第24話 えっ? 聖奈ちゃんが妊娠!? でもそれは――

 厄介なことになった。

 聖奈は、『バンジャマン』行きに乗り気になっていた。

 一日でも早く、葉月に会いたいのだと言う。

 最悪のタイミングだった。

 葉月の変態性に恐れをなし、『バンジャマン』から逃げ帰ったあと、葉月から大量の着信や通知があったのだが、解決できる気のしない俺はすべて無視を決め込んでいた。通学の電車に乗り合わせないように、あえて乗車時間をずらしてまで葉月を避けてもいた。

 逃げているわけじゃない。

 ほとぼりが冷めないことには、話が通じないだろうから。

 このタイミングで、変態性全開の葉月を聖奈と引き合わせたくなかった。

 聖奈に悪影響だし……。

 俺としても都合が悪い。

 以前よりずっと、葉月は俺への依存を強めてしまった。

 きっと葉月は、俺を好きなわけではないのだ。

 俺を出世のために利用しようとしているだけだからな。

 葉月に対してちょっとした下心があったことは否定しないけれど、こうなったら以前のように美少女と交流できて嬉しいなんて無邪気な気持ちではいられない。

 俺の気持ちは、聖奈の側に傾きつつ合った。

 もちろん、恋愛的な意味で聖奈を好きなわけではないが……葉月よりも聖奈の方がまだ共感できる部分がある。葉月はもはや俺にとってモンスターも同然である。


「――丘崎さん、聞いてますか?」


 考え事を中断するような、聖奈の声が聞こえた。


「ああ、聞いてる聞いてる。でもモンスターっていっても、まだどうしても悪いやつには思えなくて更生の道を探っちゃうのも俺がいいヤツってことだよな」


 聖奈は、何の話をしているんですか? と首を傾げる。


「やっぱり聞いてないんじゃないですか。すごく考え事してますって顔してましたもんね」


 聖奈は頬を膨らませてながらも、タピオカミルクティーにささったストローに口を付けた。

 例の公園に代わる場所第一候補である『バンジャマン』が使えないため、代わりにいつものようにショッピングモールのフードコートで、俺は聖奈と顔を突き合わせていた。


「……まさか聖奈と一緒にいるのに他の女の人のこと考えてたんじゃ……」

「だから瞳を暗黒にするのやめろ。『ポリ・キュアー』になるような女の子はそんな闇堕ちした顔しないぞ。もっと夢と希望にあふれた目をしろ」

「ち、ちがいます。聖奈のこの瞳は真実が映っちゃう鏡なんです! だからよけいなものが映らないように、光のない真っ黒い目になっちゃうんです!」


 俺は聖奈に対する対抗策を一つ手にしていた。

 そんなこと言ってると『ポリ・キュアー』みたいになれないよ? と脅すことで、聖奈の勢いを削ぐことができる。いい子にしてないとサンタさん来ないよ? と脅して子供に言うことを聞かせようとする親のごとく。この対抗策がある時点で、聖奈は葉月よりはいくらか与し易い存在になっていた。


「丘崎さんも聖奈の瞳をじっくり見てください。丘崎さんがウソを言ってないなら、キレイなままの顔が映るはずです!」


 そう言って、聖奈は身を乗り出して瞳を覗き込ませようとする。

 こうなった時の聖奈は面倒なので、俺は素直に従った。大した手間でもないしな。

 聖奈の瞳は澄んだ黒。俺の姿はばっちり映っていた。ウソを言っていない俺の顔が綺麗かどうかは置いておいて、聖奈の瞳は吸い込まれて溺れそうなくらい惹き込まれるものがあった。


「だ、ダメです丘崎さん! まだ聖奈たちは結婚前なんですから!」

「痛っ」


 一人で盛り上がり始めた聖奈に突き飛ばされてしまう。


「しろって言ったりダメって言ったり注文の多いヤツだなぁ」


 聖奈は椅子の背もたれに背中がつく位置まで戻り、両目を手のひらで覆い隠す。


「まさか丘崎さんも『真実の瞳』の持ち主だったなんて! 聖奈は丘崎さんの前で好きって気持ちを隠すことはないので丘崎さんの目にはとってもキレイな聖奈の顔が映ってました。思わず自分で自分に恋しそうになってしまったほどです!」

「自己評価高いこと言ったな」


 まあ巨人だなんだと自虐しているよりも、それくらい調子に乗っていてくれる方がいい。


「でも、俺から見ると聖奈はいつでもそんな感じだからな?」

「そんなはずがありません。きっと顔だけ映ってるからです。全身が映ったら、いつもみたいに奇行種の登場です」


「自虐してるっぽいけど、顔がいいのは否定しないんだな」

「んんー!」


 照れ隠しなのか、頬を膨らませて立ち上がった聖奈からグーパンチでポカポカやられてしまう。聖奈からすればちょっとした戯れのつもりなのだろうが、俺からすれば生きるか死ぬかの瀬戸際だ。なにこのレンガを振り下ろしてるみたいな重さのパンチ。……ヘイ、ダナ! いいファイターがここにいるぜ! 紹介してやるよ、俺が生きていられたらの話な。

 まあ自己評価が高いのはいいことだ。

 せっかくなので、聖奈をもっと調子に乗らせることにした。

 聖奈が見た目の良さを自覚し、学校でもいい方向に調子に乗ることができれば、すぐにでも人気者になれるだろうから。

 そうすれば、俺みたいな高校生にこだわることもなくなる。


「いいから、もう一回見てみろ。巨人なんか映るはずないから」

「で、では……」


 聖奈は再度身を乗り出して、チャレンジしてくる。俺は某マダオ司令のように手を組んで待つ。バカップルがはしゃいでいると思われているのか、周囲からひやかし混じりの視線を浴びてしまうのだが、構うものか。


「これは……」


 聖奈は、腰が抜けたみたいにストンと椅子に腰を下ろしてしまう。

 頬を赤く、とろーりと溶けそうな顔をしていた。

 その上腹部を手のひらでさすっている。


「聖奈、丘崎さんのせいでお腹に丘崎さんの赤ちゃんができてしまったかもしれません。お腹がへんな感じがするんですけど、これはそういうことですよね?」

「俺に聞いてほしくないしこの場で答えたくないけどあえて言うならこうだ、『勘違いだと思うよ』」


「で、でも本当なんです! なにかがいるって感じが……生命の鼓動がするんですっ」

「トイレなら行って来い。待っててやるから」


「聖奈はトイレになんて行きません!」

「大昔のアイドルか」

「だってキュアーズのみんなはトイレなんか行かないですし!」


 そりゃまっとうなエンタメ作品が排泄シーンの描写なんかするかよ。


「……でも、いちおう行っておきます。トイレじゃないですよ、手を洗いに行くだけです」


 聖奈は機敏な動作で立ち上がり、さっさとトイレがある方向へ向かっていった。

 ……興奮を鎮めるためかミルクティーを一気飲みしていたから、大腸がびっくりしてしまったのかもな。

 平日の夕方ということもあり、学生服姿の連中が目立つフードコート内。彼らの制服は俺が通っている男子校のものではないので、聖奈と一緒にいるのを見られても安心だ。うちの学校の連中は部活で忙しいからこんなところで遊んでいるヒマはないのさ。

 のんびりと聖奈を待っていると。


「……おまたせしました」


 戻ってきた聖奈は、俺の正面ではなくすぐ隣に腰掛けた。


「残念ながら、丘崎さんの子じゃなかったです」


 聖奈は確かに残念そうな口ぶりではあったが、表情はどこか晴れやかだった。

 出すモノ出したら、そりゃあスッキリもするだろうよ。


「で、なんでわざわざ隣に?」

「期待していたモノが違うとわかると、かえってほしくなっちゃうんです」


 聖奈が俺の腕に絡みついてくる。こいつ、体をくっつけていれば子供ができると思い込んでいるんだ。大枠で言えば間違っちゃいないんだけどな。正解を教えるようなことはしない。どうせ具体的に教えたって聖奈からすればアクロバティックな芸当すぎて理解不能だろうから。

 よほど勇気を振り絞った行動だったのか、聖奈は全身を緊張で熱くしていた。

 なんて思うのだが、上昇している体温が聖奈のものと確信できない。

 相変わらず俺の脳みそはいい加減らしく、聖奈が小学生だとわかっているはずなのに大人としてカウントしてしまうようだった。

 これ、しばらく立ち上がらない方がいいな……。


「……お前が高校生だったらなぁ」


 ポロッと漏れてしまったつぶやきは、もしかしたら俺の本音なのかもしれない。


「丘崎さんは、聖奈が高校生だった方がよかったんですか?」


 聖奈は俺のつぶやきをバッチリ聞いていた。隣にいるから聞こえてしまうのは仕方がない。


「そりゃあ、まあ。まさか今更、『実は高校生でしたっ!』なんて言うつもりか?」


 それはそれで、余裕で信じるけどな。


「でもそうですよね、丘崎さんと高校生やってたら放課後だけじゃなくていつでも一緒にいられるわけですし……」


 微妙に俺の話を聞いていないらしい聖奈が一人でブツブツ言う。もちろん、隣にいるからその独り言は俺に聞こえていた。


「前にも言ったかもだけど、俺の学校は男子校だからどちらにせよ聖奈と一緒に通うのは無理だけどな」

「そうだ、逆に丘崎さんが小学生になるのはどうでしょう?」


 名案を思いつきました! とばかりに瞳をキラキラさせて俺に抱きついてくるのだが。


「制服を用意しなくてもいいですし、丘崎さんなら顔パスです!」


 俺が小学校に通い直すだって?


「俺は小学生じゃない」


 もちろん俺のプライドが許さない。

 平気で俺の名誉や尊厳を踏みにじってくる聖奈の無神経。許せねえ。許してはならない。


「俺は小学生じゃ……ないっ」


 聖奈の抱きつき攻撃に屈することなく、胸の前で腕を組み、天を睨めつけ、聖奈と一切視線を合わせない意固地な態度を取る俺。

 人には、言っていいことと悪いことがあると、俺の態度を見て学ぶがいい……!


「小学生でも高校生でも、聖奈はどっちの丘崎さんでも好きですよ?」


 口ぶりはのんききわまりなく、俺の怒りは聖奈にまったく伝わっていないようだった。

 あろうことか、聖奈は椅子からぶっこ抜くように俺を抱き上げると、両脚の間で挟み込むように収めた。抵抗する間もない。

 目立つ胸以外は細めの体をしているのに、一体どこにこんなパワーが眠っているんだか……。

 自ら人間椅子となった聖奈。そのフィット感は抜群で、中でも後頭部に近い位置に当たるクッションは、どんな高額な椅子でも決して再現できそうにない極上の心地よさがあった。聖奈本来の体臭であろう緊張を奪うような甘い匂いのおまけ付きだ。

 この快適さを他のモノで無理矢理例えるとしたら……それはコタツだ。駄目だ。もう一生自力で抜け出られる気がしない。しかも眠くなってきた……。聖奈の『沼』にハマってしまう。


「あれ? 丘崎さん、おネムですか?」


 もう小学生通り越して赤ちゃんになってんじゃねーか、とツッコむ余裕もないくらいだ。


「うふふ、まさか丘崎さんが赤ちゃんになってくれるなんて」


 聖奈は、わしゃわしゃと俺の頭をなでる。


「じゃあ丘崎さんがよく寝られるように」


 聖奈が鼻歌で奏でる旋律は子守唄のようでいて、よく聞くと葬送行進曲だった。


 俺を黄泉へ送るのはやめろ……。

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