第18話 好きって言ってよ
店を出た時には、とっぷりと日が暮れていた。
結局あの場では、俺は葉月の誤解を解くことができなかった。
助け舟を出してくれたのは、店長だった。
いくら葉月がサボりの常習でも、長時間の仕事放棄を許す気はなかったらしく、なおも俺に詰め寄ろうとする葉月を引き離してくれたのだった。
「レーちゃんがぁ~、レーちゃんがショタ専痴女に汚されちゃったかもしれないのに~!」
などと葉月が泣いて叫んだため、店長以外に先輩バイトらしいお姉さんを総動員する大掛かりな出来事になってしまったけれど。
葉月にはあとでFINE経由で真実を伝えておこう。ややこしい勘違いをされたままじゃたまらんからな。
どちらにせよ、『バンジャマン』は公園の代わりになりそうもないことだけは確かだった。
聖奈は、ライトアップされた店を振り返って。
「丘崎さん、あの人は近づいたらダメな人です。危ないから聖奈がいないところであの人と会わないでくださいね」
「なぜ保護者面」
「聖奈に芽生えた母性がそうさせるんです」
外敵が消えたからか上機嫌の聖奈は、俺の後頭部に胸を押し付ける勢いでがっしり抱きしめていて、俺の頭をなでまわしていた。
「……お前、葉月が俺と付き合っているだとか誤解してないの?」
落ち着いているようなので、俺は思い切って訊ねてみた。
「そうですね、初めはあの人のテンションに巻き込まれて、丘崎さんの浮気を疑っちゃったんですけど」
浮気て。
俺は聖奈の正気を疑わないといけない段階に来たようだ。
「でも、丘崎さんが聖奈以外の女の人のことを好きになるはずがありませんから」
「…………」
なんだか前よりも独りよがりな思い込み強くなってない?
「聖奈が丘崎さんをこんなにも好きなんですから、丘崎さんだって聖奈のことすごく好きに決まってます。だから聖奈は丘崎さんのこともっともっと好きになっちゃうんです」
聖奈の中では、『好き』という感情は俺の分まで取り込まれてループし増幅する永久機関になっているらしい。
「他の女の人が入る余地はありません」
「俺すら入る余地ないよね?」
俺の気持ちはどうなるのかな。
恋は一人分でいいけど、愛は二人分じゃなきゃならねえンだよなぁ。知らねえけど。
「…………」
聖奈はしばし無言を続けると。
「……聖奈のこと、きらいになっちゃいましたか?」
背後からハグを続ける聖奈は、いっそう胸を押し付けるように抱える力を強くした。胸の谷間に頭が吸収されそうなんだが。
「いや嫌いじゃないけどさ」
「それなら、いいじゃないですか」
「……俺は聖奈を甘やかしすぎたのかもしれん」
本当のことを言わずに引っ張ったせいで、聖奈をヤンデレっ子にしてしまった。
「聖奈はまだ丘崎さんに甘え足りません」
「イタタ、なんか腕を首に絡めてきてない?」
それスリーパーホールド。やりすぎると失神しちゃうやつ。
「いえ、丘崎さんが聖奈に甘えてこないのは、あの女の人に丘崎さんの甘えたい成分が横取りされているからなんじゃないかと思っちゃったんですよ」
「お前、その馬鹿力で俺が死んじゃったら甘えようにも甘えられねーじゃねーか。勘違いで人を亡き者にしようとするなよな」
「聖奈、ひょっとしたら丘崎さんが好きすぎるあまり体だけ残っていればそれでオーケーかもしれませんので」
「魂がなくなったら俺じゃなくなっちゃうんだよなぁ……」
「ところで、あの女の人は本当になんなんですか? 丘崎さんが聖奈のことを大本命だと思ってくれてるのはわかるんですけど、聖奈的に2号さんがいるのはナシかなって」
「ただの友達だ。通学中の電車に乗り合わせてちょっと話すだけの仲だよ」
それといい加減名前で呼んであげて。葉月の名前は教えてもらったでしょ。
「向こうはそう思ってないですよ。あの人も丘崎さんのことが好きなんです!」
どろぼうめ! と聖奈は憤慨した。
俺は聖奈と違う意見を持っていた。聖奈は俺のまわりにいる女が全員俺に惚れるなんていう歪んだ考えを持っているのだ。
「あいつ見た目通りリア充だから俺なんて数いる男子の中の一人だよ」
「…………丘崎さん、ひょっとしてそれ、リアルガチで言ってますか?」
聖奈はわざわざ俺の前まで回り込んできた。
どういうわけか、聖奈はものすごく心配そうだった。
「リアルガチだぞ?」
「……これはマズいことになっちゃいましたね」
「なんでお前が動揺してんの」
「丘崎さんがそこまでにぶちんさんだと聖奈も困っちゃいますので」
「それなら心配ない。俺はこれでも察しがいい方だ」
今だって、聖奈のことを気遣って、聖奈と結婚するつもりがあるかのように振る舞っているしな。
「だからお前が不安にならないといけないことなんて何もない」
「……丘崎さんのその変な自信の持ち方が、聖奈には心配のタネなんですけど」
「何ぃ? どこが心配なんだ?」
後ろ向きにウォーキングしていた聖奈がピタリとその場に止まる。
ちょうど車道沿いを抜けた小道に入ったところで、人気は皆無だった。
「丘崎さん」
そんな薄暗い場所で、聖奈は、突然恐怖の腰折り攻撃ことベアハッグを食らわせてくる。
殺りに来てんな、コレ……と思うことはなく、聖奈のベアハッグはこれまで食らったどんな抱擁より優しかった。
いやこれ単に正面から抱きしめにきてるだけか?
胸に顔が埋まりすぎて表情が見えないから聖奈の真意はわからない。
「丘崎さん、好きです。これからも、今と同じようにずっと聖奈を好きでいてください」
言葉だけは相変わらず思い込みが激しいヤンデレムーブなのだけれど、ほんのり狂気がまとわりついた強要の臭いはカケラもなく、ひたすら切実な響きに満ちていた。
「返事する前に胸で目隠しするのやめてくれるか?」
「丘崎さんがお返事してくれるまで離すのを止めません」
「こういう大事なことはちゃんと顔見て言いたい派なんだよ」
「それでしたら」
無事解放されて見た聖奈の表情は、それはもうニッコニコだった。
久しぶりに肌が外気にさらされたことで、顔がスースーする。巨乳って蒸れそうだな。
「……ていうか、お前やたらと胸を押し付けてくれるけど、ちょっとは自重しとけよ」
腕とか顔とかに。自慢なのはわかるけどさ。
聖奈は頭にハテナマークを浮かべるかのごとく首を傾げてから。
「でも、聖奈のお母さんが、『好きな子ができたら胸を押し付けなさい。一発でノックアウトよ』って言うので」
「家庭訪問の必要が出てきたな」
娘のために共働きしているキャリアウーマンかと思いきや、ろくでもない思想を吹き込むクソたわけだったようだ。
「両親へのご挨拶ですね!」
勘違いする聖奈は、再び俺をベアハッグ地獄に引きずり込もうとしてきたので、同じ手は食わないとばかりにバックステップで回避した。
「どうして逃げるんですか?」
柔道家のように構えたまま、聖奈は不満そうにする。
今度は力強く締めに来ないという保証はない。
「俺ったら聖奈のおもちゃじゃねーんだわ。これでも人間なんだよね。超合金とか体に綿詰まってるぬいぐるみならお前のしたいようにさせてやるんだけどな」
「ええっ? そんな力強くしたつもりないんですけど……」
「お前は人より優れた部分が多すぎるからな。パワーもその一つだ。胸に『S』のマークでも書いとくか?」
「丘崎さんがちいさすぎるのがいけないんじゃないですか?」
聖奈は拗ねるように言った。
「俺だってできることなら巨大化したいわ。でも急激な巨大化は負けフラグだから、奥の手として温存してんだよ……」
身長なんて伸ばそうと思えば伸ばせるけどあえてしてないだけなんだよなぁ。
「なるほど、丘崎さんにはそんな特技が。すごいですねー、聖奈も自由に身長を変えられたらって思うんですけど」
ふんふん頷く聖奈だが、明らかに信じていないって顔だった。
「……もちろんウソだぞ?」
聖奈に気をつかわれる側になっている状況が嫌になって、俺は訂正した。
「じゃあ自然に伸びるのを待つしかないわけですか」
「残念ながらな」
「でも聖奈は、巨大化する術でここまで背を大きくしたんですよ?」
「教えろその術」
今度は俺が聖奈に掴みかかる番だった。
「わあ。丘崎さん史上最大級のがっつきですね。……えー、でも丘崎さん、もちろん冗談だってわかってますよね?」
「あたりまえだろ。ちょっとしたネタだ」
まあちょっと期待した部分はあるんだが。
「じゃ、帰るぞ。送ってやるから」
「待ってください」
さっさと先を急ごうとする俺の肩を、聖奈ががっしり掴んでいた。
「お返事、聞いてないですよ?」
「言わなくてもわかるだろ?」
「女の子は口にしてくれないと不安なんですっ!」
小学生が女を語るなよ、と思うのだが、厄介なことに見た目は完璧に女だった。
「えー? じゃあ……好きだけど? これでいいか?」
「ぜんぜん心がこもってません! もっといのちをぜんぶかけるつもりで『好き』って言ってくださいっ」
「好きって言うだけでも命がけだな……」
「女の子は、好きな人のためなら死んでしまえる男の子が好きなんですよ?」
「ドヤ顔で胸張って言うことか?」
ていうかその女の子論ばかりは認めるわけにはいかねえ。
「じゃあ聖奈は俺のために死ねんのかよ?」
「死んでみせますか?」
「……いや、いいや。生きろ。頼む」
ほんのりガチの気配を感じた。このまま死なせたら化けて出そうだ。
「丘崎さんの気持ちはよくわかりました。そこまで情熱的に聖奈に生きていてほしいって望むなんて、聖奈にとって一番の告白です」
「そんなか?」
どうも聖奈の判断基準はよくわからない。聖奈の要望通り『好き』って口にしたわけでもないのに。
まあ、好きっていいなよ地獄から解放されたのならよしとするか。
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