第7話 記憶の底

武内が部屋へ戻ると布団は既に敷かれていた。


壁の時計がボーンと一回鳴り一時を回った事を教える。


彼は横になり、加藤の申し出を

そう、魅力的な彼の申し出を思い出していた。


「どうだい?一緒に行かないか?」


加藤も中田も目的は自分と同じであった。

彼等は憲兵や警官ではなく自己紹介の通りの人達であった。


だが、些か目的の内容は異なる。


加藤達の目的は神社その物に向けられていた。


加藤が言うには戦前の下伊那に「何でも願いをかなえる」などと言う大盤振る舞いな神社は存在しなかった。


いや、そんな神社は日本中に無いだろう。


確かに神社とは厄を払い、学業、事業、健康、果ては恋愛から子宝まで基本大盤振る舞いではある。

信心の対価は死後の冥福のような海外の宗教と比べ全く異なると言って良いだろう。


だが、絶対ではない。

大半の人々は賽銭を捨てる事になる。


死後の冥福なら叶わなくとも文句を言う人は既に居ない。

しかし入試に失敗したり恋愛に破れた人間は、まだこの世の人間である。


だが、それは「そういうものだろう」とする諦めにより成り立つのだ。


叶わなかった人々は諦められる範囲、諦めるしかない状況だったと自らを納得させる。


古来より自然災害に翻弄された日本民族特有の…

言うなれば、日本の宗教は希望ではなく諦念により成り立っているのかも知れない。



しかし、しかしだ。

その神社に限っては「絶対」なのだ。


絶対的に願いを叶える。


そういうものだろうとは言わせない結果を突き付けて来るのだと言う。


ならばそれは、既に神社参拝など越えた奇跡、神の目撃だと言っても良いだろう。


勿論、大学教授である加藤は信じはしない

何故、そんな神社が忽然と現れたのかを検証するのが彼の目的だった。


中田の目的は至ってシンプルであり謎の神社を撮影するスクープ狙いだ。

道中でナチス側の布陣でも撮影しておけば軍も文句は言うまい。


そこで必要とされるのは実証したい願いを持つ者、つまり武内だ。


加藤は協力してくれるなら鴉とも先守とも呼ばれる案内人への代金

それを肩代わりすると申し出たのだ。


代金として武内は五千円を用意していた。

一般的な月給が二万円台なのだから決して少ない金額ではない。

だが、実際幾ら払えば良いのかと言う情報は無かった。

足りないと言われてしまえば、それまでである。


実験に使われる様で抵抗はあったが心配の一つが無くなったのも確かだった。



暗い森から鈴虫が羽を掻き鳴らす音が時折聞こえて来る。


(姉ちゃん…)

武内はグッと手を握るが姉の手を握った感触は思い出せない。

もう、あれから七年が過ぎてしまったのだ。


あの冷たく弱々しい指を冷たく弱々しい指だったと記憶しているに過ぎない。


代わりに指先が思い出したのは夏子だった。


あの暗くなった校舎を歩いている時に彼女は音がした何かが動いたと言っては

その度に武内にしがみついてきた。


彼の手は常に夏子の肩や腕にあり、時にはその腰にあった。


そう、七年が過ぎてしまったのだ。


まるで一枚の原稿用紙、あるいは画用紙を使い続けるかのように

姉の思い出は所々夏子に置き換わっている様に思える。





彼の脳は同級生のスカートの上から感じた下着のライン…

その感触を何度も記憶の水面に引き揚げては

武内を責め

責めながら記憶の底に沈んでいった。






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