第23話 ちょっと変態成分入りますよ

 その翌日。

 俺は、放課後、『バンジャマン』に立ち寄っていた。

 今日は俺一人だけだ。

 聖奈の時と同じように、葉月の態度も軟化させるつもりだった。

 葉月は、これまで辛い思いをしたせいか、ちょっとしたことで死にたくなっちゃう困ったちゃんだってことが判明してしまったからな。今のままじゃマズい。

 俺が最優先しているのは、あくまで身の安全の確保だが、数少ない知り合いとして、聖奈と葉月には幸せになってもらいたかった。

 そのためにも、聖奈と葉月を仲良しにしなければ。


「いらっしゃいませ~」


 出入り口の木製扉を開けると同時にチリンチリンとベルが鳴り、軽やかな足取りと明るい声を出してウエイトレスがやってきた。


「れ、レーちゃん!?」


 接客にやってきた葉月は、丸いトレイを胸に抱えて恥ずかしそうに顔を赤くしていて、とてもわざとらしく驚いていた。


 妙だぞ。


「ど、どうして私がここで働いてるってわかったの? もしかしてレーちゃんは運命に導かれるようにして私がバイトしてるここへ引き寄せられちゃったっていうの……?」

「……いや、ちょい前に一度来てるんだから知っていてあたりまえだろ」


 盛り上がってるとこ悪いんだけどさ。


「んもう! レーちゃんもノッてきてよね! 前は変な子にジャマされてそういう雰囲気になれなかったから初めてレーちゃんがここに来た設定にして負の歴史をアップデートしようとしたのに!」


 案の定葉月は聖奈を敵視していた。

 葉月の背後では、店長を始めとする従業員一同(女子ばかり)がいて、葉月に向かって意味ありげな笑みを浮かべたり、キャーと黄色い歓声を上げたりしていた。

 妙だな。

 聖奈による『こどもつくる行為』発言のせいで完全敗北な状態になった葉月の姿を、ここで働くみんなが目にしているはず。『この幸せ者め~』みたいなピースフルなひやかしの視線を送る理由なんてないはずなのに……。


「……とりあえず席に案内してくれるか?」

「はーい、1名様、ごあんな~い!」


 案内するのはいいのだが、どういうわけか葉月は俺の片腕に組み付いて席へと向かっていく。この店、店員と濃厚接触できるいかがわしいサービスなんかあったっけ?

 疑問を持ちながらも席にたどり着く。


「そして2名様限定カップルシートでーすっ!」


 葉月は、俺の隣に腰掛けて、露骨に体をくっつけてきた。

 そして再び、店内から黄色い歓声が巻き起こる。

 わざとらしくてシットコムのSEみてえ。『フ◯ハウス』の収録中かよ。

 ちなみにこの店、中々に繁盛しているようで、ほぼ満席だった。

 大事なお客の対応を放棄してダメバイト葉月に興味津々になるとは、この店の接客はどうなってるんだ?

 中でも一番どうなってるんだ? な存在は隣の葉月である。


「お前なんで座ってんの? 堂々と仕事サボるなよ……」

「いーんだよ。みんなとはそういう約束してるから!」


 葉月がウエイトレス集団に向かって手を降ると、にっこりとした顔で手を振り返したり、親指を立てて『やったな!』って顔を向けたりしてくる。どうも葉月の言う通り、話がついているようだ。


「んん? なーんかレーちゃん不思議そうにしてるね?」


 悪巧みでも考えているみたいな顔をしている葉月は、胸が俺の肩にくっつきそうになるくらい身を乗り出して、俺の頬をツンツンと突っつく。距離近っ! なんでこいつこんな距離近いの? なんて思ったら、そういやこいつ、俺を恋人だと思い込んでいるのだった。


「実はね、店長を含めてここで働いてる人みーんな、私とレーちゃんが付き合ってるの知ってるんだ」


 衝撃の初耳。

 なんでそんな超スピードでウソがパンデミックしてるんだ? 葉月に対して『好き』だと言わざるを得なかった事件から、まだ一日二日程度しか経っていないのに。


「誰だ、そんな話を広めたのは!」

「私です!」

「てめえ……」


 間違いなく面倒事になる道を選択しやがって。


「えー? でも幸せなことはみんなにおすそ分けしてあげた方がいいでしょ?」

「誰も喜ばないノロケだよ、それは」


 ここの従業員もよく怒らなかったな。


「レーちゃん、すごいんだよ!」


 葉月はソファの座席にぴょんと飛び乗り、正座の姿勢になる。


「あのね、レーちゃんと両思いの恋人同士になってからね、世界が変わって見えるの!」

「あぁ……?」


 胸の底がムズムズする。

 瞳をキラッキラに眩しく輝かせる葉月は、幸せそうなのに闇を感じる迫力で迫ってくる。


「レーちゃんのことを想うたびにね、細胞が一つずつ生まれ変わっていくみたいな爽快な気分になれるの! もう全身の毛穴が開いて、体全体で呼吸してるみたいな感じ!」


 両頬に手を当てて、デンプシーロールよろしく体をひねってくねくねする葉月。鼻息も息遣いもとにかく荒かった。

 バッキバキにキマってるみたいなこと言ってるけど、大丈夫なのかな、この子……。この店、コーヒーが自慢のカフェらしいけど、オランダ的な意味のコーヒーショップだったりしない?


「レーちゃんだってそんな感じがしてるんでしょ?」

「いや俺鈍感で有名だから……」


「そんなことないはずだよ。今だって私、レーちゃんの目の前にいるだけで蒸発しちゃいそうになってるんだから!」

「落ち着け。個体のままでいろ」


「んもう! レーちゃんだってホントはそう思ってくれてるくせに我慢しすぎなの!」


 あろうことか、葉月は俺と向かい合う状態で膝の上にまたがってきた。店の中でなんてことしやがるんだ、店員のみなさんにつまみ出されるぞ。

 助けを求める気分で周囲を見渡すのだが、ウエイトレスもお客も、誰も俺たちに触れようとはしなかった。あまりにも暖かく見守られているせいで逆に怖くなってきた。


「私はぜんぜん我慢する気ないからね。レーちゃんと付き合ってることを、全世界に自慢したいくらいだし」


 葉月は、俺の首筋を片手で掴んで支えにすると、くるりと体を半回転させて『く』の字になり、空いた片手を天に掲げた。ポールダンサーに使われる棒の気分だ。


「幸せなことをみんなに発信すればみんなも幸せな気持ちになるし、みんなが幸せって知った私はもっと幸せな気持ちになれるんだ。『ハッピースパイラル』って名付けた。いいでしょ?」


 俺は絶句していた。

 こいつ、脳みそが寿退社しやがった。

 死へ向かって一直線に気持ちが落ち込むよりはマシかもしれないが……面倒臭い状態になったものである。


「今の私たちはね、幸せオーラを出しちゃう源泉なんだよ。すべての幸せはここから始まるって言っても過言じゃないよ」

「間違いなく過言だと思うけどなぁ」

「なんて?」

「なんでも」


 今の葉月に、俺の言葉はそう簡単に届きそうにない。

 葉月ったらもしかして俺たちを人類の始まりの男女と思い込んでない? 大丈夫?


「それで考えたんだけど、レーちゃんも私と同じようにSNSのアカウントつくるべきだと思うんだよね」

「なんでSNS始めなきゃいけないんだ?」


 葉月は、スマホを目の前に突きつけてくる。


「私たちのラブラブっぷりを全世界に発信するんだよ」


 葉月は俺の頬に自らの頬を押し付け、スマホをカメラにして自撮りしようとしている……などと言っている間にパシャリとシャッター音が鳴った。


「だからレーちゃんもSNS始めてね」


 もちろんお断りである。

 聖奈に見られたら、『浮気』と疑われて死ぬ目に遭うことになる。

 今日の葉月はやたらと電波を飛ばしまくっていて、正気を疑いたくなってしまうのだが、何故そんなことを口にしてしまっているのか、なんとなくだがわかる気がした。

 聖奈と葉月は、お互いにどこか似ている。

 この前の聖奈の一件を思い出して、俺にはピンと来るものがあった。


「……葉月、悪いが、俺はお前の提案には乗れない」


 今の葉月は、めちゃくちゃハイになっているだけに、冷めるようなことを口にするのはリスクが伴った。

 だが、ここで言っておかなければ、葉月は恋愛に頭をやられて現世に戻ってこられなくなってしまう。


「お前がそうやって俺とラブラブアピールしたがっているのは……」


 葉月は、自分と同じく何らかのラブラブなワードが飛び出してくるものと思っているのか、期待にこもった視線を向けてくる。

 ちょっと罪悪感だ。


「単に、学校の連中を見返してやりたいってだけなんじゃないのか? 自分は不幸じゃないって、それだけのために……」


 葉月は、学校生活にいい思い出がない。

 色々と言ってはいるが、結局葉月は、今までの生活を変えたいのだ。

 葉月は、食って掛かるように顔を寄せてきて。


「……そうだよ! レーちゃんのことをみんなに見せつけるの!」


 もっと誤魔化しにかかるかと思ったのだが、葉月は案外あっさりと認めた。

 残念ながら葉月の思惑通りにはいかないと思う。


「葉月が通ってるとこは名門なんだろ? 男子からすれば人気銘柄みたいなもんだし、男の選択肢も多いだろうから俺ごときじゃ誰も羨ましがらないぞ」


 だから、『葉月あすみの恋人』としての俺を全世界にアピールして聖奈の態度を再び硬化させるようなマネはやめるんだ。


「そんなことない!」


 葉月は、俺が想像していたよりもずっと強い調子で否定してくる。


「レーちゃんじゃないとダメなの!」


 葉月は目の端に涙の粒を浮かべていた。

 そこまで俺を好きなのか、と、困惑しながらもちょっと嬉しく思ってしまう。


「レーちゃんは、自分の価値に気づいてないよ! ……私には、私が幸せになるには、レーちゃんがいないとダメなの!」

「お前、そこまで……」


 マズい。心を葉月に奪われかかっている。なにせ俺だって仲間のいないぼっちなのだ。強く肯定されることに飢えているのは、恥ずかしながら認めざるを得ないことだ。


「だってうちの学校では……小学生みたいなショタっ子と付き合うことが、ステータスなんだから!」

「えっ?」


 雲行きが怪しくなってきたぞ……。


「みんな、けがれを知らない男の子が大好きなんだよ」


 えぇ……? 童貞厨なんてこの世に存在するの?


「同い年の高校生とか、大学生以上の大人みたいな『穢れた存在』と付き合ってたら、汚物として嫌悪される世界なんだよね。まともな人間として扱ってもらえないよ」

「ていうか、お前の通ってる学校の連中の方がマイノリティだからな? そもそもお前は外部入学組なんだから、異常な世界にいるって自覚してるよな?」

「レーちゃんはなにを言ってるのかな? 異常ってなんのこと? ぜんぜんふつうだよ。ノーマルノーマル」


 マジの目を俺に向けてくる葉月。ダメだこれは。歪んだ校風に洗脳されてしまっている。

 金持ちで賢いお嬢様たちの花園の正体は、小学生男子大好きな変態の巣窟でした。

 笑えねえ……。セレブリティの闇の側面を知ってしまった。


「だったら、俺じゃなくてもうリアル小学生でいいだろ……俺なんか、お前ら変態の基準からすればいいおっさんじゃねえか」


 脱力が半端ない俺は、投げやりな気分になる。もちろん俺の言うようなことを実行したら、ほぼ確実に逮捕案件だけどな。

 俺は自分で思っているよりも、葉月から大事にされているっぽい発言に感動を覚えてしまっていたらしい。

 まあ、それを信じた結果がこのザマなわけだけど。


「わかってないなぁレーちゃんは。部外者はこれだから……」


 お前、内部進学者からよそ者ってハブられたから闇堕ちしたんじゃなかったのかよ。なんて言い草だ。


「確かにね、レーちゃんの言う通り、リアル小学生とおつきあいしてる子はいるよ。上位カーストはみんなそうだよ。素直でまじめで目がキラキラしていてよけいなことを口外しないおとなしい子ほど高ポイントでね、彼氏持ちは放課後になると、きれいな男の子と手をつないで、中庭を我が物顔で闊歩してるの。みんな幸せそうな顔しててね、地上の楽園って感じなんだよ」


 地上の楽園どころかこの世の地獄だと思うんだが。部外者からすると倫理観ゼロの鬼畜の巣だ。


「いや、お前の学校変だろ。世間的には普通に同い年とか年上を彼氏にしてる方がもてはやされるんじゃね? そういうの気にしないの? お前んとこのお嬢様たちは?」

「そういう、『大人』を彼氏にしてる子もいるけど、『下級生徒』って呼ばれてバカにされて負け組扱いなんだよね。カーストではもちろん最下位。我が校では人間としてカウントされてないから。野良の動物と同じ」

「……つかぬことをお聞きしますけど、ちなみにお前はどのポジションなの?」


 極力葉月を刺激しないように、バカ丁寧な口調になってしまう。


「……私は、『上級生徒』でも『下級生徒』でもないから『無名生徒』だよ。特に差別はされないけど、いないモノとして扱われてるだけ」


 葉月は頑張って入学した学校でもぼっちなのを痛く気にしていたけれど、そんな事情があるのならぼっちでもいいんじゃねえの……?


「でも……」

「でも?」


 一旦顔を伏せ、再び上げた時の葉月は、俺がよく知っているような、陽キャギャルそのものの表情に戻っていた。


「でも、レーちゃんがいれば、私は上級生徒よりさらに高次の存在……『お姉さま』になれる!」


 明るくなったり暗くなったり、こいつは背中にスイッチでもくっつけてんのかよ。

 ていうか最上位らしい存在の名称が『お姉さま』でいいのかよ。


「実は上級生徒も、まだまだ半人前の存在なの。だって小学生相手じゃ、恋人同士ですること全部はできないでしょ?」

「ああ? 恋人同士ですること?」

「んもう! ほら、そういうことだよ! あれとか、これとか?」


 ついつい反射的に聞き返してしまう俺に対して、葉月はごにょごにょ口ごもりながら頬を染めつつ指先同士をつんつんしている……と思いきや、片方の手は輪っか状になっていた。とりあえず、そういうのやめような。


「でも、レーちゃんは高校生だから、しちゃいけないことなんてないよね? 合法ショタだもんね?」


 俺の両肩を掴んでくる葉月。指先の動かし方でわかる。触り方がいやらし過ぎた。


「上級生徒とか言ってイキってる子も、彼氏とあれこれするのはせいぜいショタっ子のぷにぷに太ももを甘噛みするくらいなんだから」


 ちょっと待ってよ。それはそれで性的嗜好歪んでない?


「レーちゃんを手に入れた私なら……そんなヌルいことでガマンする必要なんてない。私は『お姉さま』に二階級特進して、全校生徒の憧れになって、本当の青春と学校生活を取り戻すの……!」


 鼻と口の両方の息が荒くなっている葉月は、あろうことか俺のズボンのベルトに手をかける。


「ちょっ、やめろ、何すんだよ!」


 場所考えろ。いや、場所考えなくてもやめろ。


「確認だよ! だって生えてなければさらにポイント高いんだもん!」

「もん! じゃねーよ、ていうか……生えてるわ!」


「ウソだ!」

「ウソじゃねーわ」


「どうせちょろっとでしょ! ミエはらないの!」

「お前じゃあるまいし、張るか!」


「それくらいならそっちゃえばいい!」

「剃ったら軽く毛玉できるんですが!?」


「……し、信じない! 私、自分の目で見たモノしか信じない! 見せてくれるまで、やめない!」

「そこまで言うなら見せてやるよ! ……ってなるか!」


 ついついノリツッコミしてしまった俺は、葉月を突き飛ばす。目の前にテーブルがあったので、葉月の後頭部が直撃してしまわないようにする配慮はした。


「お会計! これで!」


 まだ何も注文していないが、一刻も早くこの場を去りたかったので、なけなしの千円札をテーブルに置いてダッシュで逃げる。

 待ってレーちゃん! なんて声が背中に直撃するけれど、俺の足は止まらなかった。

 変態に捕食されてしまう前に、この場から逃げなければ……!

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