第29話 葉月の決断
俺はバックヤードまで連れて行かれたものの、葉月や聖奈と一緒に休憩室に入ることはできなかった。
『女の子同士で話したいことがあるから!』と、葉月に追い出されてしまったのだ。
そんなわけで、扉の外で待ちぼうけを食らっている。
葉月のおかげで一旦混乱は収まったとはいえ、問題は何も解決していない。
通路の壁に寄りかかって待っていると、休憩室の扉が開いて、葉月が姿を見せた。
「……聖奈は?」
後手で扉を締める葉月の表情に穏やかさはなかった。まだ怒っているのかもしれない。
「寝てるよ。泣きつかれちゃったんでしょ」
泣きつかれて眠るとか、まるで赤ちゃんだな……。
「寝てるったって、あの部屋、ベッドなんてなかっただろ? ……まさか床に?」
「放置するわけないでしょ。パイプ椅子くっつけたら寝るところくらいできるよ。部屋の椅子全部使うことになっちゃったけど」
あの部屋、パイプ椅子四脚くらいしかなかったもんな。
葉月が俺をじっと見ている。
何か言いたいことがあるのだろう。
無言の時間が続いた。
「……葉月、俺はお前を誤解していた」
たまらず俺の方が先に口を開く。
「てっきり煽るだけ煽って聖奈に嫌がらせをしようと企んでいるのかと思ったら、ちゃんと聖奈のことも考えてたんだな。俺じゃなくて、聖奈の味方をして。たぶんだけど、聖奈だって心強かったんじゃないのかな。敵だと思っていたお前が味方してくれたんだから」
そんな熱い展開、正義と愛のために戦う『ポリ・キュアー』の世界にしか存在しない奇跡だろ。敵キャラことシンコペーション伯爵役が俺なのが気になるところだけれど。
「あー、レーちゃんはそう思っちゃうんだ」
「なんだ、駄目なのか? お前を心の中で『キュアー・アスミ』って呼んじゃうくらい、優しいヤツだなって見直したんだけど……」
葉月が、うわーマジかよ、みたいな顔をしているのが気になった。
なんだよ、俺の『ポリ・キュアー』好きを気持ち悪がってるのか? 今更だろ。
「……ちょっとこっち来て」
葉月に導かれて、休憩室の向かいにある事務所に足を踏み入れる。
この店唯一の男である店長が根城にしているからか、殺風景で彩りにの少ない灰色一色の狭い部屋で、目立つものと言えば隅のデスクに置かれた型落ちのノートパソコンくらいなものだった。
「違うんだよ。やさしくなんかないんだよ」
お互い向かい合うようにパイプ椅子に腰掛けている中、葉月は腕を組んで難しそうな顔をする。
「あの子がわんわんガチ泣きしてるのを見て……私だったら、レーちゃんに振られたとしても、そこまでならないだろうなって思って……負けた気がしたの。かなわないなーって」
つまり、葉月は自分の敗北を受け入れることで、かえって敵に塩を送る余裕ができたということか?
「……聖奈は小学生だ。高校生が同じことやれったって無理だろ」
高校生にもなれば、ある程度感情を抑え込むようになる。聖奈みたいに、思い切り感情を爆発させられるような機会もそうそうなくなる。
「それだけじゃないんだ」
葉月は言った。
「やっぱり私、単にレーちゃんを便利に使いたかっただけなのかもしれないんだよ」
「まあそれはその通りだろ……」
まさかこいつ、自覚がなかったって言うのか?
「軽く言ってくれるよねー」
うぅ~ん、と悩ましげな奇声を上げて、葉月は頭を抱える。
「レーちゃんに好きって言ったのはいい加減な気持ちじゃないんだよ。学校でのけものな私からすれば、毎朝電車でレーちゃんに会うことだけが楽しみで生きてきたんだから。あの時間がなかったら今頃死んでるよ。お風呂場で血だらけに決まってる」
決まってないよ。だから切るなよ。死ぬなよ……。
「たぶん、ていうか絶対、レーちゃんなら私のこと彼女として見てくれなかったとしても、なんだかんだで私に構ってくれちゃうと思うんだよね。あの子から睨まれたり嫉妬されるのがわかっても、優しくしてくれそうなイメージがあるわけ」
高く評価し過ぎじゃない? とは思うのだが、言えなかった。
「私としては、それだけで十分な気がする。……ぼっちすぎて幸せのハードル低くなってるせいかもだけど、うんうんうなって想像しても、そうなってもあんまり悪い気はしないんだ。――だから、そういう余裕があるから、全力で泣いちゃうこともないのかなって……あの子とは違うよ。私はこうしてフツーにしていられるわけだし」
どうやら葉月は、たとえ俺が聖奈の側になびいたとしても、死まで考えるほど落ち込むことはないらしい。
葉月の気持ちが落ち着いているのであれば、俺だって異論はなかった。貴重な友達として、葉月には生きていてほしいしな。死を交渉の材料にしてほしくもないし。
「だから、レーちゃん」
葉月はまっすぐこちらを見てくる。
「あの子の納得行くようにしてあげて」
「それはつまり、聖奈と本当に付き合えと?」
「それだと私がすっごい人間できてるみたいになってるじゃん」
葉月は不服そうに口をとがらせた。
違うのか。
「デートでもなんでも、あの子の納得行くようにして、そこであの子を上手いこと諦めさせて……って、そう言ってるだけ」
そう言った葉月は、もう俺には視線を合わせてくれなくて、スカートの裾をぎゅっと握りしめていた。
葉月の提案に、反論する気はなかった。
それはいずれ、俺自身の判断でやらないといけないことだったから。
今後聖奈とどう付き合っていくのか、逃げることなく決断しないといけない時が来たというだけのこと。
「私は順番待ちで、あの子の後ろに並んでもいいよって言ってるだけだから。レーちゃんが誰かのものになっちゃうのは、やっぱりやだ。ていうかこんなこと言うのもやだし……」
スカートを握りしめた手だけではなく、声にも震えが混じっていた。
これ以上、葉月に負担をかけるわけにはいかない。
「わかった。俺は、聖奈とじっくり向き合って、ちゃんと考えることにする」
葉月はうつむいたまま、顔を上げてくれなかったけれど、俺の言葉に、うん、と首を縦に振ってくれた。
葉月のことを、恋愛的な意味で好きなのかどうか、自分自身でもまだわかっていなかった。
それでも、どんな理由であれ俺のことを好きでいてくれるらしいのに、自分以上に想いが本気なのかもしれないと認めた相手に機会を譲ったことを、一人の人間として好ましく思えたのは確かなことだった。
まあ、葉月が、通っている学校のわけのわからない風習に感化されていなければ、俺はここですんなり好きだと思えていたのかもしれないけれど。
「……レーちゃんが、ここまで来てヘタレなくてよかった」
本当にな、と自分でも思ってしまうくらいのことを告げた葉月は、パイプ椅子から立ち上がって俺に背中を向ける。
「じゃあ、あの子を連れて行ってね。私、まだ仕事あるから」
「ああ」
後押ししてくれた葉月のためにも、どうにかしないといけないな。
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