第32話 消える思い込み
このデートは、単に聖奈を接待して機嫌取りするだけで終わるわけにはいかない。
俺は聖奈に対して、ぐだぐだ引き伸ばしていた態度を、ここで決めないといけないのだから。
実を言えば、聖奈にどう応えるか、まだ決めていない。
聖奈の反応を想像すると、どうしても決心が鈍くなってしまう。
それでも……葉月に背中を押されてこの場にいる以上、もう逃げの一手は許されない。
そう、逃げることは許されないのだ。
「丘崎さん、もういいですよ。お金なくなっちゃいますよ」
聖奈は、俺の袖をくいくい引っ張るのだが。
「まだだ……! あと少しで取れそうなんだ……!」
困難が待ち受けていようと立ち向かうと決めた俺は……クレーンゲームの前に張り付いて、投入口に連コインをしていた。
「聖奈のために取ってやるって、約束しちゃったからな……!」
立ち寄った複合型アミューズメントパークにて、クレーンゲームの前を通りかかったとき、聖奈が食いついたのだ。アクリル板の向こうには、アホそうなクマのキャラクターが悪魔の格好をした『でーモン子熊』のプライズが、のんきにごろごろ転がっている。
クレーンに引っかかりやすそうなかたちをしていたから、軽い気持ちで始めたのだが、もう消費した硬貨は二桁に達していた。
まったく手応えがないわけじゃなくて、本当にあと少しで取れそうだった。何度もトライした結果、落とし口の近くに『でーモン子熊』がいるのだから。
「丘崎さん、もう十分なんですよ」
もう一枚! とばかりにコインを投入しようとした俺の手を止めて、聖奈はにっこりとして言った。
「丘崎さんはとんでもないものをキャッチャーしちゃいました」
そんなフレーズを耳にして、嫌な予感がした。
「もういい、やめろ」
「聖奈の心です」
「やめろと言ったのに……」
例の犬の話といい、もはや本編を見たことがなくても見たことがあるような気にさせる、手垢満載のパロディなんて邪道だ。
とはいえ、聖奈の言う通り、ここで止めた方がいいのは確かだ。所持金を使い果たすわけにもいかないのだから。
流石に小学生に金を出させるわけにもいかないから、このデートの費用は全部俺持ちだ。もちろん聖奈は当初、自分も出す、と言って聞かなかったのだが、そんなことをされたら俺の人類としての沽券に関わるので、どうにか納得してもらった。
「次で最後、これで終わりだから。次で取る」
俺は泣きの一回を聖奈に提案する。
「しかたない丘崎さんですね」
呆れるように言うわりには、聖奈は嫌そうな顔をしていなかった。意固地な俺に対する暖かな視線を感じる。
これはもう失敗できない流れ。
俺はこれまで以上に慎重に、クレーンの操作に集中していた。
そんな時だ。
「あっ」
聖奈が何かを見つけたような声を出した。
「あっ」
同じようなトーンの声が反響する。
一体何が? と疑問に思ってしまった俺は、クレーン操作に集中することができず、ついつい聖奈の方を振り向いてしまった。
棒立ちしている聖奈は、三人の女子小学生グループと向かい合っていた。
おそらく、聖奈のクラスメイトだろう。小学生の交友関係で、お互い顔見知りだとすれば、クラスメイトを置いて他にはないだろうし。
気まずそうな空気が流れている。
以前聖奈は、小学校の教室にいるには大人びて見えすぎる容姿のせいで、クラスに馴染めていないようなことを言っていた。親しくない相手と、こんな場所でばったり出くわせば、気まずくもなるだろう。
原因はもう一つある。
俺の存在だ。
聖奈一人だったら、偶然クラスメイトと鉢合わせたところで特に問題もなかっただろうが、間の悪いことに、デートモードの聖奈は今、俺の服の裾をちょこんとつまんでいた。
俺という異物と一緒にいるところを見られたら、たとえ人間関係が良好な相手だろうと「あれ?」と思うことだろう。
お互い沈黙している。
このまま、見て見ぬ振りして終わる雰囲気だったが。
「……富士田さん、その人……だれ?」
グループの中で、さすがに聖奈ほどじゃないが大人びた印象のある一人が、俺を指して言った。
「この人は……丘崎さんです」
聖奈も同じようにぎこちなく返事をする。それ、質問の答えになってる?
すると、女子のグループは俺に向かって、「ドモ、オカザキサン……」と、ミスター・ロボット感満載でぎこちなく頭を下げてきた。
俺は初対面の聖奈から小学6年生だと思われていたのだが、それは聖奈が特殊だからで、リアル小学生からは俺みたいな見た目のヤツでもちゃんと年上に見えるようだ。
小学生組のやりとりを見て、俺は思った。
聖奈本人は、クラスに馴染めていないと感じているようだけれど、クラスメイトから迫害されているわけでもないようだ。
おそらく、クラスメイトは、単に聖奈と言う小学生離れした存在と、どう接すればいいのかわからないだけなのだろう。
本当はきっと、仲良くしたいのだ。
そうなのだとしたら、俺のせいで聖奈がクラスに馴染むチャンスをゼロにするわけにはいかない。
クレーンゲームと勝負するターンは終わりだ。もう泣きの一回も終わってしまったし。
「こんにちは、
爽やかな笑みに、柔らかい声を意識して、俺は精一杯大人ぶった。
男子校通いで、あまり女子慣れしていない俺でも、小学生女子が相手なら多少は余裕のある態度を取ることができた。
「あ、そうです」
女子小学生三人は、互いに出方をうかがいながら、声を揃えた。
「あの、富士田さんとはいったいどういう……」
それまで聖奈と主にやり取りをしていた真ん中の子がそう言うと、向かって右サイドのメガネの子がツッコミを入れるみたいにパシンと手のひらを肩に当てた。
「……決まってるでしょ。富士田さんのカレシだよ」
「……やっぱり! クールビューティー富士田さんにカレシがいないなんてヘンだと思ったもん!」
左サイドにいる、賑やかそうなツインテールの子が言った。
ひそひそ声だけれど、俺には聞こえた。
で、思ったんだけど。
「なあ聖奈」
「あばば、なんです?」
聖奈は、予期せぬところでクラスメイトと出くわしたせいか、混乱していた。
どうも聖奈には、クラスメイトの声は聞く余裕はないようだ。
俺からすれば、これのどこが『クールビューティー』なんだよ、って話なのだが。
「……もしかしてお前、クラスメイトから羨望の眼差しを受けてるんじゃない?」
俺は聖奈に耳打ちをした。
「せんぼー?」
「憧れられてるってことだよ」
「そ、そんなはずがありません……!」
「いや、あるよ。あの子たち、憧れのアイドルかなんかを見る目してるし」
「え、え~?」
聖奈は半信半疑な顔で、そろ~りとクラスメイツを見る。
三人組たちは無言のまま、聖奈の出方をうかがっていた。
しばしの間、判定決着の塩試合にもつれ込みそうな硬直状態が続いたのだが。
突如聖奈は、すっ、と歩み出る。
まるでドン・フライと打ち合う覚悟を決めた高山のごとき勇気ある一歩に見えた。
「……サイン、いる?」
俺は、コケそうになった。
お前は何者なんだよ。
いくら憧れていようが、素人のサインなんかいらんだろ。
「あっ、いります」
「ぜひ」
「ほしいほしい」
聖奈に群がる三人組は、どうやらガチで聖奈のサインを欲しているようで、瞳を輝かせて寄ってきた。
残念ながら俺も聖奈も紙とペンを持ち歩く習慣なんてない。
聖奈とクラスメイツは、同じフロアにあるプリクラコーナーに入っていった。後で見せてもらったのだが、四人が写ったプリクラに、ラクガキ機能で聖奈の名前が入れてあった。邪魔じゃね? ってくらいに。
「思わぬ高評価です」
クラスメイツと別れて一人で戻ってきた聖奈はほくほく顔で満足そうだった。
ともかく、聖奈にとっていい結果になったのなら、それでいい。
「明日から学校行くの、楽しみになったな」
「そうかもしれません」
聖奈は、撮ってきたばかりのプリクラをスマホにぺたりと貼り付けた。
「丘崎さんのおかげです」
「俺は何もしてないだろ」
「丘崎さんが背中を押してくれたからですよ」
「そうなの?」
「聖奈だけだったら、逃げちゃってたかもしれません」
そんなもんかね。
何もしていないような気もするけどな。
それでも、聖奈の顔つきは、これまで見たことのないような、晴れやかなものに見えた気がした。
クラスメイトと交流できたことに、手応えがあるからかもしれない。
まあ聖奈が満足しているのなら、なんだっていい。
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