第8話 逃げるが勝ち

 魔力の高い人とは、体内に大量の魔素を蓄えている人ではなく、大量の魔素を体内に取り込み、循環させられる人らしい。

 魔素を循環させる魔脈の太さと、魔素を取り込む効率が重要らしい。


 どのような仕組みで身体の中に魔素を取り込んでいるのか、詳しい事は分からないが、たぶん心肺機能と同じようなものなのだろう。

『巣立ちの儀』で騎士団からスカウトされる人は、生まれつき大量の魔素を取り込み、循環させられる能力が備わっている人という訳だ。


 魔力の高さは、魔法を使い続けることで鍛えられて高まっていくとされ、肉体的な成長期の間は魔力的にも成長するとされている。

 だからこそ、俺は魔法を使い続けているのだ。


 ちなみに、魔力切れとは体内の魔素が枯渇する訳ではなく、魔法を発動し続ける魔力的なスタミナが切れた状態を指すようだ。

 いくら瞬間的に大きな魔法が使えても、一発打ったらスタミナ切れでは実戦では使えない。


 魔力を高めるには、ひたすら魔法を使って鍛える以外の方法があるらしい。

 薬屋のカリサ婆ちゃんから聞き出した迷信に近い方法とは、討伐直後の魔物の心臓を生で食べるというものだ。


 魔物は人とは違い、魔石という形で蓄えた魔素を血流に載せて循環させ、身体強化を行っているそうだ。

 魔物の心臓は魔石のすぐ近くで、大量の魔素を含んだ血液を全身に送り出す役目を担っている。


 その為、魔物の心臓には大量の魔素が含まれているそうだ。

 その心臓を食べることで、急激に大量の魔素が体内に取り込まれ、魔素を循環させる能力が高まるらしいが、カリサ婆ちゃんからは絶対にやるなと釘を刺されている。


 魔物の肉を生で食すのは、ファティマ教では禁忌とされている。

 魔物の肉を食べることは珍しくは無いが、必ず血抜きして、完全に火が通っている状態でなければならないとされている。


 日本からの転生者である俺の目から見ると、寄生虫を体内に取り込まないようにする教会の目論みのように感じる。

 寄生虫のリスクを覚悟の上で、それでも魔力を高めたいならば自己責任で……という事なのだろう。


 試してみたいと思っているが、肝心の魔物が倒せそうも無い。

 体格的に劣る猫人にとっては、雑魚のゴブリンも危険な魔物なのだ。


 俺は二年ほど前から、一人で山に薬草を採りに入るようになった。

 山に入る時には、魔物だけでなく野生動物にも気を配ってきたが、一度だけゴブリンに襲われた事がある。


 その日も薬草を採りながら山を巡っていると、三頭のゴブリンに出くわした。

 幸い、こちらが風下で、ゴブリンよりも早く相手の存在に気付いた俺は、木に登ってやり過ごそうと考えた。


 ゴブリン達は警戒する様子も見せず、何やら鳴き交わしながら俺が登っている木の方へと歩いて来た。

 そのまま通り過ぎていくかと思われた時、一頭のゴブリンが足を止めて、周囲の匂いを嗅ぎ始めた。


「ギャッ、ギャギャッ!」


 他の二頭も地面に這いつくばって匂いを嗅ぎ始め、俺が登っている木の根元までやってきた。

 どうやら、俺の匂いを嗅ぎつけたようだ。


「ギィィィ、ギギャッ!」


 俺は幹に張り付くようにして隠れていたが、一頭のゴブリンが木を登り始めたので逃走を始めた。

 幸い、周囲は鬱蒼とした森で、俺は猫人の身体能力を生かして、枝から枝へと飛び移って逃げられる。


「嘘だろう……」


 簡単に振り切れるだろうと思っていたが、木に登ってきたゴブリンは、そのまま枝伝いに俺を追ってくるし、残りの二頭も地面から樹上を見上げて追って来た。

 ゴブリンの方が体が重いから枝が大きくしなっているのに、俺と遜色無いスピードで追いかけて来る。


 俺は飛び移る木を先の先まで読んで逃げているのに、ゴブリンは完全な力技だ。

 その上、地上にいる二頭が、俺を見失わないように連携しながら囲い込もうとして来る。


 猫人の体は柔軟性と瞬発力に富んでいるが、持久力となると疑問符が付く。

 このままではスタミナ切れを起こして、ゴブリンどもの餌食になりかねない。


 だが山に入る時には、魔物に出会わないように十分に気を付けているし、出会ってしまった時の対応策も怠っていない。

 ゴブリン達に囲まれないように進路を変更しながら、沢へと向かった。


 近くにある沢は、切り立った崖の下を勢い良く流れている。

 落ちたら、鋭い岩が露出する急流を流されることになり、最悪溺死、運が良くても酷い打ち身はまぬがれない。


「ギャーッ、ギギャーッ!」


 沢に近付いていると気付いたのか、ゴブリンは鋭く叫びながら速度を上げ、ジリジリと距離を詰めてきた。

 もう10メートル程度しか離れていない。


 ゴブリンの包囲を突破するように、急激に方向を変えながら枝から飛び降りる。

 灌木を縫うようにして森を抜け、沢沿いの斜面を走り、大岩の隙間へと飛び込んだ。


 岩の隙間は、俺がギリギリで通り抜けられる幅しかなく、ゴブリン共は入って来られない。

 屏風岩と勝手に名付けているこの岩は、斜面に刺さった屏風のようで、垂直に切り立った崖の上部はオーバーハングになっていて登って超えるのは難しい。


 しかも沢に大きく突き出しているので、回り込むには水飛沫で濡れた垂直な岩肌を伝っていくしかない。

 安全に沢の下流に出るには、一度沢沿いに戻り、大きく迂回するしかないのだ。


 ゴブリンを引き離した俺は、そのまま沢沿いに村まで戻り、ようやく緊張を解いた。

 魔物や獣も討伐される危険性を弁えているのか、村にまで出てくる事は少ない。


 万が一を考えて屏風岩のような場所を見つけておかなければ、ゴブリン共の餌になっていたはずだ。

 村から見て北の山は屏風岩、東の山はイバラツツジのトンネル、西の山は炭焼き小屋といった感じで、逃げ込める場所をいくつも準備してある。


 あれから少しは体も大きくなったし、魔法も使えるようになったが、まだゴブリンを一人で倒せる自信は無い。

 練習するほどに使い勝手の上がる空属性の魔法だが、致命的とも言える欠点があった。


 武器として使うには、固めた空気は軽すぎるのだ。

 剣の形に固めた空気で木の幹を斬りつけてみても、深い傷は入らない。


 剣自体の重量が軽いし、俺自身の体重も軽いので、必然的に斬撃も軽くなってしまう。

 これでは固い皮膚と筋肉を切り裂いて、致命傷を負わせられる気がしない。


 槍の形にして刺突でならば、剣よりも深手を与えられそうだが、的確に急所を捉えられなければ仕留められそうもない。

 それにゴブリンは、群れで行動する事の方が多い。 


 三頭程度は、まだ少ないほうで、十頭以上の群れになる場合も珍しくはないそうだ。

 一頭でも倒せるか疑わしい状態で、複数のゴブリンの相手をするなど、正気の沙汰ではないだろう。


 倒せないなら、いかにして逃げるか考えるしかない。

 今練習に取り組んでいるのは、ステップの更なる改良だ。


 最初ツルツルの板っぺらでスタートしたステップだが、表面をザラザラにしてグリップ性を向上させた。

 更に表面の材質を見直して、陸上競技のトラックのようなクッション性と反発力を加えた。


 材質の見直しによって、滑る心配はほぼ無くなったので、的確な配置が出来るように訓練を始めている。

 最初は、ステップを設置し、そこを狙って足を踏み出し、着地したら次のステップを作るという感じだったが、これではゆっくり歩くのが限界だ。


 そこで次の段階として、踏み出しながらステップを作るようにして、徐々にスピードを上げていった。

 普通に歩く時にもステップを使えば良いのだから、練習はどこでも可能だった。


 練習の甲斐あって、二足での全力疾走には対応できた。

 急な方向変換をスムーズに出来るように、ステップをバンクさせて設置することもマスターした。


 今は猫人の最速形態、四足での全力疾走でのステップ使用を練習中だ。

 まぁ、二足での全力疾走をマスターした時点で、ゴブリンに遭遇しても逃げ切れる目途は立っている。


 何しろ、ステップを使って地上から10メートルぐらいまで上ってしまえば、ゴブリン達は手も足も出せない。

 四足での全力疾走への対応は、将来もっと強力な魔物に遭遇した場合を考えての訓練だ。


 これさえマスターしてしまえば、空を飛ぶ魔物でなければ、捕まることはないだろう。

 ただし、逃げ足は良いとして、攻撃力のアップの課題は依然として残されたままだ。

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