓のスライスが、猛烈な勢いで膨張して、溢れ出した魔素が魔脈や血管を無理やり押し広げて、全身を侵蝕していく感じだ。

 そう言えば、身体強化魔法の基礎訓練をしていた頃、魔素が暴走した場合、血管が裂けたり、心臓が破裂することもあるとゼオルさんから聞かされた。


 たぶん、今がその暴走状態なのだろう。

 胃を中心として、身体が無理やり押し広げられるようで、全身が悲鳴を上げている。

 このままでは、本当に全身の血管が裂け、心臓が破裂するかもしれない。


「がぁぁぁ……」


 沢近くの岩の上に這いつくばりながら、出来るだけ大きな範囲で空属性魔法を発動させて、少しでも魔素の消費を試みる。

 宇宙まで届く高い塔、天空を覆いつくすような屋根、ダイヤモンドを超える硬度の盾、音速を超える矢……実際に発動しているかどうかは問題ではなく、とにかく莫大な魔素を消費するようなイメージで、空属性魔法を使い続けた。


 どれぐらいの時間、空属性魔法を使い続けたか分からないが、どうにか死なずに済んだらしいが、体の調子がメチャメチャだ。

 魔脈と血脈の両方で、魔素が暴走した影響は、肉体にまで及んでいた。


 全身が酷い筋肉痛のようで、寝転んだ姿勢から身体を起こすだけで呻き声が出た。

 そこから立ち上がるまで、五分ぐらい掛かったような気がする。


 使えそうな魔法は、日常生活で当たり前のように使い続けてきたステップだけで、それすらも気を抜けば霧散してしまいそうだ。

 身体強化魔法なんて、怖くて使う気にならない。


 命拾いしたのは良いけれど、目の前には問題が山積している。

 ここは、村から離れた山の中で、周囲には残雪すら残っている。


 今の体調で、このまま山で夜を明かすような事になれば、朝には冷たくなっているかもしれない。

 とにかく村まで、それが無理なら、安全で暖を取れる場所まで移動する必要がある。


 沢沿いの岩の上から下りるだけで、随分と時間が掛かってしまった。

 普段なら、意識せずに使えるステップを使うだけで、圧し掛かるような疲労を感じる。


 手頃な木の枝を拾い、杖にして山を下る。

 近頃は、ステップと身体強化魔法の併用で、飛ぶように駆け下っていく場所だが、見通しの良い場所を選んでノタノタと地面を歩いていくしかない。


 空属性魔法も、身体強化魔法もロクに使えない状態では、ゴブリンやコボルトと遭遇すれば一巻の終わりだろう。

 普段よりも更に周囲に目を配り、耳を澄まして歩くが、胸の底から恐怖心が湧き上がってくる。


「ヤベぇ……怖い、怖い、何も出て来ないでくれよ……」


 風が枝を揺らすたび、鳥が羽音をたてるたび、ビクリと身体が震えて痛みが走る。

 残雪が残る山の中なのに、汗が噴き出してきて止まらない。


 気ばかりが焦るが、歩みは遅々として進まない。

 傾いていく日が更に焦りを増幅し、過度の緊張が呼吸や思考を乱して行く。


 村に下りるまで、魔物にも獣にも遭遇しないで済んだのは、本当に幸運だった。

 もしかすると、放置してきたオークの死体が、囮になってくれたのかもしれない。


 村に入り、誰かが歩いて来るのが見えたら緊張の糸がプツリと切れて、俺は道の上に倒れ込んでしまった。

 駆け寄って来た人に、名前を呼ばれたような気がしたが、返事をする気力は残っていなかった。




「お前、オークの心臓を食っただろう?」

「はい……」


 意識が戻った途端に問い掛けられれば、弁明や誤魔化しをする余裕なんて無い。

 問い掛けて来たのはゼオルさんで、俺が寝かされているのはゼオルさんが暮す離れのベッドだ。


「どこで、そんな知識を仕入れたのか知らんが、どれ程危険か身を持って理解したな」

「はい……死ぬかと思いました」


 魔素の暴走が始まった直後に、規模の大きな属性魔法を連発して、とにかく魔素を消費したと伝えると、ゼオルさんは頷いてみせた。


「それをやっていなかったら、お前は間違いなく死んでいた。いいか、オークの心臓は、騎士団にスカウトされるレベルの奴でも魔素の暴走を起こして再起不能になったり、命を落とす事もある代物なんだぞ。お前が無事に生き残ったのは、奇跡みたいなもんだ」

「はい……すいませんでした」

「まぁ、知らずにやった事だから、仕方のない面もあるが、二度とやるな。いいな」

「はい……」


 俺は、倒れてから三日三晩も眠り続けていたそうで、巣立ちの儀への同行は取り止めになっていた。

 身体の痛みは無くなっていたが、起き上がるとフラフラして、とても護衛の役になど立ちそうもなかった。


 ミゲルの合否判定は、本人が聞きに行くそうだ。

 オリビエは、今年巣立ちの儀に参加するから、イブーロの街で再会するつもりだろう。


 家に戻ると、母親にこっぴどく怒られて、山に入る事を禁止された。

 まぁ、体調が戻るまでは山に入る気は無いが、いずれは駄目だと言われても入るつもりでいる。

 俺が薬草を摘んで来ないと、カリサ婆ちゃんが困るからだ。


 床払いをしてから、散歩、ジョギング、素振りという段階を踏んで身体を動かし始めた。

 筋肉は、大丈夫そうだ。ダメージは受けたのかもしれないが、殆ど違和感無く動けるので、元のレベルまで回復したのかもしれない。


 ただし、魔法は駄目だ。空属性魔法も、身体強化魔法も、バランスが滅茶苦茶になってしまっている。

 ゴブリンの心臓を食べた時も魔法のバランスが崩れたが。今度はあの時の比ではない。

 

 空属性魔法は、効果範囲や強度がおかしくなっている。

 例えば、30センチ四方の大きさで固めようとすると、3メートル四方の塊が出来上がってしまう感じだ。


 ゴム板のような材質で固めようとしても、カチンカチンに固まってしまう。


 身体強化魔法に至っては、強化の度合いが大きすぎて、怖ろしくて使えない。

 石を軽く放ったつもりが、実際にはメジャーリーグ級の剛速球では、調整するというレベルではないのだ。


 過ぎたるは猶及ばざるがごとしを地で行っている感じだ。

 魔力指数さえ高まれば、騎士団にスカウトされたオラシオとも肩を並べられるなんて考えたのは、とんでもない間違いだった。


「これって、元に戻るのかなぁ……それとも、今のままなのか?」


 単純な威力ならば今の方が遥かに上だが、総合的な使い勝手では以前の方が遥かに楽だ。

 元に戻らないとすれば、今の状態に慣れていくしかないのだろう。


「当分の間は、サミングも禁止だな。今の状態で使ったら、目つぶしどころか即死ものだもんな」


 一年前の今頃は、いかに魔法の威力を上げるか、そればかりを考えていたのに、今は魔法の威力をいかに抑えるか悩んでいる。

 なんとも皮肉な状況だと思うが、今の魔力指数はどのぐらいなのだろう。


 巣立ちの儀への同行は取り止めになってしまったので、またイーブロまで行く機会があれば、ギルドに測りに行ってみたいと思っている。

 いい加減、一年前のオラシオの数字は抜いていると良いのだが……。

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