完成



 その足で大学に駆け込み、あの油臭い教室へ向かった。

 教室の隅にそっとイーゼルに立てかけられている彼女の「シクラメン」。 

 この愛らしい桃色はやはりさっきの店にはなかった。

 彼女が絵の具と溶き油で調整しながら作り上げた色。

 俺はスマををポケットから出した。その勢いでいつもの缶コーヒーが落ちた。

 ガコン、コロコロコロ・・・と場にふさわしくない音が響く。

 さっき見てきた花屋のそれよりも、ずっとみずみずしく美しい。


 もう仕上がったのかな。

 あれからの経過を一緒に見たかったのだがそれは難しかった。一度後ろ姿を見かけて近づこうとしたものの、学部の生徒がやってきたので声をかけるきっかけを失った。

 もしかして、あのペンダントかな。

 突然やってきた他学部の男がしつこく絵を見に来ては、プレゼントを置いていったから。穏やかな彼女でも内心、複雑な心境になったのかもしれない。


 「もう会えないのかな」

 不意に口から弱気な言葉がこぼれた。

 心がキュッとなりながら、スマホで「シクラメン」を撮る。


 パシャッ。


 その時後ろに気配を感じた。

 

 「私の絵、見に来てくれてありがとう」

 「いたんだ!びっくりした」


 今日の彼女はいつもの黒いパーカーではなく、白いニットのワンピース姿だった。

 その胸元には、『ナイト』のネックレスが慎ましく輝いている。

 相変わらず、優しい表情だ。

 俺は安堵感に包まれ、涙が引いていくのを感じた。

 女々しい自分を隠したくて、スマホをかかげて見せた。

 

 「今、絵の写真を撮ったんだ」

 「そうだ、また二人で写真撮ろうよ」

 「もう一緒に撮らないって約束したでしょ?」


 彼女の目元が優しく弛む。


 「佐藤くんのお陰だよ」

 「やっと満足できたの」

 「これも・・・」

 彼女は馬のモチーフを指でつまみながら「すごく嬉しかった」と続けた。

  俺は彼女の綺麗な口元を見ていた。

 「ありがとう」と唇が動いた。


 俺の方に向かってくる。

 ゆっくり歩いてくる。

 彼女は俺を抱きしめるかのように通り抜け、そしてシクラメンの絵の中にすうっと吸い込まれていった。

 

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