第3章
第28話 進路と誕生日と
修学旅行という高校生の一大イベントも終わると、教室はこれまでの華々しさを僅かに隠し、近づいて来る進路というものに雰囲気を染められて灰色になっていく。
僕の通う高校は普通の道立高校で、進学する人もいれば就職する人もいる、そんな感じのところだ。
「……進路、か……」
旅行明け最初の登校日の帰り際に配られた、進路希望調査の紙を眺めてからクリアファイルにしまう。
どうするんだろうなあ、進路……。
荷物をまとめて、コートを着て、例によってひとりで教室を出る。真白は家でお留守番だ。
自分のことなのに、まるで他人事のように脳内で呟いてしまう。けど、それくらい実感も湧かないし、未来も見えない。
昇降口で外靴に履き替えて、まだ人がいない玄関を出て、冬道に足を踏み入れる。朝から雪が降っていたので、道の脇にはまだ新しいふかふかの雪の山が作られている。……開拓してくれた用務員さんに敬礼。
「……大学……就職……うーん」
僕の成績は中の上くらい。定期テストで平均点を少し超えるくらいだけど、学年上位一割には入れない。地元の旧七帝大のひとつである北海道大学は当然キツい。そんなレベル。
そもそも、僕は大学に行けるのだろうか。生活費はあの父親が「まだ」振り込んでくれているからなんとかなっているけど、毎年百万を超えかねない大学のお金を支払ってくれることを無条件に期待することはできない。
となると就職か。……けど、就職しちゃえば、もう父親と関わりを残さなくても済むようになる。働いてしまえさえすれば、もう。
少し柔らかさが残る歩道を踏みしめる。時折、そりに子供と買い物袋のマイバックを乗せた母親とすれ違ったり、脇の雪山に黄色い跡を残す散歩中の犬とすれ違ったり。どちらも冬の札幌で見られる恒例の風景だ。そりは子供だけでなく、重たい荷物も置けるし、運搬の道具として便利。犬は外でもおしっこをするから、しばしばその跡が残っている。
スーパーに寄って晩ご飯の買い物をしているうちに、頭のなかは「就職」という選択でいっぱいになり、もうそれでいいかなと決意をしてレジに並んだ。
「ただいま……ってあれ?」
家に帰ると、真白が猫の姿で僕のことを出迎えた。
「ニャー、ニャニャニャ」
「……今は猫なんだ。最近多いよね、ブームなの?」
玄関でしゃがみ込んで、真白のあごを触ってみる。真白はくすぐったそうに表情を緩めて、すぐに「ニャ……」と吐息混じりの声を漏らす。
修学旅行以降、真白が猫になるタイミングが少しずつだけど増えてきた。それまでは特に理由がなければずっと人の姿でいたから、少し不思議ではあるけど。まあ、無理に理由を聞くことでもないしいいのかなと流してはいる。
「少ししたらご飯作り始めるからね」
買ったものを冷蔵庫に突っ込んでから部屋に入って、とりあえずベッドに寝転がる。
ちょっとゴロゴロとしているとリビングのほうからバタバタと人の足音がし始めて、部屋のドアが開けられた。
「お、おかえりなさいっ、優太さん」
「た、ただいま」
「で、では……」
やや慌て気味に入ってきたから、何か急ぎの用があるのかと思ったけど、そうでもないみたい。おかえりなさいだけを言うと真白はおずおずとまたドアを閉めた。
「……どうかしたのかな」
その日の夕飯。寒い冬にはおでん、ということで、さらに真白の好物をたんと詰め込んだのだけど、淡々と食べ進めるばかりでいつもの明るい会話が生まれない。
つみれにちくわに……パック切り餅も入れての三本柱なんだけど……。
「ま、真白……?」
あまりにも無言なので、僕はおっかなびっくり声をかけてしまう。腫れ物に触れるような扱いをしている。
機嫌が悪いのか、虫の居所が悪いのか、でもさっき部屋に入ったときはそんなことなかったし。
「どうかした?」
失敗したのかな……。実は僕の味覚が狂っていて、今日のおでんはまずい出来でしたとか。
「……はっ、は、はいっ。何でしょう?」
おでんの大根をはふはふと飲み込んでから、真白はワンテンポもツーテンポも遅れて返事をする。
「いや、最近なんか大人しいというか、静かというか……なんか変というか」
「そ、そうですか?」
普段滅多に口を利かない僕が言うのもおかしな話だけど。
「魚を食べているのにテンション低いし」
「あっ、そういえばこれおさかなさんでしたっ、無意識のうちに私、はわわわ」
取り皿のなかに浮いているつみれを見て慌てだす真白。
「はっ、お餅まで入ってたんですね」
……あげく中身に気づいていないとは。魚の匂いを嗅ぐだけで飛び跳ねて喜ぶような真白が。
「おでんとお餅も合うんですね……はふ、おいひいでふ……」
これまたスリーテンポくらい遅れて頬に左手を当てて美味しそうにする真白。
……ほんと、どうかしたのかな。
翌日。自分の机についたまま昼休みに真白のサンドイッチを食べていると、ここまで来るともはややはりと言うべきか、米里さんが隣の席に当たり前のように座った。
「……な、何?」
僕の横顔を見つめたまま何も言わないものだから、根負けした僕はとうとう自分から彼女に聞いてしまった。
「誕生日、そろそろなんだって?」
「……そ、そうだけど、なんで知ってるの?」
自分で言っていて悲しくはなるけど、誕生日を誰かに教えたことは一度たりともない。この学校で把握できるのは、先生くらいではないだろうか。だから、僕の誕生日の時期を知っていることに驚いてしまった。
「毎年この時期になると、北郷君のおじいちゃんが『孫にプレゼント』を買いに出かけていたってお母さんが話してたから」
なるほど……お隣さんネットワークか。確かに毎年祖父から誕生日プレゼントは札幌から送られていた。目覚まし時計とかサッカーボールとか。前者はともかく後者は友達がいないから一度も使うことなく経年劣化でボロボロになってしまったけど。……いや、友達を作るんだよっていうメッセージ込みでのことだったのだろう。なら悪いのは僕だ。
「で、いつなの?」
「……次の、土曜日だけど」
「ふーん」
なるほど、というようにスマホにメモを取る米里さん。僕の誕生日を聞くとあごに手を当てて何やら考え始めてしまう。
えっと……最近僕の周りの人はちょっとおかしくなるのがブームなんですか?
困惑しつつたまごサンドをもぐもぐと食べ進める僕。
「……ほら、去年は色々あったから誕生日とかじゃなかっただろうけど、今年は何もなかったし、祝ってあげるよ。家、行っていい?」
「……え? 家来るの?」
少しの間をもって放たれた彼女の台詞は、僕にとっては雷が落ちたような衝撃だ。冬なのに。
「何かまずいの?」
……まずいも何も、家には真白が住んでいるんだ。来る、となると一定の準備をしないといけないし、最悪米里さんがいる間は真白に猫になってもらうかどこかに出かけてもらわないといけなくなる。
それは……昔自分が親にやられたことをやるみたいで気が進まない。
「……もしかして、人には見せられないようなものでも買ったの? 抱き枕とか、DVDとか。ひとり暮らしだとね……そういうの隠す必要ないもんね」
「いや、そんなもの買ってないよっ。そもそもまだ僕十六だし」
「……まだ? ってことは十八歳になったら買うんだ」
言葉尻をとらえて、獲物を見つけた肉食動物のような目を僕に向ける米里さん。……見つかったウサギの僕は、震えあがって動けなくなる。最後の晩餐、サンドイッチか……。
「ゆ、誘導尋問だよ、それは卑怯だよっ」
ってアホな感慨に浸っている場合ではない。このまま要らぬ誤解を与えたくはないからなんとかしないと。
「とりあえず、十七歳の誕生日祝いと、ひとり暮らしにかこつけていかがわしいものを買っていないか調査しに、次の土曜日は家に行かせてもらうね」
「え、え。ほんとに来るの?」
「何? ほんとに見られたらまずいものでもあるの?」
図星ですともええ。見られたらまずいものではなく、見られたらまずい人がいるんですこちとら。
「……いや、そんなことはない、よ」
「ならいいよね?」
「は、はい……」
しかしまさかそれを言うわけにもいかず、渋々僕は米里さんが僕の家に来ることを了承してしまった。
誕生日祝いなのに、どうして罰ゲームみたいなことになっているのだろうか。
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