第17話 ボックス席という名の四角いジャングル
俺は、葉月がバイトしている喫茶店『バンジャマン』にいて、バーカウンターから一番遠い位置にあるボックス席に座っていた。
葉月が着ていた制服のせいでいかがわしさ満載の猥褻カフェなのかと疑ってしまったけれど、店内は口コミサイトの高評価に違うことなく、居心地のいい空間がつくられていた。
西洋のカフェをモチーフにしたのであろう空間は、淡いオレンジ色の明かりに包まれていて、温かみがあった。耳障りのいいローファイ・ヒップホップが流れていたり、貼られているポスターやタペストリーだったり、細かな部分でオーナーの趣味の良さを感じた。
なんとなくで注文したコーヒーも、香り高くコクがあって美味いし、ひょっとしたら常連になっちゃうかも? なんて考えるくらい気に入ってしまった。
だから、史上最悪なくらい居心地の悪さを感じているのは、『バンジャマン』のせいではなく、目の前にいる二人の女子のせいだ。
「丘崎さんには説明責任があると思います。なにも話さないで逃げ切れるなんて思わないでくださいね」
「レーちゃんが全部しゃべってくれるまで、今日は帰さないからね」
聖奈はともかく、葉月はウエイトレスの仕事をサボってまで俺に詰め寄ってくる。
俺は木製の椅子の席に座っていて、向かいの二人は壁に面したソファだ。こりゃ長期戦になると俺の方が不利だな。椅子の硬さで尻が悲鳴を上げる可能性がある。
実は、席に座る前にどっちが俺の隣になるかで、二人の間で小さな小競り合いがあったのだが、結局俺の向かいに座るということで落ち着いた。聖奈と葉月はお互いに一切顔を合わせようとしないし、不仲なオーラをバチバチと発していた。そのくせ、俺から真実を聞き出そうとする時は結束するのだから困ったなんてものじゃない。
「そもそも、お前らは勘違いをしている」
時間稼ぎのために口をつけていたコーヒーをテーブルに戻し、俺は言った。
「事実だけを言おう」
聖奈も葉月も、絶対にややこしくなる誤解をしている。
毎朝電車で数駅分乗り合わせるだけの付き合いしかない葉月はともかく、聖奈との関係性をそのまま伝えることは難しい。
「まず、お前の隣に座っている富士田聖奈は……小学生だ。5年生なんだ」
葉月に向けて、俺は言う。
もちろん、聖奈が言うような夫婦云々だなんだって話はしない。今の葉月は、俺のちょっとした発言だけで誤解を加速させない状態にある。
地雷原を無傷で踏破しなければいけない過酷なミッション。
これは、最初の一手。
葉月はなんだかんだで聖奈より大人だし、名門女子校に通っているのだから、理解力だって高いはず。慎重に事に当たらないといけない部分は多いものの、聖奈よりも説得はイージーだ。
葉月さえ説得させられれば、二人で話を合わせて、聖奈の怒りを爆発させることなくこの場をやり過ごせるはずだ。
「小学生ぇ?」
葉月は露骨に疑わしそうな顔をして、俺を見る。
あくまで聖奈の方を向くつもりはないらしい。
「レーちゃんさぁ、ウソつくの下手すぎない?」
「本当に小学生なんだよ」
「ウソだ」
葉月はちらりと聖奈に視線を向ける。
視線は顔から胸へ。
「ウソに決まってる……」
胸の大きさで年齢を確認しようとするなよな。そりゃ聖奈と比べればアレだけど、お前だっていい感じに膨らんでるんだから暗い顔をするな。ちなみに葉月の着ているアレンジメイド服は、丸首になっていて、鎖骨はもちろん、胸の谷間が見えるかなーって位置まで肌が露出していた。やっぱ上品な店内に比べると下品だよその衣装。別にやめなくてもいいけど。
「本当なんだよ。聖奈、そうだろ?」
「小学生?」
どういうわけか、聖奈が不思議そうに聞き返してくる。
「聖奈はおとなですけど? だって近々丘崎さんと結婚する予定ですから」
地雷原を慎重に歩いていた俺に対して、しれっと爆弾をぶん投げてくる。
「ええっ!? 結婚!? レーちゃんが?」
葉月は、バン! とテーブルを叩きながら立ち上がる。
「聞いてないよぉ!」
芸人みたいなノリだが、まったく愉快ではなく、葉月はキレ気味だった。
「……ていうか、レーちゃんまだ結婚できる年齢じゃないじゃん!」
年齢のことで言えば、俺よりも聖奈の方が結婚から遠いわけだが。
半狂乱の葉月は、聖奈に指をつきつけて。
「わかってるの? 男児に手を出したら犯罪なんだからね!」
「誰が男児じゃ」
それほど背が高いわけでもない葉月からもちびっこ扱いされてんのか、俺は。
葉月は、初めの内は聖奈を歳上だと思い込んで、一応丁寧語で話していたのだが、なんかこうライバル? 的なモノと認識してからは平気でタメ語で話していた。女子同士ってその辺男子より曖昧だったりするからな。聖奈は相変わらず丁寧語だけど。まあ聖奈の場合はそういう喋り方だから。フリーザ様が相手によって丁寧語やめるのも変だろ? フリーザ様を例に出す俺も変だけどさ。
「ていうか本気なの?」
「本気ですよ」
俺ではなく、葉月の隣りにいる聖奈が答える。勝ち誇った顔で。
「あなたが誰だか知らないですけど、聖奈の敵じゃありません」
そう言うと聖奈は、すっと立ち上がった。
「なんなの? トイレ?」
「ちがいます」
聖奈は、下品な人ですね、とでも言いたげな視線を葉月に向けた。
「丘崎さんの隣は、『婚約者』である聖奈がふさわしいですから」
肩にかかった黒髪を手で払ってから、どいてくださいね、というジェスチャーをするのだが、通路側にいる葉月は尻を浮かせる気配がない。
「納得いかない……」
「それはあなたが認めたくないだけですよ。敗北を……」
「だってレーちゃんが……あなたみたいな高身長女子を結婚相手に選ぶはずないもん!」
「えっ……?」
初めて葉月の攻撃がヒットした瞬間だった。聖奈に動揺が見える。
葉月はアホのようでいて、実はアホではないらしい。その隙を見逃すことはなかった。
「あなたは知らないかもだけど、レーちゃんったらちっちゃいくせにプライドは高いからね。あなたみたいなチョモランマウーメンの横に一生いられるはずない。それにレーちゃんの日照権が侵害されてますます成長が鈍っちゃうんだから。キノコになっちゃう」
「俺をマタンゴみたいに言うな」
攻撃の矛先がこちらに飛んできたので、俺は反論した。
「お前、これでも俺、日々ちょっとずつ成長してるんだからな?」
「丘崎さんはぁ!」
聖奈はぷるぷる震えながら、両の拳をテーブルに叩きつけた。
「……デカい聖奈はいやですか?」
「……嫌じゃないよ」
そう言うしかない。
現状俺は、聖奈にとって唯一の理解者だ。ここではしごを外してはいけない。
聖奈は再び葉月に向き直ると。
「聞きましたか? 今丘崎さんは、聖奈を『好き』だと」
「そこまでは言ってないんだよなぁ」
「聖奈にはわかってます。丘崎さんの『嫌じゃない』は、『好き』と同じことだって」
全然わかってねえな、と思った時だった。
何やら、葉月の様子がおかしいことに気づく。
「んん?」
胸の前で腕を組んだ葉月は、眉の片方だけを釣り上げる、というプロレスラー時代のドウェイン・ジョンソンのモノマネをすると。
「んにゅふふ」
やたらご機嫌な様子で、にやにやし始めた。
「あ、これわかっちゃった。やっぱ『婚約者』なんかウソなんじゃん。レーちゃんが気をつかって話合わせてるだけなんでしょ?」
今度は葉月が勝ち誇るターンらしい。
しかもこいつ、きっちり真実を見抜いてきやがった……。
それはいいとして、聖奈の精神を乱すようなことだけは言うなよ。フォローに回らないといけない俺の負担が増えるだけなんだからな。
「結婚する予定の二人にしては、全然意思疎通取れてないっていうか、恋人っぽくもないもんね」
初めから見抜いてたけどね、と葉月は言って、ソファから立ち上がる。
「とんだ茶番を見せられたモンですわー。じゃ、私は仕事に戻るから」
勝利を確信したのか、ふんわりミニなスカートを翻して、颯爽と背中を向ける葉月。
まあ何に勝利したんだよって話ではあるが。
「待ってください……」
そんな葉月に声をかけたのは、うつむいたままの聖奈だった。
「聖奈と丘崎さんは、本当に結婚の約束をしているんですけど?」
やべぇこれ。聖奈がとってもめんどくさいモードに入った時の顔だ。まーた瞳からハイライト消してやがる。でもいつものめんどくさいモードに比べると、顔つきに迫力がない。敗北を悟っているからだろうか?
一方の葉月は、まったく怯んだ様子がなかった。
「ないない。私わかるんだよねー、友達多いから。彼氏いる子がどんな感じかも余裕でわかるんだ。そういうたくさんのサンプルに照らし合わせて考えると、富士田さんとレーちゃんは……別になんでもない! ただの知り合いだね。少なくともレーちゃんはぜんぜん本気じゃない」
「んムッ」
声に出るくらい聖奈は露骨にムッとしていた。感情をあらわにしたせいで、瞳にハイライトが戻っている。
「もうちょっと上手くやらないとバレバレだよ? その辺の演技すらできないなんて、ひょっとして富士田さん、学生時代ぼっちの陰キャだったの? あ、大学生ならいまも学生かー。デカすぎてわかんなかったわー」
やめろ、ぼっち煽りはやめろ。俺にまでダメージ来てんだよ……。なんてヒドいこと言うんだ。この鬼畜。俺の中の友好ランクを一段下げちゃうぞ。
葉月のヤツ、聖奈のことを女子高生以上の年齢と思い込んでいるとはいえ、なんて大人げない。
俺は聖奈の様子が気になって、そっと表情を確認する。泣き出されでもしたらたまらない。聖奈の中身はリアル小学生だから、すぐ泣いちゃうんだからな。
けれど聖奈は、俺が心配したような姿ではなかった。
聖奈の両目は悪巧みをするキツネのような三日月型のかたちをしていた。
波乱の予感がして、背筋がぞわっとする。
「でも聖奈、しちゃったんですよねー、丘崎さんと」
「へー、しちゃったって何を?」
葉月は、どうせまーたくだらないことでしょ、とばかりに手をひらひらとさせる。
これリアルガチに誤解招くヤツだ、と気づいて止めようとした時にはもう遅かった。
「こどもができる行為を、です」
「……へっ?」
聖奈に言われて、奥の通路に向かおうとしていた葉月の動きがピタリと止まる。
「聖奈の口から言えるのは、それくらいですね。こういうことって、あまり人に言うことじゃないと思うんですよ」
唇に指先を当てる聖奈の背後には、完全勝利の四文字が浮かび上がって見えた。
葉月はというと、フィギュアスケーターのごとき無駄のない身のこなしで、ソファに舞い戻ってくる。
「レーちゃんから真実を聞くまで私、信じない」
背後に暗黒のオーラを背負った葉月が、無表情のまま冷たい声で迫ってくる。
「ウソって言ってよぉぉぉぉぉ!」
顔のデッサンが狂うくらい半泣き状態で俺の肩を掴んだまま揺すってくる。
仮に俺が聖奈とどうこうなったところで葉月に何のデメリットがあるんだよ、とは思うのだが、俺が女児に対する暴行的なサムシングでお縄になることを心配してくれているのかもしれない。聖奈の言う『こどもができる行為』とは、ご存知キスのこと(しかも間接だ)なのだが、葉月はそんなこと知らんしな。
でもこの調子じゃ本当のことを言っても納得してくれるかどうか。
解放される頃には朝、なんてことになってないだろうな。
そんな朝帰り、嫌だぞ。
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