第25話 イブーロの学校
イブーロの学校は、寺子屋みたいなアツーカ村の学校とは違い、荘厳な石造りの建物だった。
ギルドの酒場に行った翌朝、俺はゼオルさんと一緒に村長一行を護衛して学校まで出向いて来た。
オリビエの入学試験については事前に話がしてあったが、ミゲルの編入試験は突然だったので、少々準備に時間が必要らしい。
オリビエとミゲルが試験を受けている間に、村長たちは教会で巣立ちの儀に関する話し合いを済ませてくるそうだ。
「学校の内部は警備が行われているので大丈夫だと思うが、念のためにニャンゴ、二人を守っていておくれ」
「はい、出来る限りのことをします」
ゼオルさんは、村長たちの護衛として教会に同行するので、こちらは俺一人だ。
これまでだったら、一人での護衛なんて荷が重すぎると思っていただろうが、昨夜ギルドの酒場で冒険者をあしらったことが自信になっていた。
「いいかニャンゴ、もし襲われた場合には、無理に相手を倒そうとするな。まずは自分達の身の安全を確保するために逃げろ」
「分かりました、ゼオルさん」
護衛をする事になったのだが、試験中は入室を禁じられているので、俺はミゲルと一緒に廊下で編入試験の準備が出来るのを待つ事になった。
廊下に置かれた五人ぐらいが座れそうな長椅子の、端と端に分かれてミゲルと座る。
「ふん、お前なんかに護衛が務まるのかよ」
「そう思うなら、勝手な行動は慎んでくれよ」
学校への入学試験は、イブーロの子供を対象としたものは日にちが決められているそうだが、周囲の村からの入学希望者には、今日のように随時試験が行われているらしい。
日本の学校とは違い一年は二学期制で、春分の日と、秋分の日の前後二週間が長い休みとなる。
新年の休みが無い理由は、雪で道が閉ざされる地域からも入学して来る子供が居るので、下手に帰ってしまうと戻って来られなくなったりするからだ。
つまり、今年の春分の日から二週間もすれば、目障りなミゲルはアツーカ村から姿を消すという訳だ。
「おい、ニャンゴ」
「なに?」
「お前、オリビエにちょっかい出すんじゃないぞ」
「はぁ?」
「お前とオリビエじゃ身分が違うんだ、結婚なんか出来ないからな」
「心配すんな、別に興味無いし……」
こちらの世界での恋愛感というものに、俺は少々戸惑っていたりする。
色んな種族が入り乱れて暮すこの世界では、違った種族間での恋愛や結婚も珍しくない。
当然、混血児も存在するのだが、生まれてくる子供は父親か母親のどちらかの種族となる。
例えば、虎人と獅子人が結婚しても、ライガーは生まれて来ないのだ。
混血児については、まぁ良いとして、俺の異性に付いての美的感覚とか倫理観が前世のままなのだ。
昨夜、ギルドの酒場で近付いて来た獅子人のお姉さんは、ライオンの耳と尻尾を付けたコスプレみたいな、ボン、キュ、ボンなスタイルで、一緒に大人の階段を上りたいと思ったが、同じ猫人の女性を見ても、性的欲求は刺激されない。
それに加えて、いわゆる人間に近い容姿の種族と、立って歩く猫にしか見えない自分が、そうした行為に及ぶのは、獣姦じゃないのか、倫理的にどうなんだとも思ってしまう。
まぁ、こちらの世界では普通の事だし、いざとなれば欲望が理性を駆逐しそうだが、だとしても普通の恋愛は上手く出来そうもない。
「へくしっ! へっくしっ!」
俺が高尚な物思いに耽っていると、静寂を邪魔するようにミゲルがクシャミを連発した。
視線を向けると、ミゲルはガタガタと震えている。
この学校は、かつて軍の砦だったそうで、石造りの廊下には所々に明り取りの窓があるだけで、空気はヒンヤリとしていた。
俺は空属性魔法で作った防寒着を着込んでいるし、自前の毛皮もあるから寒くないが、馬車に外套を置いて来たミゲルには相当寒いらしい。
「アツーカ村のミゲル君、編入試験の準備が出来たので、教室の中へどうぞ」
教師と思われる山羊人の女性が呼びに来た時には、寒さに耐えかねたミゲルは廊下をウロウロと歩き回っていた。
「頑張れよ、ミゲル」
「うるさい……」
せっかく人が応援してやっているのに、うるさいとは何事だ。
まともな会話すら出来ないこんなガキが、将来アツーカ村の村長になるのかと思うと暗澹たる気分になってしまう。
ミゲルが教室に入って暫くすると、入学試験を終えたオリビエが教室から出てきた。
教室を出る時には、しっかりと挨拶をする辺り、育ちの良さがうかがえる。
「ミゲルの試験は、さっき始まったばかりだから、ここで待っていてくれる?」
「はい、失礼します……えっ?」
長椅子の真ん中に座るかと思ったオリビエは、俺の隣に腰を下ろして怪訝な表情を浮かべた。
「どうかした?」
「あの、これは……?」
オリビエは、俺が着込んでいる空属性魔法の防寒着を珍しそうに触っていた。
「あぁ、それは空属性魔法の防寒着だよ」
身体の周りに空気の層を作る事で、寒さが伝わって来るのを防いでいると説明すると、オリビエは何度も頷いてみせた。
「あの、ニャンゴさん。私の周りにも作れませんか。ここは少し寒くて……」
オリビエは、ちゃんと外套を着込んでいたけど、暖房も無い廊下でじっとしていると足下から寒さが上ってくる。
「うーん……身体にピッタリ合うのを作るのは難しいから、空気の布団みたいなものに、俺も一緒に包まるようになっちゃうけど……」
「はい、お願いします」
「分かった、じゃあ、一旦立ち上がってくれるかな?」
自分の身体にフィットする防寒着を作り、その上でオリビエが包まれる防寒用のシートを作ると魔素が足りなくなりそうな気がしたので、大きなシートを用意して一緒に包まることにした。
「わっ、わっ……ふわふわです」
「えっ、ちょっ……まぁ、いいか」
横に座って一緒に包まるとは言ったけど、抱きつかれて頬摺りされるとは思っていなかった。
オリビエにすれば、服を着た猫みたいな俺をモフりたかったのだろう。
「ふわぁぁ、本当に暖かいです。ポカポカですぅ」
「うん、まぁ……ね」
何と言うか、前世でモフられている猫が迷惑そうな顔をしていた気持ちが分かった気がする。
とりあえず、早いところミゲルの編入試験が終ってほしい。
どうせ真面目にやったところで、編入ではなく新入学になるんだろうしね。
俺に抱きついて、スリスリ、モフモフしていたオリビエは、身体が温まったからか、コックリコックリと居眠りを始めた。
今日が入学試験ということで、昨夜は緊張して眠れなかったのかもしれない。
学校の廊下は静まり返っているし、自分以外の体温も加わってポカポカしているので、こちらまで眠たくなってくる。
昨夜は、ちょっと遅くまでゼオルさんに付き合わされて、少々寝不足気味でもあるのだ。
眠ってしまうと空属性の布団は消えてしまうので必死に睡魔と戦っていたら、試験を終えて教室から出てきたミゲルが静寂を破って叫んだ。
「なっ、なにやってんだ、ニャンゴ!」
「良く見ろ。やってるんじゃない、されてるんだ」
「うるさい! さっさとオリビエから離れろ、ノミが移ったらどうするつもりだ!」
「失敬な、毎日水浴びしてるんだ、ノミなんか飼ってねぇよ」
ギャンギャン吠えるミゲルの声で、オリビエもうたた寝から目を覚ました。
試験は終ったので帰っても良いと言われたが、村長たちが戻って来ないと帰れない。
「すみません。どこかで待たせていただけませんか? ここは、少し寒いので……」
「それなら、校門前のカフェが良いんじゃない? 窓から学校の門が良く見えるので、迎えの人も良く分かるわよ」
とりあえず、廊下は寒すぎるので、試験官の先生に教わったカフェに移動することにした。
行き違いにならないように、伝言も頼んでおく。
先生に奨められたカフェは、学校の門の正面、大きなガラス窓のあるお洒落な店だった。
透明な板ガラスは、土属性を応用して作っているそうで、まだまだ高価なので、さすがに街は違うなと思わされた。
「どうしたの? 二人とも」
「あの、私お金を持っていないので……」
「あぁ、大丈夫。俺が出しておくよ」
「なんでニャンゴのくせに金持ってんだよ」
「毎日真面目に働いてるんだ。カフェに入るぐらいのお金は持ってるよ」
どうやらミゲルもオリビエも、金を持たされていないようだ。
アツーカ村には店らしい店は、カリサ婆ちゃんの薬屋とビクトールの何でも屋しかない。
生活の殆どは物々交換だし、子供が金を使うような場所が無いのだ。
尻込みする二人を引っ張ってカフェへ入り、事情を話して窓際の席に座らせてもらった。
四人掛けのテーブルに、ミゲルとオリビエを隣合せに座らせ、俺はミゲルの正面に座った。
店員さんがメニューを持って来てくれたが、二人は目を白黒させているばかりだ。
村長や両親と街に来た時には、レストランなどで食事をする事もあるそうだが、注文も支払いも任せきりなので、勝手が分からないらしい。
かく言う俺も、こちらの世界の店のシステムは良く分からない。
というか、料理の名前が分からないので注文のしようがなかった。
「あのぉ……学校の生徒さんに、一番人気のあるメニューはどれですか?」
「それなら、このポテュエね。卵と牛乳を使ったお菓子よ」
「では、それと、飲みやすいお茶を三人分お願いします」
「かしこまりました」
店員さんが厨房へと向かうと、ミゲルはふーっと大きく息をついて、額の汗を袖で拭った。
「お前、何でそんなに落ち着いてんだよ」
「そりゃあ、自分のお金を持ってるからだよ。注文した品物に、ちゃんと代金が払えれば、何歳だろうが客だからな」
「凄いです。やっぱり冒険者の方は違いますねぇ」
またオリビエの評価を上げてしまったみたいだけど、その手をワキワキさせてるのは、俺をモフろうとしてるのか。
「ふん、冒険者なんて言っても、こいつがやってるのは草摘みとネズミ捕りだけだぞ」
「まぁ、その通りだが、親や爺さんにおんぶにだっこの誰かさんよりはマシだろう」
「何だと、こいつ!」
「悔しかったら、学校で勉強して、どうすれば村の生活が楽になるのか考えてくれ。それが将来の村長である、お前の仕事だろ」
「ふん、お前に言われなくても分かってる」
注文したポテュエという菓子は、日本で言うプリンに近いものだった。
日本のプリンのように滑らかさや、プルプル感には欠けるものの味は濃厚だ。
「うみゃ、うみゃいな、これ」
「ふ、ふん、この程度、珍しくもないさ」
「美味しいです。こんなの初めてです」
子供は子供らしく、美味いって言っておけば良いのに、本当にミゲルは捻くれている。
それに較べてオリビエは、本当に美味しそうに食べていて、こりゃミゲルが惚れるのも無理ないな。
それにしても、このポテュエは美味い、たぶん使っているミルクの質が良いのだろう。
昨晩、ギルドの酒場で出されたミルクも、思った以上に新鮮で濃厚な味わいだった。
あのミルクが普通に出回っているのならば、チーズとかも美味いだろう。
今夜もゼオルさんが酒場に行くならば、是非乳製品を使った料理を頼んでみよう。
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