第22話 ゴブリンの心臓

 二番目の兄貴が家を出たのは、二月も終わりに近付いた頃だった。

 例年であれば、街で仕事を探す者は、年明け早々に村を出るのだが、今年は雪が多かったので馬車が通らなかったのだ。


 たぶん、近隣の村も同じような状況で、街での就職活動はこれから……と言いたいところだが、元々街で暮していた者達は仕事にありついているはずだ。

 周辺の村から就職希望者が来なければ、街は人手不足の売り手市場となっていたはずだが、そのまま二ヶ月近くも過ぎれば足りない人手でも仕事が回るようになる。


 そうなると、就職希望者に対して求人の数が足りなくなり、今は買い手市場になっているだろう。

 良い仕事を見つけるには厳しい状況とあってか、家を出る兄貴の表情は冴えなかった。


 うちの家族は、あまり言葉を交わさない。

 良くも悪くも猫人は、猫の気質を色濃く残しているので、個人主義で気まぐれなところがある。


 気が向けばベタベタとまとわりついて来るくせに、気が乗らないとロクに目も合わせない。

 満足な説明をしないくせに、それは口に出さなくても察するところだろう……みたいに親父や兄貴に、うにゃうにゃ文句を言われると、心底面倒臭いと思ってしまう。


 二番目の兄貴は俺よりも四つ年上だが、前世の十六歳までの記憶を覚えている俺にとっては、生まれた時から年上だという意識がある。

 精神年齢は自分よりも十歳以上も幼い兄貴に、訳の分からないことを知ったような顔で言われる度にムカついて、殆ど会話もしてこなかった。


 兄貴が村を出て十日程経った日、三日に一度の立ち合いの後でゼオルさんから街への同行を持ち掛けられた。


「おい、ニャンゴ。明後日、街まで行くから一緒に来い」

「街に何か用事ですか?」

「村長が巣立ちの儀の件で教会に顔を出すから、その道中の護衛だ」

「俺が一緒に行っても、護衛の役には立ちませんよ」

「何を言ってる。お前は、その気になれば、ずーっと高い所まで上がって、上から見下ろせるんだろう? 街中の人混みの中で、騒動に巻き込まれたりした時に、上から状況を把握出来るのは、大きなアドバンテージになるんだぞ」

「なるほど、それなら確かに役に立てます」


 街に行く前日には、山にプローネ茸を採りに入った。

 巣立ちの儀の時に、買い取ってもらったレストランに、今回も持ち込んで小遣い稼ぎをするつもりだ。


 俺が見つけたプローネ茸の穴場は、沢筋の岩場の奥の、吹き溜まりのような場所だ。

 風に吹かれて溜まった落ち葉が腐り、フカフカの腐葉土になっている。


 沢から立ち上る湿気が、プローネ茸の生育に丁度良い湿度を保っているのだろう。

 プローネ茸を採りに行く時は、魔物や獣に注意するのは勿論だが、村の人に後を付けられていないか確かめてから穴場に向かう。


 

 村の決まりでは、プローネ茸を見つけた場合、村長の家に持ち込むことになっている。

 街で売れば大きな儲けだが、村長の家に持ち込んでも小銀貨二枚で買い取ってもらえる。

 これは、モリネズミ一匹の十倍の値段だ。


 穴場を誰かに知られれば、根こそぎ採られてしまうだろうし、それ以後も手に入らなくなるだろう。

 今日も薬草採取用の籠まで背負って、カモフラージュしているくらいだ。


 今回、売り物になりそうな大きさの物は三個だけだったが、小さい物がいくつか育っている。

 まだまだ、俺に小遣いを恵んでくれそうだ。


 プローネ茸は、根元を土ごと掘り起こし、傘が壊れないように竹の籠に入れる。

 籠の底には湿らせた布を敷いてあり、こうしておけば街に行っても鮮度が保てるのだ。


 プローネ茸を採り終えて沢まで下りて来ると、ゴブリンに遭遇した。

 どうやら沢に水を飲みに来たらしいが、岩陰の俺には気付いていないようだ。


 ゴブリンの周囲に視線を走らせ、耳をピンと立てて物音を聞く。

 たいていは二、三頭以上で行動する事が多いのだが、このゴブリンは単独行動をしているようだ。


「どうする……やるか?」


 魔力を高めるために、魔物の心臓を食らう……その望みは捨てていない。

 単独行動のゴブリンならば、お誂え向きだが、仕留め損なって仲間を呼ばれると面倒だ。


 観察を続けていると、ゴブリンは酷く慎重に周囲を確認し、ビクビクしながら沢へと近付いていく。

 食事をしている時や、水を飲んでいる時などは敵に狙われやすいので、余計に警戒しているのだろう。


「よし、あの魔法を試してみよう」


 魔物を安全かつ確実に倒すための魔法は、ずっと考え続けてきた。

 体重の軽い猫人の俺が、空属性魔法で作った軽い武器を使って、確実に魔物を倒すためのヒントは、コボルトとの戦いの中にあった。


 一つは、高い場所から駆け下りて、勢いを付けて自分の体重をフルに活かす方法。

 もう一つは、相手の体重を利用する方法だ。


 一撃を食らって転落した時、飛び掛って来たコボルトに対して、咄嗟に槍を地面を支えにして立てた。

 空属性の槍は目には見えないから、コボルトは自分の体重で串刺しになったのだ。


 空属性魔法の一つの特徴は、固定力だ。

 シールドの練習をしている時に気付いたのだが、特定の場所に固定すると、壊れない限り動かない。


 突進してくる相手ならば、その進路上に槍や剣を固定しておけば、相手は勝手に自滅してくれるはずだ。

 目に見えない槍衾とか、凶悪すぎるだろう。


「デスチョーカー」


 俺が選んだのは、試作中の固定武器の一つだ。

 魔法を発動した後で、石を拾ってゴブリンに向かって投げた。


 別に、石はゴブリンに当ててダメージを与えるためではない。

 実際、適当に投げた石は、岩場に落ちてカツーンと大きな音を立てた。


「ギィ……グフゥ……」


 音に驚いたゴブリンは、ビクンと動いた直後、首から大量の血を吹き出して倒れ込んだ。

 ゴブリンから流れ出た血が、沢の水を赤く染めていく。


「うわぁ、想像以上に凶悪だ……」


 デスチョーカーは、ドーナツ型の円盤の内側に刃を付けたものだ。

 これをゴブリンの首の周りに設置しておいて、石を投げて驚かせたのだ。


 最初に起き上がろうとして首の後ろをザックリ。

 その痛みに驚いて、今度は喉笛をザックリ。


 ゴブリンは自分から見えない刃に突っ込んで、自滅した格好だ。

 動きを止めたゴブリンに慎重に近づき、空属性魔法で作った長い槍で突いてみて、完全に死んでいるのを確認した。


 幸い、ゴブリンの流した血の殆どは沢に流れていたが、それでも血の匂いに引かれて他の魔物や獣が来ないとも限らない。

 空属性魔法で防護服を作って、急いで解体を始める。


 解体は秋の討伐で経験済みだから、戸惑うことなく進められた。

 あばらの下をザックリと空属性のナイフで切り裂き、魔石の入った器官と今日は心臓を取り出した。


 肉の塊を切り裂いて魔石を取り出し、沢で洗って籠に放り込んだ。

 いよいよ念願の魔物の心臓だが、ここは危なそうなので、安全な場所まで移動する。


 沢に沿って村の方へと下り、屏風岩の近くまで下りた。

 沢の近くの岩の上に座り、空属性魔法でまな板と刺身包丁を作る。


 魔力を高めるためには、魔物の心臓を生で食べないといけないらしいが、心配なのは、寄生虫の存在だ。

 確か、犬や猫に寄生するフィラリアは心臓や肺の動脈に寄生すると聞いたことがあるので、ゴブリンの心臓に寄生していても不思議ではない。


 心臓を二つに割ってみるが、寄生虫らしきものは見当たらない。

 慎重に、薄く、薄く削ぎ切りにしていくが、動く物は見えない。


 心臓半分を削ぎ切りにしたところで、一旦手を止める。

 そもそも、どの程度の量を食べれば良いのかも分からないし、やっぱり魔物の肉を生で食べるのには抵抗がある。


「これはレバ刺し、これはレバ刺し……って、レバ刺しは禁止になったんだっけ? ええい、食ってやる!」


 覚悟を決めて、ゴブリンの心臓の薄造りを口へと放り込む。

 やはり、全身に血液を送るポンプだけに、かなりの歯ごたえがある。


 もっと血生臭い物かと思っていたが、血の味はするけど鮮度が良いからか、あまり苦にはならない。

 歯ごたえの有り過ぎる馬刺しみたいな感じだ。


「これ、にんにく醤油とか生姜醤油で、薬味と一緒に食べたら結構うみゃ……んんっ?」


 三切れ、四切れと、調子に乗って食べていたら、胃の中に異変を感じた。

 カーっと熱くなってくる感じは、前世で親の目を盗んで酒を飲んだ時のようだ。


「これは、魔素か……ぐぅ」


 身体強化魔法の訓練で、魔素を制御する術を学んでいたから良いものの、胃袋から大量の魔素が取り込まれて、血管や魔脈を滅茶苦茶に駆け巡ろうとしている。


「これぐらいならコントロール出来るけど……どうする、もっと食うか?」


 無茶をして、意識を失うような事になれば、魔物や獣の餌食になってしまうかもしれないし、沢に落ちて溺れ死ぬかもしれない。

 それに、体調を崩せば、明日のイブーロ行きも駄目になってしまうだろう。


「それでも……」


 リスクは百も承知だが、俺の脳裏に浮かんでいるのは、冒険者ギルドで魔力指数を測定した情景だ。

 俺の魔力指数は32で、騎士団にスカウトされたオラシオは465だった。


 あれから一年が経とうとしているが、あの時の数値が頭から離れない。

 あの時、十五倍近かった数値の差は、もっと広がっているのではないか。

 

 オラシオには、いつか自分も王都に行くなどと啖呵を切ってみせたが、王都に行ったところで相手にしてもらえないのではないか。

 もう、オラシオとは住む世界が違ってしまい、言葉を交わすことも無いのではないか。


 猫人であるコンプレックスが、気付かないうちに俺を侵蝕し、焦りを増幅していた。


「もう一切れ……あと一切れだけ……」


 俺はゴブリンの心臓の切れ端を、口に運ぶのを止められなくなっていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る