その3 聖奈とヒーローショー

「――丘崎さん、これ、行きましょう!」


 聖奈からそんな誘いを受けた俺は、ショッピングモールに来ていた。

 いつぞや、映画を観にやってきた場所である。

 だが、今回の目的は映画じゃない。

 とある崇高な目的のためにやってきたのだ。

 俺たちは、建物のちょうど中央部分にある開けた空間にいた。

 人の行き交いが特に激しいその場所は、イベントスペースになっている。

 いるわいるわ、こどもの群れ。

 親に手を引かれた小さな男女が、そのイベントが始まる瞬間を今か今かと待ち受けていた。

 聖奈から誘われた時、聖奈が差し出してきたスマホのサイトには、こんな見出しが載っていた。


【『魔法楽隊ポリリズム・キュアー』がみんなのまちへやってくる! よいこのみんな、集まれ~】


 ちびっこヒーローショー的な類の、『ポリ・キュアー』バージョンが、今日この場所で開催されるわけだ。

 もちろん俺はちびっこではないので、誘いを断ることも一瞬だけ考えたのだが、『ポリ・キュアー』のこととあっては行かないわけにはいかなかった。

 キグルミが登場してお茶を濁すようなイベントとわかっていても、だ。

 こどもの群れに混ざったって、恥ずかしくはない。

 こっちには聖奈がいるんだ。

 お姉ちゃんに連れてきてもらったていで、存分に堪能してやる……!


「丘崎さん、また弟モードになってませんか?」


 ここに映画観に来た時みたいに、と、聖奈が目ざとく指摘してくる。

 確かに、以前の俺は、高校生としての自負のせいで、小学生の『弟』として振る舞うことに抵抗があった。

 だが、俺は成長した。

 目的のためなら、こどもになりすますことだってできるようになった。


「……俺が小学生のフリして、何か問題でもあるのか?」


 高校生だって、『ポリ・キュアー』のイベント、見たいんじゃ。

 心置きなく鑑賞するには、こうするしかないのだ。


「えっ? だめとは言ってませんよ」


 聖奈は柔和な笑みを浮かべて、俺の手をそっと取った。


「丘崎さんは高校生なんですから、小学生のフリをしてないと、こどもだらけの中じゃ恥ずかしいですよね」


 まさかの聖奈の答えに、俺はただ呆然とするしかなかった。


「だいじょうぶですよ。聖奈、丘崎さんのお母さんのフリしてあげますから!」


 流石に小学生どころか男児に見られるのは抵抗あるんだが……というツッコミ以上に、引っかかることがあった。

 聖奈が『母親』のフリをすると言い出すなんて。

 小学生として見てもらえないことを気に病んでいた聖奈としては、到底受け入れがたいことのはずなのに。


「だって、聖奈がお母さんっぽくしていた方が、丘崎さんはもっともっとここにまぎれこめるようになって、まわりを気にせずイベントを楽しめますもんね」


 他人のために自分を犠牲にするなんて、聖奈の成長は俺以上らしい。

 ……いや、たかが女児向けアニメのイベントのためにプライドを投げ捨てる俺は、果たして『成長』といえるのだろうか? 聖奈と比べることすらおこがましいんじゃないか?

 そんな悩みの迷宮にはまり込んでいるうちに、イベントが始まってしまった。

 イベントは当初の予想通り、雑にデフォルメされたキグルミのキュアーズが現れて、ちょっとした寸劇を見せてくれた。キグルミのデザインには注文をつけたかったけれど、キュアーズの声優さんはアニメ版と完全に同じで、いわばここでしか見られないオリジナル脚本による寸劇を見ることができたわけで、イベントそのものには大満足だった。



「イベント、よかったですね!」


 イベントの後に、フードコートで食事をしている時、聖奈が言った。


「まあ、子供だましだったけどな」

「でも、あの中で一番楽しそうなの、丘崎さんでしたよ?」

「……だってなぁ、腐ってもキュアーズの2人が出てくるイベントだしなぁ」


 キグルミは雑でも、声は本物だし。


「記念の写真もとってもらえばよかったですね」

「流石にあれはハードルが高すぎた」


 イベントが終了したあと、キュアーズのキグルミ2人に挟まれるかたちで一緒にスマホでパシャリとやれる素敵な時間が設けられていたのだが、鼻息荒いリアルちびっこを押しのけてまで参加する気にはなれなかった。

 それに、ちびっこを連れた多くの親が見ている前でノリノリでキグルミと写真を撮る高校生の図は、傍から見るとかなりハードコアな感じがした。小学生のフリをするにも、限界がある。


「聖奈はどうして撮らなかったんだ?」

「だって、丘崎さんをほうって聖奈だけとるわけには……」


 しまった。小学生に気を遣わせてしまっていたのか……。

 いくら見た目が小学生と大差なかろうが、精神年齢まで小学生と同じでは、恥ずかしいでは済まされないものがある。腐っても歳上だ。それなりのプライドはある。


「……俺が聖奈と同い年だったら、聖奈は今頃キュアーズの2人と収まった画像を見てニヤニヤできていただろうにな……」


 消えてしまった幸せな世界線を想像して、心が痛くなってしまう。


「あ、気にしないでください! 聖奈は丘崎さんと一緒にイベントを見れただけでまんぞくですから!」


 そうやってフォローされると、ますます気にしちゃうんだよなぁ。


「いいんだ、わかってるから。俺もファンのはしくれだ。撮影会だって堪能したかったよな?」

「それは……まあ」

「埋め合わせはするから、なんでも言ってくれ」

「なんでも?」

「……実現不可能な無茶振り以外ならな」

「………………」

「何か言え」


 聖奈め、いったい何を言うつもりなんだ?


「丘崎さんでもだいじょうぶそうか考えちゃってました」

「……とりあえず、言ってみろ」

「あのー、じゃあ」


 聖奈は恥ずかしそうにしながら。


「聖奈、丘崎さんと一緒の写真持ってなくて」

「……撮りたい、と?」

「そです」


 それだけのことで、聖奈はもじもじして、うつむいてしまう。


「まあ、それくらいなら」


 単に写真を撮るだけのことなのに、聖奈のせいで、俺まで照れくさくなってきた。


「じゃあ」


 おもむろにスマホを取り出しながら、俺のすぐ隣までニコニコ顔でやってくる聖奈。


「あっ、丘崎さん、もっと寄ってください」


 自撮りポジションでスマホを構えた途端、注文をつけてきた。


「寄れったってなぁ」


 聖奈はスマホをこちらに向けて、半身を寄せている。

 俺まで寄ったら、肩口とはいえ肉体接触を伴うことになる。

 いや、相手は聖奈だぞ。小学生だ。意識しすぎてテレテレになる方が恥ずかしい。


「まあ約束しちゃったもんな」


 ぶっきらぼうに言うフリをして内心ドキドキだった俺は、聖奈が掲げるスマホを見つめたまま体の位置を変えようとする。

 俺としては、肩が接触しちゃうかな、くらいの感覚だったのだが。

 俺が寄ると同時に、聖奈もこちらに急接近してきたので、肩どころか頬が接触するかたちになった。

 ……ていうか、頬同士がくっついたにしては妙に柔らかいような。

 まるで、頬ではなく唇を寄せた感じで……。

 などと不思議に思った一瞬のうちに、シャッター音が鳴り、聖奈は俺から体を離したので、いったいどんな構図になっていたのか確認することができなかった。


「……あわわ、まさかこんなにうまく証拠をとれてしまうとは」

「証拠?」

「こっちの話ですよ?」

「お前、真っ赤だけど……」

「なんでもないですから!」

「まあ、いいや。どんな仕上がりなんだ?」


 せっかくだし、俺も見たい。


「アー、サッキノ、チョットシッパイナンデ、モウ1マイトリマショ」

「なんか片言じゃね?」


 その上聖奈は、撮ったばかりの写真を見せてくれなかった。


「気のせいです! ささ、とってしまいましょう!」


 聖奈は、並の男子なら太刀打ちできない怪力で俺を椅子から引っこ抜くと、長い脚の間に俺を収め、左腕でシートベルトの如く固定し、そのまま空いた右手で撮影まで持ち込んだ。

 一瞬のことに、俺はただただ、されるがままだった。

 写真の仕上がりを目にすると、俺はまるで聖奈お気に入りのクマのぬいぐるみのようになっていて、あと1年でエロコンテンツへのアクセス権限を公に得られる年齢になるようにはとても見えなかった。


「撮り直さね?」

「えっ? かわいいじゃないですか?」

「かわいい、じゃ嫌なんだよな。もっとさー、歳上っぽさってのを、俺、出したいワケ」


 写真は残るからさぁ。慎重にならないといけないんだよなぁ。


「じゃ、こうしましょう」


 聖奈はまたも許可なく俺の体を持ち上げる。……ていうか、体格差があるからってポンポン軽々しく持ち上げるなよな。文字情報だけだと俺の体がアザラシのゴ◯ちゃん程度しかないと誤解されるでしょうが。これでも160センチあるんだからな。ホントにホントだぞ!

 まあ、その結果どうなったかというと、だ。

 今度は、椅子に座った俺の脚の間に、聖奈が座っていた。

 綺麗なハート型の聖奈の尻が、脚を開いたことで無防備になった俺の股に食いつかんばかりに密着している。

 ほんのりと熱を持った背中が、俺の体の前面と同化していた。

 その上、サラサラな長い黒髪から漂う甘い香りが、暴力的に鼻孔を襲ってくる。

 美少女の椅子と化した俺は思った。

 人間椅子……最高じゃねえか!

 絶対口外はしないけど……!


「丘崎さん、撮りますよー」


 完全に背もたれとして認識しているかのごとく、俺にガッツリ背中を預けながら、聖奈は自撮りをした。

 お前、変なところでやたらと大胆だよな……。

 俺は、写真の出来なんかもうどうでもよくて、ひたすら聖奈の感触をリフレインする機械ことSSマシンスーパー・スケベ・マシンと化すのだった。



「またこんなイベントがあったら、いつでも付き合ってあげますね」


 最寄りの駅へ向かう途中に、慈しみ溢れる笑みを浮かべて、聖奈は言った。

 ついさっきの光景が未だ記憶に新しい俺は、ついつい、ぜひ、と答えそうになってしまうのだが。


「いや、そもそも聖奈が誘ってきたんだぞ? 俺はあくまで付添いだ」


 ちょっとだけ意地を張ってしまった。


「じゃあ今度は、丘崎さんが誘ってくださいよ~」

「他に『ポリ・キュアー』のイベント、なんかあったかな」

「『ポリ・キュアー』関係なくたっていいんですよ?」


 ニヤニヤして、聖奈が俺との距離を一歩分詰めてきた。


「この前みたいに、デートでもなんでも」

「あー、あれな」


 そんなこともあったね忘れかけてたけど、みたいなノリで答えた俺だが、内心では動揺すること頻りだった。

 またあんな状況になったら俺、どうなるかわからないぞ……。

 勢い余って聖奈に告白してしまうことだって、ないとは言い切れない。


「まあ、そのうち……」

「なんですか、気のない感じですけど、なんならこれからだって聖奈はぜんぜんいいんですよ?」

「門限あるだろ」

「あ……そうでした」


 門限なんて知るかい、親の決めたことがなんぼのもんじゃ! なんてメンタリティじゃないのが小学生らしいところだよな。おかげで俺は助かったけれど。


「機会はいつでもあるから」


 想像より気落ちして見えた聖奈のために、俺は言った。


「ですね! 聖奈と丘崎さんのラブラブロードはこれからです!」

「来週には跡形もなく終わってそうな物言いだな」


 しょぼんとしてしまった聖奈を立ち直らせるために、予定より遅れてホームに到着した電車に乗り込むまでの時間を全部費やすことになるのだった。

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