第5話 日出処、アナトリア

「相川」

 真剣な顔の藁池に呼ばれて俺もキメ顔を返す。

「ここは、もしかしたら、アナトリア半島かも知れない。それも……多分、大昔の」

 藁池の声は震えていた。


「アナトリア半島ってどこだ? 有名な世界なのか?」

「有名な世界ってのはなんだ。アナトリア半島はヨーロッパとアジアをつなぐ位置にある半島の地名だ。南に地中海、北に黒海、西側にはエーゲ海がある海に囲まれた地形だ。そのほとんどをアナトリア高原が占めている」


「ヨーロッパに、アジア? ここは地球だって言うのか!」

 異世界だろう、どう考えてもこんな不思議体験は異世界転移だろうがあっ!!

 叫びたくなる気持ちを指先に込めて開閉を繰り返す。


「これがお前の撮ってきた画像だな。こっちを見てくれ、俺のスマホに入っているマップアプリの衛星写真だ。陸地の形がほぼ一致する」

「お前は、方位磁石持ってたり、容量馬鹿でかい地図アプリ入れてたり、何なんだよ。異世界経験者か!?」


「現実を見ろ。ここは異世界じゃない、地球だ。ただ文明が余りに21世紀らしくない。近くで見なければはっきりとは分からないが、少なくとも2000年以上は昔だろう。キリストの生まれる前の時代だ」

「だから、お前は何なんだよ、歴史博士か! 地球大好きっ子か! そんなに自分の考えに自信を持てるのかよ」


「お前は駄々っ子だな」

 うがーっ! 頭にくる奴だ。

「簡単に言うなら金属オタクだ。その方位磁石も俺が自分で作った。地図も世界中の採掘場をいつでも確認できるようにだ」

 金属オタク? それで地球かどうかが分かるのか?

「金属の中でも鉄は最高だ。炭素を混ぜ合わせる事でできる鋼と、それをさらに鍛え上げて作られる玉鋼の産み出す作品はもはや芸術の域すら超え、神の領域に達していると俺は感じている」


「そ、うか。まあ、俺はそこまで金属への愛はないかな。武器とか鎧は好きだけど」

「その武器や鎧を作り出すために、金属を溶かし加工する冶金やきんを考え出した者達の熱意はまさに生命を生き抜こうとする……」

「あー、その辺で止まってくれ。取り敢えず今の状況を知るためにはやっぱり人里に降りるのがいいと思うんだ。山の中ならこれから寒くなってくるだろうしな」

「それもそうだな」


 現在の影の位置をルーズリーフに書き記すと、藁池は方位磁石を確認して立ち上がった。顔色は大分良くなっている。

 藁池の書いたルーズリーフ上の時刻は15時40分。俺のスマホは15時38分を示していた。

 こいつ、怖ぇ〜。


「それで、ここがそのアナトリアだとしたら結局どこなんだ?」

 俺たちは川伝いに、獣道もない山を下っていた。

 日本から出た事のない俺には、世界の国の場所もあやふやだ。西にヨーロッパ、東側がアジア、南半球にアフリカやオーストラリアがあるって位の知識しかない。


「アナトリア半島は現在ではトルコの一部だ。アジアの中でも西アジアに分類される。ローマ、エジプト、ギリシャなどの古代文明と呼ばれる時代、ヨーロッパにとってアナトリアはアジアの全てだった。その先に、広い東の国々と地域があるなんて知らなかったんだ。大航海時代の先に、今の地域がアジアと呼ばれるようになり、ヨーロッパにとってのアジアだったアナトリアは小アジアと呼ばれる事になった」

 小アジア、初めて聞く言葉だ。小さいアジアみたいな名だけど、今の話を聞くなら逆にそこが最初のアジアだったのか。


「アナトリアの語源を知っているか?」

「知るわけないだろ。初めて聞いたんだ」

「いや、中学でも一度くらいは聞いてるはずだが。まあいい、アナトリアの語源はギリシャ語の『アナトリコン』日出る処ひいずるところって意味らしい」

 藁池がニヤリと笑う。

 日出る処、それって日本の事じゃなかったか!


「金属を産み出す東の国、まるで日本の事みたいだよな。俺がアナトリアに親近感を持った理由でもある」

 かなり傾斜もきつく足場も悪い山道を、藁池は喋りながら歩いている。

 汗はかいているが苦しげな様子もない。

 かく言う俺も、まだ体力に余裕はあるんだけどな。

 こんな時は、一緒にいるのが体力のある奴で良かったと思う。


「鉄の加工を人類で初めて行ったのが世界四大文明の一つ、メソポタミア文明と密接するアナトリアだと言われている。ヨーロッパとアジア、アフリカを繋ぐ位置にあるため歴史上何度も戦禍に見舞われてきた地だ。争いを生き抜くため、より強い武器を人々は求めたんだろうな」

「なあ、藁池」

 熱く語っている藁池には悪いが、今の俺にはもっと別の情報が欲しい。


「もしここがそのアナトリア半島だったとして、日本に帰るにはどうしたらいいんだ?」

 数日間のサバイバル生活や古代風生活だったら構わないが、もしも本格的にここに住まなければならなくなったらと思ったら、さすがに血の気が引いた。

 今はスマホが使える。でも1年後は? 2年後は? 特別な力も何もない状態で、戦争を繰り返すと言う地域にいたなら。俺は、生き残れるのか?


「……知るかっ。船でも陸路でも日本に戻れると思うか? 三蔵法師が中国からインドに旅したよりも遠いんだぞ」

「そうか。それにそうだ、日本は昔は鎖国してたんだよな。行けても入れないかも」

 日本が西洋から身を守るために鎖国してたってのは知ってる。それなら、日本の情報を集めるのも難しいかもしれない。

 藁池の歩みが止まった。俺を見たまま口をぽかんと開けて固まっている。


「鎖国は江戸時代の話だ。古代期には鎖国どころか、日本って国がない」

「えっ! じゃあ日本は海の中なのかよ」

 陸地って確か火山の噴火で出来るんだよな。じゃあ日本はまだ海の中か。富士山はいつ日本を作るんだ。


「頭が痛い」

 藁池が頭を抱えている。

 元々悪かった具合が悪化したのだろうか。

「日本はまだ大和の国にも黄金の国にも、東の国にすらなっていない。ヤマトタケルも卑弥呼ヒミコもまだ誕生していないんだ」

 俺、すげー昔に居るみたいだ。

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