第3話 逃走と色気づくスマホ

 どうにか変なポリスをまいた俺たちは、見慣れない裏路地にいた。

 すぐ近くの建物が中華料理屋なせいか、ラードのにおいがぷんぷん漂ってくる。

 全力疾走した影響で俺は息が上がっていて、膝に手をついて中腰姿勢になっていたのだが、聖奈はというと、ケロッとしていて余裕の表情だった。


「ごめんなさい、丘崎さん。なんか、引っぱり回しちゃって……」

「いいんだ、いいんだよ……そもそも俺が走ろうって言い出したんだから……」


 聖奈(もう小学生って確定したから呼び捨てだ)は、元々の運動能力がずば抜けていることに加えて、俺よりも脚が長いので、俺よりずっと走るのが早かった。俺はたいして運動が得意じゃないから、ついていくだけで精一杯だったのだ。最後の方なんて、聖奈にただ引っ張られているだけで、鯉のぼりみたいになってたからな。


「それより、小学生なら……門限とか大丈夫なの? 家の人、心配してない?」


 スマホで時刻を確認すると、もう八時を過ぎていた。


「それなら、だいじょうぶです。聖奈の家、お父さんもお母さんも帰り遅いですから」


 聖奈の家は両親共働きで、熱心に働いているようだ。

 話を聞いていくと、聖奈の自宅はここからそう遠く離れていないらしい。

 俺は、ここまで連れ回してしまったお詫びの意味で、聖奈を自宅まで送ることにした。

 裏路地を抜けると、夜でも開店しているスーパーや居酒屋やラーメン屋やコンビニが立ち並ぶ表通りになり、一気に明るさが増す。


「富士田さんはさ……」

「あの、『聖奈』でいいですよぉ。リコーダー教えてもらった先生ですし! 丘崎さんの方が年上なんですから!」


 聖奈は首と両手をぶんぶん振って、滅相もございません、って態度を取る。

 いくら外見が大人びているからといって、そもそも小学生相手にさん付けも変か。だからといって、ちゃん付けにできるほど、俺はこども慣れしていない。


「それに……」

「それに?」


 頬を赤く染めた聖奈が、おもむろに両手の指先をつんつんさせ、もじもじし始めたので、俺は聞き返してしまう。


「それに、リコーダーの先生ってだけじゃなくて。丘崎さんには、キスされておっぱいも触られてしまったわけですし、あんまりよそよそしくするわけには」

「どっちも誤解を招きそうな発言だからせめて聖奈視点の能動的表現にしてくれない?」


 ここから読んだ人に性犯罪者だって誤解されちゃうでしょうが。

 少なくとも、胸を触ってしまったのは俺のせいじゃない。不可抗力だ。

 とはいえ、どんなかたちであれ小学五年生の胸部というサンクチュアリに触れてしまうなんて犯罪のにおいしかしないからあんまり掘り下げないでくれ。


「でも、どっちもほんとうのことです」


 街灯や建物から漏れる明かりに照らされた聖奈は、どこかうっとりしているように見えた。

 妙な反応だけれど……嫌悪されるよかマシか。


「聖奈はまだピンとこないだろうけど、本当なら、高校生男子が小学生女子に触れるわけにはいかないんだ。変質者扱いされる」


 場合によっては、もっと酷い扱いをされることもあり得る。


「聖奈、丘崎さんのことを変質者だなんて思ってません。ちゃんとした、リコーダーの先生です」

「先生って。ちょっと教えただけだろ」


 よほどリコーダーを吹けないことで悩んでいたのだろう。聖奈はやたらと俺を先生扱いしようとする。

 ……まあ、聖奈が嫌じゃなければいいか。

 もちろん、小五のパイタッチ的痴漢行為は、たとえ事故的なモノであろうと絶対に繰り返してはいけないのだが。

 訴えられるのも嫌だしな。

 聖奈がこどもとわかった今、俺ももっと慎重に接しないといけない。

 こどもは傷つきやすいから。


「ところで……」


 ベンチに腰掛ける姿勢ではなく、こうして並んで立ってみて、わかったことがある。

 この富士田聖奈という小学五年生女子は、いったい身長何センチあるんだ?

 実寸ひゃくよんじゅ……いや、公称160センチの俺が、聖奈と並んでいると、目線が聖奈の肩になってしまっている。それくらいの身長差。


「聖奈って、身長どれくらいあるの?」


 聖奈は一旦俺の方を見ると、大ぶりな仕草で、ぷいっと顔をそらす。


「どーせ聖奈は巨人だもん……」


 しまった。すねてしまった。慎重に接しよう、と心に誓ったそばからやらかした。

 けれど、クソチビの俺にとっては、身長のことはとても気になるわけで。


「でも、丘崎さんはリコーダー教えてくれた先生だから、あんまりプンプンしないようにします」


 聖奈はジト目をこちらに向けてきながらも、ぽつりとこう言う。


「……160、あるかないかです」

「ヘー、ソウナンダ」

 

 俺はほんのちょっとだけ、怒りを覚えた。

 こいつ……絶対身長サバ読んでいるな。

 聖奈が本当に160センチなら、俺が見上げないといけないほどじゃないはず。

 俺の推測では、聖奈の身長は170センチ……ひょっとしたら、もう2,3センチ高いかもしれない。

 だいたい、本当に身長160センチなら、男子より先に体の成長のピークを迎える女子の中にあっては、そう深刻に悩むほどの高さじゃない。


「いいじゃん。高身長。俺、小さいからうらやましいよ」


 俺は、身長のことでは滅多に自虐をしない男だ。

 けれど、聖奈にとって、身長のことはあまり触れてほしくない話題みたいだったから、せめてもの罪滅ぼしのつもりだった。


「これでも、いっぱい困ったことがあるんですよぉ」


 駄々っ子のように、聖奈が言う。


「小学校は全部が全部ちっちゃいんです。丘崎さんが六年生だったとき、一年生の教室にある椅子に座ったら、すっごく小さくて変な気分になったことはありませんか?」

「ああ、そういえば……あるな」


 小六で入った委員会の仕事で小一の教室に行った時、思い出の中と違ってずっと小さく感じた机や椅子の記憶は、俺にもある。

 でしょう? という顔で聖奈は頷く。


「聖奈は自分の教室にいるのに、そんな気持ちを味わってるんです」

「じゃあ、ちょっと窮屈かもなぁ」

「ランドセルだって似合わないからべつのカバン使ってるし、登下校の時にかぶるようにいわれてる帽子だってもうかぶってません。……給食だって、みんなと同じ量じゃちょっと足りないです。みんなとぜんぜんちがうんです」


 みんなと違う、という悩みは、小学生の時点でもう深刻な悩みとして存在してしまうようだ。

 そりゃそうか、俺だってそうだった。

 たとえ俺からすれば羨ましいことでも、聖奈からすれば、とても居心地が悪いことなのだろう。


「でも、聖奈はずっと小学校五年生ってわけじゃないだろ? 高校生になった時のことを想像してみろ。高身長女子は、カッコいいって賞賛されるんだぞ? スーパーモデルだ」

「すーぱー……もでる?」

「綺麗な服たくさん着られるんだぞ?」

「……聖奈、かわいい服の方がいいです。ひらひらのやつ」


 聖奈が目指しているのは、カッコいい、よりも、かわいい、方面らしい。


「ひらひら? ドレスみたいなの?」

「そうです! 『魔法楽隊ポリリズム・キュアー』みたいな服です!」


 聖奈のテンションが急上昇した。


「魔法……楽隊……?」


 俺にはわからん領域の話だった。


「あれ? まさか知らないんですか? 『ポリ・キュアー』?」

「残念ながら」

「ニチアサアニメですよ?」

「女の子向けは詳しくないんだよ」


 あと、『ニチアサ』って何?


「丘崎さん、さては休みの日なのにおねぼうさんなんですか? もったいないですよ」

「休みの日だからこそ、睡眠に時間を当てるんだろ?」


 これだからこどもは。小学生は学校がない日に限ってやたらと早く起きるからな。


「また身長の話してる……」

「してないだろ。……あ、微妙にしてるような」


 寝る子は育つ、と昔から言われている。

 聖奈としては、これ以上身長を伸ばしたくないばかりに、睡眠時間をセーブしているのかもしれない。


「あ、こういう服なんですけど」


 スマホに指を走らせた時の聖奈は、まだほんの少しだけ落ち込んでいたのだが。


「これです! これ! 超かわいくないですか?」


 ギャルみたいなイントネーションで、かわいいとはしゃぎ始め、スマホをこちらに向けてくる。

 使い魔らしきケモノを従えた女の子二人組は、それぞれ赤と水色のドレスめいた服を着ていた。ミニのスカートは、覗き込んでも中が見えないくらいシフォンになっている。戦うために動きやすい仕様になっているせいか、へそと肩が大胆に見えているのは、女児向け的にどうなのだろう?


「でも、聖奈のサイズに合うのなくて……」


 スマホとにらめっこを開始した聖奈は、悲しそうな顔をしていた。

 聖奈がこの衣装を着たら、「可愛い」以上に卑猥なイメージを与えそうだ。サイズ云々の問題じゃない。

 女子向けアニメの話をしているうちに、聖奈の自宅前までたどり着く。

 洋風の、どえらい豪邸だった。

 立派な門の向こうには、広々と過ごせる庭があった。優雅なティータイムを楽しめそうな白いテーブルが置いてある。脇にはガレージがあり、シャッターは開いていて、車に疎い俺でも知っている高級車が二台も駐車してあった。


「ひょっとしなくても、聖奈って金持ち?」

「たぶん、そうだと思います」


 門柱に設置されたインターホンめいた装置の前に立った聖奈が、何やら操作して装置に向けて顔を近づけると、門がひとりでにガラガラ開いていった。

 どうやら、眼球の動きで門の解錠ができるらしい。

 なんつーハイテクなセキュリティだ。ハリウッド映画でしか見たことないぞ。この家の中にはどんだけのお宝が眠ってるっていうんだ?


「じゃあ、丘崎さん……今日は、ありがとうございました」


 開いた門の前で、聖奈は頭をぺこりと下げた。


「ああ、じゃあな。リコーダーのテスト、頑張れよ」


 ちょっと特殊な小学五年生の聖奈との関わりはこれで最後。

 今後、今日みたいに関わることはないだろう。

 聖奈はいい子かもしれないけれど、女子小学生だ。

 たとえ下心がなくても、兄妹でも親族でも教育者でもない高校生の俺がガッツリ関わるのは色々とリスクがつきまとう。

 下手なことすると、超金持ちらしい富士田家の財力をフル活用で消される可能性もあるしな。

 俺と同じく、「身長」のことで悩んでいる同志との別れを思いながら背を向けると。


「あの、丘崎さん、ちょっといいですか……?」


 呼び止めた聖奈は、壊れるんじゃないかってくらいスマホを握りしめていて。

 彼女は、腰を曲げて頭を下げると同時に、そのスマホを、俺の目の前に突き出した。


「ば、番号とID、交換しませんかっ!」


 うつむいたまま、そんなことを言った。


「身長のことで話し合えるのは、聖奈には丘崎さんしかいないんです。聖奈と同じように、身長のことを気にしている丘崎さんしか!」

「俺、別に悩んでないんだけどなー。悩んでるように見えちゃったかなー? ぜーんぜん気にしてないんだけどなぁー」


 俺のセンシティブな部分に平気でぶっこんでくる聖奈の態度は気になったが、だからと言って秒でお断りする気にもなれなかった。

 とはいえ、悩まないわけじゃない。

 自慢じゃないが……俺のスマホは女を知らない。

 初めてが女子小学生なんて、犯罪じゃないか?

 ふとしたキッカケでスマホを調べられて、そこに聖奈の名前があったらお縄になっちゃうんじゃないか?

 それに、連絡先なんて交換したら、この先も関わり続けないといけなくなるじゃないか。

 そんな余計な心配をしてしまうのだけれど。

 小学生の女の子が、顔を真っ赤にしてぷるぷる震えながら連絡先を聞いてきたのだ。

 俺が小学生の時、高校生なんてとんでもなく大人に見えた。

 俺は見た目こそ小学生かもしれないが……聖奈からすれば、リコーダーの先生であり、卒倒してしまうほど「男子」であり、歳上の大人である。

 聖奈は特別気が強いようには見えないし、単に連絡先を聞くだけのことが、どれほど勇気を必要とすることなのか、なんとなくだがわかってしまった。


「いいよ」


 保身なんてくだらない理由で断ることなんて、できなかった。


「うわわっ、丘崎さんの個人情報が聖奈のスマホに……!」


 交換を終えると、聖奈は空の星に見せるがごとくスマホを掲げた。

 俺からすれば、月と同じ位置にスマホが浮かんでいるように見える。


「ありがとうございます、丘崎さん。クラスメイトはみんなスマホ持ってないから、聖奈、連絡先交換するのなんて初めてで……ずっと大事にします!」


 まさか俺の連絡先程度で、大事にする、とまで言われるとは思っていなかったので、ちょっとテンション上がった。小学生のこどもだけど、見た目は美女なわけだし。

 そうして俺は、聖奈の自宅をあとにした。

 聖奈の自宅から離れてしばらく歩いていると、着信があった。


『あっ、丘崎さんですか? やったぁ、つながった! 聖奈、リコーダーのテストがんばりますから!』


 それくらい、直接言えばいいのになぁ。

 まあ、スマホを持っている友達はいないみたいだったし、家族以外の人間と通話してみたかったのだろう。


『あ、それと』

「なんだ?」

『MINEのID交換したじゃないですか?』

「したな」

『あの……MINEにはとってもおそろしい噂があって……「既読スルー」っていうこわいことだけはしないでくださいね……』


 声が震えている。なんというか、本当に気が弱いんだな。


「……無視はしないから、ぷるぷる震えることないぞ」

『よかったぁ。だったら安心です』


 本当に一安心したらしく、声音は落ち着いていた。

 聖奈からの通話を切った俺は立ち止まり、運河みたいに集まって浮かんでいる星空を見上げた。

 こうして俺は、小学生女子とスマホフレンドになってしまった。

 相手が相手だけに、心配はあるものの……悪い気はしていなかった。

 俺、実はこどもに懐かれる才能があるのかもしれない。

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