第6話 鴉

「嘘だなんて…」

武内は言いかけたが所詮は苦し紛れ、言葉は続かなかった。


「義勇軍が戦ったのはなぁ…飯田だろぉ!」

中田は胡座を組み直すと湯呑みに残っていた日本酒を飲み干す。


迂闊だった。

現在の最前線は当時とは違っている事を武内は知らなかった。


当時の最前線は飯田市街であり、武内の父親はそこに居たはずである。

抵抗する義勇軍の側面を突くべく阿智村に集結したナチの戦闘団を米軍が原爆を持って爆撃したが

飯田市街は、それより早くに陥落してしまった。


故に父親が戦死した場所を現在の岐阜県境から彼が見る事は不可能となる。

此処からは飯田どころか阿智村すら見えないのだ。


「まぁ、中田君そのへんで」

教授が、まぁまぁと言った口調で中田を抑えた。


中田は、再びドターっと仰向けに寝る。


万事休すである。


勿論、知らなかった勘違いだったで通る話ではある。

戦線の移り変わり等、政府は積極的に公表していないのだから

仮に憲兵に通報されたとしても逮捕には至らない。

だが、明日の計画は間違いなくご破算だろう。


「君がね、心配してるような事は起きないよ」


教授は手酌で酒を注ぎながら武内の内心を見透かしたかの様に話しかける。


「鴉を探しに来たんだよ、僕も彼もね」


「それは先守の事ですか…?」


教授の言葉に武内は思わず言ってしまった。

いや、言ったと表現した方が正解だろう。


教授や中田が憲兵でない確証は無い。

だが、どのみち彼等が憲兵なり警官ならば先ほどの会話で詰んでいる。


明日の計画がご破算ならば、この泥田を歩くような時間を武内は一刻も早く

終わらせたいと望んだ。



安藤夏子から聞いた哨戒線の「彼方側」で起きている不可解な出来事。


武内はその後もことあるごとにソレを調べた。


しかし、夏子の話以上に詳しく知る事は出来なかった。

テレビで放映したような話であるのに雑誌も新聞も

その出来事を取り上げた物は無い。


武内は高校でも何かしら知る者は居ないか手当たり次第に聞いて回り

挙げ句、掲示板に貼り紙をしてまで情報を集めようとした。


当然ながら彼の行動は職員室で話題となり、武内は呼び出しを受ける事になった。


呼び出したのは戦前、左翼活動で検挙された経験がある教師で

今もその時の傷が深く顔に残る。


憲兵隊は定期的にフェイクの情報を流し、噂が伝達する速度を調べているのだと

顔の傷を撫でながら教師は説明した。


電話すら普及していない大正時代ですら、青森で流した「噂話」は翌日には東京に届いたのだと言う。

電話が普及した現代ならどうなるか?

地域を限定してテレビ放映し、後は軍隊の巣穴と言っても良い最前線で口を開けて待てば良い。


捕まえた人間の住所から噂が広まる範囲が分かると言うものだ。


それならば夏子が見たテレビ放送以外に不可解な出来事を取り上げたニュースが無いのも納得が行く。


最後に教師は、つまらんものに引っ掛かり人生を失うなと言って彼を解放した。


若かりし頃、日常的に憲兵隊と絡んでいただろう彼女に言われたくはなかったが

その合理的な説明に武内は納得せざるを得なかった。


諦めかけた頃に転機は意外な場所から来た。

定時制に通う中年の男性が貼り紙を見て武内に連絡してくれたのだ。


男性は百キロはありそうな巨漢で大曽根駅近くのラーメン屋台に武内を誘った。


当然、おごる事になるだろう

武内は財布の中身をコッソリ確認する。


ラーメン屋台で男性は2杯目を食べながら自分が見聞きした事を武内に話した。


彼は、数年前に木曽へダムの修理に出向いたのだが、その時に噂を聞いたのだと言う。


だが、細部は少し異なり案内人は黒一色のナリで現れ

「鴉要らんかね?」

と聞いて来るらしい。


地元の人間は鴉と呼んでおり、男性は気味が悪くて行かなかったが

一緒の現場に居た三人が肝試し気分で出かけて行った。


しかし、いつまで待っても三人は帰らず会社は警察へ通報した。


恐らくだが、良からぬ何かが起きたのだろう。

しかし全ては「彼方側」で起きた話であり警察も何も出来ず

三人の行方は分からないまま、それっきりになったと言う。


「君は絶対に行くなよ」


ラーメンを食べ終えた男性は武内の分も支払うと去っていった。





「どうだい?一緒に探さないカァー!?」


中田は再び跳ね起きて武内に抱き付く


「カァーカァー!!」


「うわっ!中田さん!」


教授は武内の問いには答えず笑いながら、少し温くなったコーラを武内のグラスに注いだ。

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