第26話 オーク

 巣立ちの儀を五日後に控えた日、俺は前日のなごり雪が残る山に入った。

 村長から巣立ちの儀への同行と、ミゲルの合否判定を聞いて来るように頼まれたので、今度こそ小遣い稼ぎをしようとプローネ茸の様子を見に来たのだ。


 前回は、大きなものが三個も生えていたが、今回は売り物になりそうなサイズは一つだけで、まだ小振りだ。

 まだ出発まで日にちがあるが、四日後までにどの程度大きくなるのか分からないが、期待は出来そうもない。


「これじゃあ、大銀貨二枚にはならないかぁ……」


 前回、イブーロの街に出掛けた時に、カフェや酒場の料理を食べてみて、思っていたよりもこちらの世界の料理が美味しいと気付かされた。

 アツーカ村では、煮るか焼くか程度の簡単な調理しかしないので、味のレパートリーが乏しいが、街には色々な料理があるようだ。


 どうせ街まで出掛けるならば、色々な料理を堪能してみたいし、それには先立つ物が必要だ。

 日頃からコツコツ貯金はしているし、昨年のプローネ茸の売上金も残ってはいるが、それらの金はいずれ街で冒険者として活動するための資金でもある。


「街で暮すには、いくらぐらい掛かるんだろう……酒場で聞いてみれば良かったな」


 前回街に行った時、二日目の晩も酒場に行けると思っていたのだが、なぜだかオリビエに気に入られてしまって、夕食や食後のお茶まで付き合わされる羽目になった。

 たぶん、大きな猫をモフりたかったのだろうが、ミゲルがネチネチ絡んできてマジで面倒だった。


 そのミゲルも、この春からはイブーロの学校に通う事になるだろうから、アツーカ村も静かになるだろう。

 俺は、あと一年ぐらいゼオルさんに鍛えてもらって、また秋の討伐に参加して腕を磨き、来年の春には街に出て冒険者生活を始めたいと思っている。


「その為には資金を増やさなきゃ駄目だし、棒術の腕前も、魔法の腕前も上げなきゃだな」


 プローネ茸の生育状況を確認した後は、森の中で実戦を想定した素振りをしながら山を下りる。

 最近は敵との接近戦を想定しながら、離れた周囲の状況も把握出来るように意識している。


 俺の場合は、左目の視力が失われてしまっているので、その分、残った右目の視野を可能な限り広げようにしているのだが、なかなか思い通りにはいかない。

 何しろ、接近戦の相手に想定しているのはゼオルさんだから、仮想であっても全く気を抜くことなど出来ないのだ。


 しっかりと構えるようになってからのゼオルさんの強さは、それまでとは別格と言って良いほどの出鱈目さだ。

 腕が何本あるのか、棒を何本持っているのかと疑いたくなるぐらい、千変万化、自由自在に繰り出されてくる棒は、打ち合わせるだけでも大変なほどだ。

 視力、気力、体力、知力、己の持つ全ての力を注ぎこんでも、ゼオルさんに俺の棒は掠りもしない。


「マジで、あの人は化け物だよ……おっと」


 素振りに熱中しながらも、そいつの存在に気付けたのは、日頃の訓練の賜物だろう。

 身の丈は2メートルを大きく越える巨体。口の端からのぞく鋭い牙。

 ゴブリンやコボルトなんかより、遥かに危険な魔物オークの姿があった。


 瞬間的に素振りを止めて、木の幹に身体を寄せて隠れる。

 幸い、俺が居る場所は風下らしく、オークは背をむけていて、こちらに気付いた様子は無い。


 オークまで、距離にして300メートルぐらいあるだろうか、木の幹に隠れながら少しずつ近付いていく。

 同時に、仲間のオークが居ないか、索敵も怠らない。


 近付いてみると、オークは食べ物を漁るのに夢中なようだ。

 芽吹いたばかりの木の新芽や、山菜の若芽などを貪っていて、周囲を警戒する様子も無い。


 オークが警戒していないのも当然で、オークを食うような魔物は、この近辺の山には生息していない。

 たまに野生の熊を見かけるが、戦えば互いにダメージ受けると分かっているらしく、直接戦うことは滅多に無いそうだ。

 

「自分こそが、この森の主とでも思ってやがるのかね……」


 オークの居る場所には、ゴブリンやコボルトは寄り付かない。

 他のオークさえ居なければ、この場で危険な存在は、目の前のオークだけだ。


 風向きに注意しながら、ジリジリと距離を詰めていく。

 もう気持ちは討伐に固まっている。


「デスチョーカー」


 30メートルぐらいまで接近した所で、ゴブリンを仕留めたドーナツ型の死の首輪を、オークの太い首に設置して、拾っておいた石を放り投げた。

 石は、カツーンと音を立て、オークの近くの木にぶつかった。


「ブギィィィ!」

「やったか?」


 石が立てた音に驚いて、オークが動いた途端、デスチョーカーの刃が首に食い込み、鮮血が噴き出すかと思いきや、グローブみたいな手で打ち払われて呆気なく壊れてしまった。

 首筋が切れてはいるのだが、オークの分厚い皮膚と脂肪が邪魔をして、デスチョーカーの刃は頚動脈まで届かなかったのだ。


「もう一回、デスチョーカー」

「ブギィ、ブフゥ!」


 また同じように壊されてしまい、オークの首から血は流れているが、遠めに見ても致命傷には程遠い浅手だ。

 幸い、高い木の幹に隠れている俺の存在には、まだ気付いた様子は無い。


「さて、どうしたもんかねぇ……」


 オークに痛手を与えられないのは、デスチョーカーの強度が足りないのと、身じろぎする程度では勢いが足りないのだろう。

 槍の穂先に勢い良く突っ込んで来るならば、もっと深手が与えられるだろう。

 問題は、どうやって勢いを付けさせるかだ。


「しゃーない、囮になりますか」


 オークが俺の存在に気付くように、ステップを使って2メートルぐらいの高さまで下りて、木の枝を揺すって音を立てた。


「ブヒィ?」


 オークまでの距離は約20メートル。

 音に気付いて振り向いたところに、長ーい槍を作って、挑発するように首筋を突いてやった。


「おら、掛かって来いよ、豚野郎」

「ブヒィィィィィ!」


 先程からチクチクと嫌がらせを仕掛けていた相手を発見し、オークが雄叫びを上げて突進して来る。

 俺は、オークを待ち構えながら、身体強化魔法を発動させて、いつでも回避出来るように準備を整えた。


「ブモォォォォォ!」


 四足で突進してきたオークが、両前足を振り上げて飛び掛って来る。


「スピアー!」

「ブゲェ……」


 オークをギリギリまで引きつけて、喉笛の前に全力で固めた槍の穂先を固定して迎え撃った。

 喉笛を貫かれたオークの巨体が、サイドステップでかわした俺の横を通り抜けながら倒れていく。


 更に後退しながら上昇して距離を取り、オークを見守る。

 オークの首は右半分が切断され、ビュービューと血が噴き出していた。


 それでもオークは四つん這いの状態から後ろ足だけで立ち上がり、見守っている俺を探し当てた。

 燃えるような怒りを宿したオークの視線に射抜かれ、背筋にゾーっと寒気が走る。


「これでも死なないのかよ……」

「ブゥ……フゥ……」


 一歩、二歩と、俺に向かって歩を進め始めたところで、オークの瞳から急速に生気が失われ始めた。

 怖ろしいほどの怒りの火が消え、焦点がずれた瞳がガラス玉のようになると、オークの巨体がグラリと揺れて、仰向けにバッタリと倒れ込んだ。


「ふぅぅ……ビビらせやがって」


 オークの攻撃など、全く届かない場所に居たのに、背中にビッショリと冷や汗をかいていた。

 オークの首筋から、心臓の鼓動に合わせて噴き出していた血が止まるまで待ってから、ソロリソロリと近付く。


 オークは肉は食用として使われるので、持って帰れば高く売れるが、俺の身体では運んでいけない。

 解体する目的は、魔石と心臓だ。


 ゴブリンの心臓でも、あれほどの効果が得られたのだから、オークの心臓を食えば更に魔力が高まるはずだ。

 ゴブリンを倒した時とは違い、かなりの血が流れ、血の臭いも漂っている。

 他の魔物が寄ってくる前に、手早く解体を済ませてしまおう。


「さてと、ゴブリンと違って脂肪が厚そう……ふぎゃ!」


 解体しようと足を掛けた途端、オークの身体が大きく痙攣し、驚いた俺はその場で飛び上がってしまった。


「えっ……死んでるよね? 生き返ったりしないよね?」


 ゴブリンの時も、多少身体が動くことはあったが、腕が真上近くまで跳ね上がるような事は無かったし、なによりオークが大きいので余計にビビッてしまったのだ。


 解体しようとナイフを突き立てると、また手足が大きく跳ね上がる。

 仕方が無いので、シールドでオークの手足を押さえつけて解体を進めた。


「うぉぉ……すげぇ脂肪の層、ラードだ、ラード……」


 オークの腹を切り裂いたナイフには、ベッタリと脂肪がまとわり付いて来る。

 普通のナイフでは、すぐに切れなくなってしまうだろうが、空属性魔法で作ったナイフだから、何度でも作り直して、真新しい刃で作業を進められる。


 とにかくオークの身体が大きいので、腹を輪切りにするぐらい大きく切り裂いて、身体ごと入り込むような勢いで両腕を突っ込み、ようやく心臓と魔石が入った部分を取り出した。

 肉を切り開いて取り出した魔石は、近くの残雪をまぶして血を洗い落とす。


 そう言えば、村のゴブリン討伐の時には、水の魔道具を使っている人がいた。

 これから魔物を討伐する機会が増えるだろうし、街に行った時にでも買っておいた方が良いかもしれない。


 魔石を背負い袋に仕舞い、心臓は空属性魔法で作ったケースに入れた。

 身体にまとわり付いたオークの血を、残雪で落としてから防護服を消す。

 これで俺自身からは、血の臭いはしないはずだ。

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