第16話 出会ってはいけなかった2人がついに――

 空のオレンジ色が濃紺に変わりつつある頃合いに、その店にたどり着いた。

 この日最後の候補地。

 そこは喫茶店だった。

 個人で経営していそうな、こぢんまりとした店だ。

 とはいえしょぼいわけではなく、古風で雰囲気のある木造造りの外観は、西洋のものをオシャレに真似たカフェっぽくて趣があった。

 この手の店にはこだわりのマスターなんかがいて超めんどくさそう、という偏見があったのだが、口コミサイトの評価を見る限りでは、初見でも安心できる雰囲気らしい。

 元々、聖奈には別の場所を紹介するつもりだった。

 それでもこの喫茶店を選んだのは、たまたま近くを通りかかったからだ。

 そういうハプニング性も大事だと思うし、なにより、聖奈をあまり遅くまで連れ回すわけにはいかないし。近場で済むならそれに越したことはない。

 店選びはいいとして。


「……聖奈、くっつきすぎじゃない?」


 聖奈は、俺の腕を抱くようにして歩いていた。

 残念ながら俺と聖奈とでは身長差がだいぶあるので、恋人同士がやるようなスマートな腕組みにはならず、俺の片腕は吊るされたカカシみたいになっていた。腕、めっちゃ疲れる。

 腕の位置が不自然だろうが、聖奈の胸元はなんとも自然な位置にありフィット感が抜群なので、うっかり前かがみにならないうちに一刻も早くやめてほしかった。聖奈ったら身長のことはやたら気にするくせに胸が与える影響のことになると途端に鈍感になるから厄介なんだ。


「でも、これが夫婦の距離感ですから!」

「夫婦じゃないだろが」

「えっ?」


 出た。真顔。


「まだ、な。まだ……」

「ふふふ。ですよね」


 ちょいちょいプレッシャーをかけてくるようになった聖奈だった。

 実はこれ、聖奈も俺が結婚なんぞする気はないことを知っていて、お断りの返事をすることがないようにわざとこうしているんじゃないだろうな……。


「聖奈、丘崎さんと一緒にいられるなら、小学校のことなんてどうだっていいって気持ちでいられます。もう怖いものなんてありません」

「そりゃよかった」

「丘崎さんがいるかぎり、聖奈は無敵です……!」


 どんなかたちであれ、聖奈のためになっているのならそれでいいのだが。


「まあでも、小学校のことだって一応気にしておけよ。ほら、小学校時代の友達が、将来大事な友達になる可能性だってあるんだし。今のクラスじゃないにしてもさ、見放すにはまだ早すぎるんじゃない?」

「そんなことありません。聖奈はもう丘崎さんに出会ってしまいましたから。友達で恋人で夫になる人です。丘崎さんだけで、聖奈の人間関係はぜんぶオーケーになっちゃうんですよ」


 どうも聖奈は、俺に依存しすぎているような気がする。

 同級生のガキどもと比べたら、そりゃ俺の方が大人で、一緒にいて楽しいのかもしれないが、同い年同士じゃないとできないことや楽しめないことだってたくさんあるだろうに。

 俺にこだわりすぎて台無しにしてほしくはないな、と思いながら、店の扉を開ける。

 入店すると同時に、ドアに取り付けられたベルがカランカランと鳴った。


「いらっしゃいませ~、2名様でよろしかったですかー?」


 明るい声を出して、ウエイトレスがささっと寄ってくる。

 悪い意味でハプニングの予感がした。

 なにせウエイトレスの格好が、メイド服だ。

 それだけならいいとしても、腕も脚も露出多めで、特にスカートなんかやたらと短いから、いかがわしい店に入ってしまったんじゃないかと不安になった。

 隣に聖奈がいる手前、エロ系は絶対NGなのに。

 大事になる前にさっさと店を出ようと、身を翻しかけたその時だった。


 接客に来たウエイトレスの顔見て驚いたよ。


 知り合いだったから。


「……葉月?」


 いかがわしい店で働いている娘とばったり遭遇してしまった父親のような気分だった。


「レーちゃん……?」


 俺への呼び方からして、これはもう疑いようもなく葉月あすみだ。


「どうしてレーちゃんがこんなとこイヤァオ!」


 急にシンスケナカムラみたいな奇声を発して何事かと思ったら、手にしていた丸いトレーを落としただけだった。トレーが爪先に落ちて軽いギロチン攻撃になるのを避けようとしたのか何なのか、荒ぶる鷹のようなポーズをしている。あんまり膝を突き出すなよな、ボマイエ食らわせに来ると思って身構えちゃうだろうが。


「ま、まさか私のGlitterのぞき見して、いてもたってもいられなくなって?」


 気のせいだろうけれど、葉月の瞳は妙にうるうるして見えた。


「お前のGlitterなんぞ見ない」


 リア充のSNSを見たって何の足しにもならないしな。ていうかこいつ、バイト先が特定されるような個人情報をだだ漏れにしているってことか? 警戒心なさすぎだろ……。


「偶然近くに来たから寄っただけなんだが……」


 葉月の格好にはびっくりさせられたものの、冷静になって店内を見渡すと、別にエロい雰囲気なんてなかった。ウエイトレスは明るく元気にフロアを歩き回っているし、お客も楽しそうに雑談に花を咲かせていて、ゲスな雰囲気は欠片もない。

 だからこそ、その衣装はどうなのって感じなんだけど。

 前から思ってたんだけど、葉月って日頃からやたらと露出しているももがちょいとむちっとしていて白くていい感じに肉感あるから――いやそんなことは今はいいんだ。


「実は私も偶然ちょっとレーちゃんのこと考えてたんだよね。これってもしかして運命かもよ」


 拾ったトレーを指先でくるくる回して気円斬みたいにしながら葉月は空いている手を頬に当てる。


「レーちゃんのこと考えてたらお水こぼしちゃったりお皿割っちゃったりで大変だったんだ。私のお仕事の邪魔しちゃうなんて、困ったレーちゃんだよね」

「困ったちゃんはお前だ。ちゃんと仕事しろ」


 その場にいない俺に無能の責任を被せるんじゃない。


「してるよー。私、これでも愛社精神強いから。お客さんも店長もとってもやさしくて居心地いいんだ。ミスしてもちょっぴりサボっても怒られないからね! めんどくさいなって気分のときにお客さんにうっかり塩対応しても、『今日はそういうキャラなんです』って言い張れば許してくれちゃうんだ。やさしいでしょ? ホワイトバイトだよ」


 ペロッと舌を出してピースサインをする葉月の後ろで、バーカウンターの向こうに立っている店長らしきヒゲの人が額に手を当てていた。

 やっぱちゃんと仕事してねえじゃねえか……。お前にとってはホワイトバイトでも、店長からするとブラックバイトだな。ブラックアルバイターか。

 葉月のコミュ力や学歴に期待して雇った店長が気の毒だ。

 そんな店長は、早くお客を席へ案内するように、と葉月を急かす。まあ当たり前だよな。俺たちは葉月を笑いに来たわけじゃない。

 けれど葉月は、その時になって初めて、俺の隣にいるヤツの顔を認識したらしい。


「……レーちゃん? 横にいる人、誰?」


 接客用のスマイルが浮かんでいるのは相変わらずなのだが、こめかみがひくついていた。


「……丘崎さん、親しげに『レーちゃん』呼びするこの人、誰ですか?」


 聖奈もまだ呼んだことないのに……とどこか悔しそうにしながら、ハイライトを消して暗黒の瞳をつくりだす。すっかり得意技だな。得意技にしないでほしかったけれど。


 

「ずいぶん綺麗な人じゃない?」

「ずいぶんかわいらしい人じゃないですか?」


 

 葉月と聖奈の二人は声をハモらせて俺を見る。


 ていうかお互い褒め合っているはずなのに空気が暗黒に染まりつつあるのはどういうことなの……。


「ははっ。二人とも、そんな怖い顔するなよな。ラブリーフレンズエンジェルパワーが一気に満タンになりそうなくらい息合ってるっぽいのに」


 俺はどうにか場を和ませようとするのだが。


 

「じっくり説明してくれない?」

「じっくり説明してくれますよね?」


 

 双方向から刺さる視線のせいで、ピッコロさんみたいに心臓を貫かれてしまいそうだった。


 出会ってはいけない二人が、今、出会ってしまった。

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