その2 聖奈と秘密の部屋

 聖奈のミートローブを味わうために、富士田邸へやってきたわけじゃない。

 本来は、聖奈の母親と初の対面を迎えるはずだったのだが、仕事で不在ではしょうがない。

 それなら俺は、聖奈と2人きりの状況を活かし、なすべきことをするだけだ。


「――例の『ポリ・キュアー』部屋はどこだ?」

「丘崎さん、さっそくソレですか?」


 聖奈の冷たい視線が刺さる。


「……聖奈の両親がいないのなら、俺の関心は『ポリ・キュアー』にしかない」


『ポリ・キュアー』のコレクションが大量にあるホームシアターに興味津々だし、それより何より俺は一刻も早くこの状況から抜け出す必要があった。

 ソファに座っていた俺は、バスローブ姿の聖奈に抱き枕状態にされ、もみくちゃになっていた。

 好き勝手わしゃわしゃしやがって。何ツゴロウさんだよ、お前は。体をこすりつけてくるんじゃないよ、マーキング中かよ。


「でもー、丘崎さんって聖奈が持ってるどのぬいぐるみより抱き心地がいいですから。一番のお気に入りの『くまのペーさん』より好きです」


 聖奈は、寝そべったままの体勢で、肘を支点にして手のひらで頭を支えながら、やたらと大人っぽい微笑みをこちらに向けてくる。やめろ、童貞食った後みたいな雰囲気出すな。小学生相手にアレな言い方だけどさ。

 適切なディスタンスを保たなければマズいことは理解していたが、俺はソファの背もたれと聖奈に挟まれるかたちになっているので、逃げようがなかった。


「もう俺の感触は充分に堪能しただろ。離せ」


 股間のコンディションの変化がバレないように、聖奈が密着するのを脚でガードするのは大変なんだぞ。ここでパスガード(?)を許してしまったら女児に対するわいせつ行為でお縄になりかねんのだからな。


「聖奈はまだぜんぜん満足じゃないんですよー」

「聞け」


 聞く気のない聖奈は、長い脚で俺の自由を奪った状態で、俺の顔を胸元に引き寄せる。俺は聖奈に全身を取り込まれるようなかたちになっていた。

 特に密着率が高いのが顔面で、聖奈の胸に埋まっていた。鼻先を谷間に挟み込んでいるものだから、ちょっとでも位置がズレていたら窒息死してしまうぞ、これ。


「……わかった、俺を慰み者にしていいから、死ぬ前に一度『ポリ・キュアー』を観せてくれないか?」

「ええっ!? 丘崎さん、死んじゃうんですかっ!?」


 俺を窒息死させようとした張本人が驚きのあまり涙目になっていた。


「いや、死なない。今、生きる目処が立ったから」


 おっぱい地獄から解放してくれたからな。やれやれ、やっと呼吸が出来る。


「よかったぁ」


 聖奈は感動のあまりもう一度抱きつこうとしてくる。

 同じ手は食わないぞ、とばかりに俺は、両手を伸ばすのだが。

 ふよん、と、そんな音がしそうな感触がした。

 拒否のために伸ばした俺の両手は、聖奈の両胸にガッツリ触れていた。

 いやそうはならんやろ、なんて声が聞こえてきそうだが、わざとじゃないんだよ……。

 ていうか、この、あまりにノイズがなさすぎる感触。

 こいつ、Tシャツ羽織ったはいいものの……ノーブラだろこれ。


「丘崎さんは、ほんとうにおっぱいが好きですね」


 嫌悪するでもなく、呆れるでもなく、まるでお菓子に夢中なこどもを見つめるような暖かい視線をこちらに向けてくる。

 たぶん、胸が男にとって性的な意味合いを持つ箇所だという自覚がないのかもしれない。小学5年生ならもっとマセていそうなものだが、聖奈は見た目は年齢以上でも、内面は年齢以下らしい。だから異性の前でもノーブラで平気なのだろうな。


「そりゃ好きだが……安易に触らせるようなことしたらダメだぞ」


 半分事故とはいえ、触ったの、俺だけどさ。

 でも聖奈には、もっと警戒心を持ってほしかった。

 そりゃおっぱいの感触は名残惜しいが、危険に巻き込まれないように注意するのも、年上の役目だ。

 相手小学生だし、能天気におっぱいおっぱい言っていられないし。俺は見た目が小学生だから、絵面的にセーフなだけで。誰がちびっこじゃ。


「え? 丘崎さんならいいと思ってたんですけど」


 不思議なことを言いますね、という顔で見つめ返してくる。

 何も言えなくなった。


「よければ、まだ触りますか?」


 両腕で胸を寄せて言うなよな。


「お、おう……」


 おう、じゃねーよ、俺。

 再び動きかけた右腕を左手で抑え、『静まれ……俺の右腕ッ……!』と意図せず厨発言をしてしまう事態に駆られた。


「いや、今は『ポリ・キュアー』の方が大事だから……」

「丘崎さん、どうして泣いてるんですか?」


 あわあわとする聖奈だが、心配するようなことはない。

 単に、大好きな『ポリ・キュアー』を、下心から逃れるためのダシにしてしまったことを後悔しているだけだから……。

 どうして、好きなものを純粋に好きなままでいられないのだろう、という疑問をぼんやりと感じている時だった。


「丘崎さん、泣かないでください」


 包み込まれるような優しい声音と一緒に、頭頂部に心地よい感触がやってくる。


「『ポリ・キュアー』、一緒にみましょう?」


 お菓子もありますから、と言って、聖奈は俺の両手をそっと握った。

 それだけで、俺が感じていた『穢れ』に対する嫌悪も一気に浄化されてしまったような気がした。

 ……いや、元々深刻に捉えるような悩みではなかったと思うのだが、とにかくとても心が落ち着いたことは確かだ。迷子から抜け出すことができたみたいな安心感に包まれる。

 聖奈に母親を感じてしまった俺は(記憶の限りでは、俺は実の母親にこんなことをしてもらった覚えはないが……)、聖奈に手を引かれて、ホームシアターがある部屋へと案内されるのであった。

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