第6話 ステップ&サミング
魔物と普通の生き物の違いは、体内に魔石を貯えているか否かだ。
魔物には、魔素の塊である魔石を内包した器官が心臓のすぐ脇にある。
俺たちを含めた普通の生き物には、そのような器官は備わっていない。
魔物は魔石の形で魔素を体内に貯え、狩りの時や戦闘時に魔素を血流に放出し、身体強化を行っていると言われている。
一般的な野生動物は身体強化は使えないので、同じぐらいの体格であれば、魔物の方が危険度は遥かに高い。
まぁ、小柄な猫人の俺にとっては、魔物であろうと野生動物であろうと危険だし、薬草摘みの最中には遭遇したくない。
魔物の中では雑魚だとされるゴブリンであっても、俺よりも体が大きいし、力も強いのだ。
異世界に転生したと分かってから、魔法や剣術を使って無双する……なんてシチュエーションに憧れたけど、現実は厳しい。
今の俺は、雑魚と呼ばれるゴブリンよりも雑魚、雑魚の中の雑魚、キング・オブ・雑魚なのだ。
魔物も野生動物と同様に、人間に対しては警戒心を抱いている。
人間が魔法や武器、そして人数を揃えての連携によって強い敵すらも倒すことを知っているから、不用意に村に踏み込んで来るようなことはしない。
村は、人間の領域であると心得ている訳だ。
村や街が人間の領域だとすれば、森や山は魔物や野生動物の領域だ。
村には踏み込んで来ない魔物も、森や山にいる人間に対しては相手を見極めた上で襲い掛ってくる。
一歩相手の領域に足を踏み入れてしまえば、人間も等しく獲物として見られるのだ。
だから薬草を採りに山に入る時には、周囲の様子に常に気を配るようにしている。
ニガリヨモギを乾燥させて粉にしたものを持って行き、時々歩いて来た道に撒いて、自分の匂いを辿らせないようにする。
見通しの利かない場所には極力近付かないようにして、相手よりも先に存在を察知するように心掛けている。
日本でも筍や山菜を採りに山に入り、熊に襲われることがあるが、こちらの世界は遭遇率が何倍にもなるし、実際、山に入ったまま戻らなかった人もいる。
次は我が身と戒めて、戒めて、戒めて、山に入るのだ。
この日も朝から山に入ったが、鹿の親子を見かけただけで、危険な動物や魔物とは遭遇せずに戻って来られた。
山で取ってきた薬草を、川原で濯いで仕分けしていると、後から声を掛けられた。
「よぅ、ニャンゴ。最近、羽振りが良いみたいじゃないか」
声を掛けてきた村長の孫ミゲルは、『巣立ちの儀』で同い年のオラシオだけが王国騎士団にスカウトされたことを妬み、村に戻ってから自堕落な生活を続けている。
今も、一つ年上で馬人のダレスと、一つ年下で熊人のキンブルを引き連れ、学校にも行かずにフラフラ遊び歩いているらしい。
時には親の目を盗んで酒を飲んでいたりするそうで、クズ一直線という感じだ。
それに、羽振りが良いとか言ってるが、一日に銀貨一枚稼げるかどうかだ。
日本の金銭感覚ならば、日給千円になるかどうかで羽振りが良いとか言われても、苦笑いするしかない。
「俺は、真面目に働いてるからな」
「何だと……お前、馬鹿にしてるのか?」
「馬鹿にされていると思うのは、お前が後ろめたいと思ってるからだろ」
「こいつ……おいっ」
ミゲルに合図されたキンブルが、川原を回り込んで挟み撃ちの位置につく。
俺はミゲルと言葉を交わしながらも手を動かし続け、濯いだ薬草は束ねて籠に入れ終えた。
「ダレス、キンブル。草摘みに行って汚れたみたいだ、ニャンゴを綺麗にしてやれ」
「お任せ下さい、若。ぬかるなよ、キンブル」
とても『若』なんて柄じゃないだろうと突っ込みたいが、そんな余裕はなさそうだ。
ダレスとキンブルが、両手を大きく広げながらジリジリと近付いて来る。
どうやら俺を捕まえて、川に突き落とすつもりらしい。
二人とも大柄な人種で、体格的には敵わないし、薬草を入れた籠もあり正面突破は難しそうだ。
川幅は10メートルも無いけれど水深は1メートルぐらいあり、中央付近まで突き落とされれば、俺では頭まで潜ってしまう。
「ステップ」
俺は籠を背負うと、川に向かって歩を進める。
川面に足を踏み出すが、水面に触れることはない。
空属性魔法の強度が上がって、体重を支えられる足場が作れるようになったのだ。
まだ作れる足場は三枚だけだし、集中が乱れれば壊れてしまうが、今は他に方法が無い。
「うわぁ! こいつ、水の上を歩いてるぞ」
「なんだ? どうなってんの?」
ダレスとキンブルが驚いている間に、川の中程まで歩いてこられたが、ここで気を抜く訳にはいかない。
「あいつ。魔法を使ってやがる。おい、ダレス。お前も魔法を使え」
「へい、分かりやした! 女神ファティマ様の名のもとに、風よ吹き抜けろ!」
おいおい、俺は敬虔な信者じゃないけど、イジメに女神様の名前を使ってんじゃねぇよ。
ダレスが突き出した両手から放たれた気流が、川面を渡って押し寄せて来る。
気流に煽られて体が揺れたが、来ると分かっていれば耐えられない程の強さではない。
集中を乱さず、足場の上で踏ん張り、次の一歩を踏み出す。
「何やってんだ、良くみとけ。女神ファティマ様の名のもとに、炎よ燃え上がれ!」
ミゲルが詠唱を始めたのを聞いて、真っ直ぐ前に作った足場を破棄して作り直す。
大きく右に進路を変えた俺のすぐ横を、直径50センチはある火の玉が通り抜けていった。
火の玉が通り過ぎた直後に、ブワっと熱気が押し寄せて来る。
あんなものの直撃を食らったら、俺の自慢の毛並みがチリチリになっちまう。
「ちくしょう! チョロチョロ避けんな! 女神ファティマ様の名のもとに、炎よ燃え上がれ!」
再び正面の足場を破棄、新しい足場を作って、今度は左に避ける。
また右に避けると思っていたのだろう、ミゲルの放った火の玉は大きく右に逸れていった。
あと数歩で渡りきれると思った時、突然左肩に鈍い痛みが走り、集中が途切れてステップが壊れてしまった。
幸い、浅瀬まで辿り着いていたので、足が濡れた程度で転ばずに済んだ。
一体何が起こったのかと振り返ると、キンブルが石を拾って投げ付けていた。
さっきの痛みは、石が直撃したのだろう。
「サミング」
「ぎゃぁぁぁ、目がぁぁぁ……」
すかさずキンブルに、空属性魔法を使った目つぶしをお見舞いしてやった。
イブーロの冒険者ギルドで試してみて、これは役に立つと思って練習を重ねていたのだ。
固めた空気の強度も上がったので、本気で相手の視力を奪うように鋭利な形にしたパターンと、一時的に視力を奪うために球状に固める二つのパターンを使い分けられるようにした。
キンブルに食らわせたのは球状に固めたパターンだが、練習によって突き出す速度も上がっているから結構痛いはずだ。
「この野郎、よくもやりやがったな。女神ファティマ様の名のもとに、炎よ燃え上がれ!」
「ウォール」
ミゲルの撃ち出した火の玉に対して、川の中央付近に壁になるように空気を固める。
訓練の成果で、薄く伸ばせば畳四畳分ぐらいの広さを固めることが出来るようになった。
厚さは3ミリ程度、強度はプラ板ぐらいしかないが、壊れても何度でも作り直せる。
ミゲルの火の玉によって、固めた空気の壁は粉々に砕けるだろうが、次は軌道を逸らすように斜めに壁を作ってみよう。
次の壁を作るように待ち構えていたが、砕けたのは火の玉の方だった。
空気の壁にぶつかって広がり、そのまま消えてしまった。
土とか水のような密度は無く、たんなる火の塊だから物を壊すような衝撃は与えられないようだ。
突然火の玉が消滅して、ミゲルは呆然と立ち尽くしていた。
「な、な、何だよこれ、ふざけ……うぎゃぁぁぁ、目ぇぇぇ」
「問答無用で火の魔法を撃ち込んで来たくせに、何言ってやがる」
「痛ぇぇ、目がぁぁぁ……」
ついでにダレスにも目つぶしを食らわせ、土手を上がって帰路についた。
いずれあんなのが村長になるのかと思ったら、村の将来が本気で心配になってきた。
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