第11話 ゼオル
猫人の見た目が二足歩行の猫ならば、虎人の見た目は虎耳のコスプレだ。
これが可愛い女の子ならば萌え萌えなのだろうが、白髪まじりの茶髪短髪、ゴリマッチョで2メートル近い長身、毛深い外人面のオッサンに虎耳と尻尾が生えている様はシュールでしかない。
「適当に座っていろ。今、茶を淹れてやる」
「はぁ……」
この村長宅の離れの部屋で、ゼオルさんは一人で暮しているようだ。
現代日本風に言うと1Kの部屋は、中年のおっさんが暮しているにしては片付いているが、とにかく本が多い。
こちらの世界では、活版印刷が一般的になったばかりで、まだまだ本は高価な代物だ。
その高価な本が寝台の枕元や、テーブル、椅子、出窓の上など、おそらくゼオルさんが腰を落ち付ける場所に無造作に置かれている。
「本が好きなんですか?」
「ん? あぁ、意外だろう?」
「まぁ、少し……」
テーブルに置かれていた本を手に取ると、遠い大陸を旅した旅行記だった。
まだ本が高価なので、内容は娯楽ではなく知識を広めるためのものが殆どだそうだ。
「一線で活躍していた頃は、まずは自分の経験、次は信頼出来る仲間の話ぐらいしか信用しなかった。本に書かれているような、カビの生えた知識なんて必要無いと思い込んでいたもんだ」
話をしながらゼオルさんは、戸棚に何本も置かれている瓶から少しずつ茶葉を取り出してはポットに入れている。
こちらの世界のお茶は、いわゆるハーブティーで、お茶好きの人は自分でブレンドして楽しむ。
俺の家は貧乏で、白湯か水しか出てきた試しが無いが、薬屋のカリサ婆ちゃんはハーブティーを時々淹れてくれる。
カリサ婆ちゃんがお茶を淹れるのを眺めていたので、ゼオルさんの手付きからは慣れていない感じが見て取れた。
茶葉を入れたポットに水を注いで、魔道具のコンロに掛ける。
淹れるというよりも、煮出すという表現の方が正しいのだろう。
ポットのお湯が沸き始めると、部屋の中に香りが漂い始める。
すーっと大きく息を吸ったゼオルさんは、首を傾げて苦笑いを浮かべた。
どうやら、思い描いた香りには程遠いらしい。
大振りのカップに注がれた液体は、濁りのある茶色で、薬湯にしか見えなかった。
まぁ、見た目はアレだけど、飲んでみれば意外に……苦味がドーンと舌の上に居座り、薬湯にしか思えなかった。
「ふむ、なかなか思うようにはいかぬなぁ」
「あの、薬屋のカリサ婆ちゃんに相談してみたらどうです?」
「薬屋の婆さんか……」
「俺は、薬草を買い取ってもらうために、毎日のように顔を出していますが、カリサ婆ちゃんのお茶は美味しいですよ」
「そうなのか、そいつは良い話を聞いた。早速、明日にでも訊ねてみよう」
ゼオルさんは笑顔で頷いた後、お茶を口に含んで顔を顰めた。
「それで、ご用件は何でしょう?」
「おぅ、そうだったな。お前、面白い魔法を使うようだな」
「まぁ、空属性なんで、一般的な属性魔法とは少し毛色が違う感じですね」
「さっきのあれは何だ? 投石を防いでいたよな」
「あれは、空気を固めた盾で、咄嗟の時に出せるように練習してるんです」
空属性魔法は、空気を固める魔法なので、身を守れるように練習中だと話した。
「ちょっとやって見せてくれないか?」
「いいですよ」
ゼオルさんのリクエストに応えて、シールドを発動する。
ただし、強度も厚さも全力よりも落としてある。
「目には見えないでしょうが、ここにありますので、触ってみて下さい」
「おぉぉ、こいつは驚いた、確かに塊が存在しているが、まるで目には見えないな」
「俺は、どこに盾があるのか、ちゃんと感じ取っていますよ」
「ほほう、ところで、こいつを殴ってみても構わないか?」
「いいですけど、まだまだ強度不足ですから期待しないで下さい」
ここで変に実力を認められると、村の厄介事に駆り出されそうなので、更に強度を下げておいたから、ゼオルさんが繰り出したパンチで、盾はあっさりと砕け散った。
心の中で、虎耳コスプレおっさんパーンチ! と、技名を叫んでいたのは秘密だ。
「ふむ、確かに強度不足だが、さっき投石を防いだ時は、もっと丈夫だったような気がするが……」
「あー……確かに、そう言われてみると、そんな気がします。危険を感じて咄嗟に威力が上がったのかな?」
「あり得るな。つまり、お前の中には、潜在的な力がまだ眠っているってことだ」
「なるほど……」
色々バレたら不味いと思い、盾の強度を落としたことで、余計な疑惑を持たれそうになったけど、どうにか上手く誤魔化せたようだ。
「見せてくれと頼んでおいて言うことじゃないが、冒険者として生きていくなら簡単に手の内を見せるんじゃないぞ」
「冒険者ですか……なれますかね?」
「何を言ってる。薬草を採取し、モリネズミを捕まえて、報酬や報奨金を手に入れる。お前のやってることは、冒険者そのものだぞ」
「えっ……あぁ、そっか、超駆け出しの冒険者みたいなものか」
「そうだ。一日にモリネズミを十五匹も捕まえてくる奴は、いずれゴブリンでもオークでも倒せるようになる」
「でも、俺は猫人だから、虎人のゼオルさんみたいに身体は大きくなりませんよ」
「それがどうした。ワイバーンなんかは、俺の何倍もの大きさがあるんだぞ」
いやいや、確かにそうかもしれないけど、比較がおかしくないか。
「でも、俺は身体強化魔法も使えないし」
「そんなもの、俺が教えてやる」
「えっ……俺でも使えるようになります?」
「確約は出来んが、空属性の魔法で咄嗟に盾を作れるぐらいだ、大丈夫だろう」
「マジっすか……」
ゼオルさんは、ニヤリと笑った後で頷いてみせた。
「ところで、お前、名前は何て言う?」
「ニャンゴです」
「ニャンゴ、身体強化魔法を覚えたら、まず最初に何に使う?」
「勿論、逃げ足を速くしますよ」
「がはははは、いいぞ、合格だ。たいていの奴は、パンチを強くしたいだ、剣速を上げたいだとかぬかすもんだが、冒険者ってのは生き残ってこその商売だ。逃げ足を磨く、大正解だ」
ゼオルさんは、満面の笑みを浮かべながら席を立つと、俺の肩をバシバシと叩いて褒めてくれた。
てか、痛い、痛い、体格が違い過ぎるんだから、ちっとは手加減しろよ、おっさん。
この日から、ゼオルさんが身体強化魔法の手ほどきをしてくれることになった。
最初は毎日夕方から、慣れたら三日に一度のペースで教えてくれるそうだ。
「でも、どうして俺に、そんな手間を掛けてくれるんですか?」
「モリネズミを毎日捕まえて来るって話は聞いていたし、ミゲルに食って掛かっているのを見て、面白いと思ったからだ」
「面白い……ですか?」
「そうだ。この村は、良い村だが退屈だ。みんな村の仕来りみたいなものに従って、黙々と毎日を過ごしている。波風は立たず長閑だが、変化に乏しく退屈に思うことがある」
「俺は、退屈しのぎってことですね?」
「がははは、まぁ、そういうことだ」
冒険者としての一線は退き、田舎の村に引っ込んではみたものの、やっぱり退屈を持て余しているらしい。
まぁ、俺としては、身体強化魔法の手ほどきを受けられるのだから、文句どころか感謝するだけだ。
「じゃあ、始めるか。両手を出して、俺の手に重ねろ」
「こう……ですか?」
向かい合って椅子に座り、上に向けたゼオルさんの手の平に、俺の手のひらを重ねた。
グローブみたいなゼオルさんの手と較べると、俺のは細く小さい猫の手だ。
「いいか、目を閉じて、魔力の流れを感じろ……」
頷いて目を閉じると、すぐに変化が訪れた。
重ねた手の平から、何かが入り込んで来たのだ。
「抗うな、心を落ち着けて受け入れろ」
「くぅ……」
体の中に異物が入り込んで来るような感覚に、全身の毛が逆立つ。
右手から浸食を始めたものが、俺の体内を満たし、左腕から抜けていくまで30分ほど掛かったと思う。
「よし、今日はここまでだ」
「ありがとう、ございました……」
終わった途端、身体から気力が抜き取られたような感じがして、全身汗でびっしょりだった。
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